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プレゼントの中身

「せっかくきみを手放そうと思ったのに」


 残念だと言いつつも笑みを浮かべている彼が、ベッドサイドテーブルの引き出しから鉄燭台を一つずつ取り出してはテーブルの上に綺麗に並べていく。その仕草は酷く気だるげで、私と一つしか年が違わないのにほのかな色香を放っていた。頭を怪我した際に血がついてしまったのか、服は昼間に着ていたものから新しいものに変わっていた。


「みんなはどこ?」


 すくむ足を隠して、強気に尋ねる。けれど彼は私をちらりと一度だけ見たあと、また引き出しへと視線を戻した。一瞬だけ見えた彼の打たれた頬は腫れている様子はない。暗がりのせいか月光でよりいっそう白く見えるすらりとした手に掴まれて引き出しから姿をあらわしたのは、数本のろうそく。


「街の方へ行ったよ」


 それをひとつひとつ鉄燭台にさしながら、彼は穏やかな表情のままどこか冷たさを感じさせる声でそう答えた。


「街へ? みんな?」


 こんな時間にあり得ない。しかも全員が一度にお屋敷を空けるだなんて。思わず眉間にしわを寄せて怪訝な声を放てば、きみたちを探しに行ったんだよ、アミディア、と彼は引き出しに再び手を入れた。そしてそこから取り出された小さい箱。


「だって二人とも突然お屋敷からいなくなってしまうんだもの」


 困ったような、それでいて面白がるような声。彼はなおも視線を落したまま、小さな箱から小指ほどの棒を取り出す。私は扉のそばから動くことができず、彼のたおやかな手つきをじっと見つめていた。


「ローザがきみたちに謝ろうとしてね、それできみたちを探し回ったんだ。けれどきみたちはどこにもいない。はじめはみんな部屋の中やお庭を見て回っているようだったけど、誰かがふいに言ったんだ。もしかして街の方へ家出したんじゃないかって」


 じゅっと音を立てて光が生まれる。どうやら彼はマッチに火をつけたらしい。手元にある箱はマッチ箱のようだ。彼はそれを一本のろうそくに近づけて炎をともしたあと、それを他のろうそくへと重ねて小さな灯を増やしてゆく。


「みんなひどく焦っているようだったよ。外は寒いし暗いから。それに街は歩いてすぐに行ける距離でもない。ぼくは気にしなくていいから探しておいで、なんて言えばみんなはいっせいにお屋敷を飛び出して行ったよ」


 慕われているんだね、と囁くように声をもらし、彼は最後のろうそくに火を灯した。窓ガラスにいくつかの輝きが映る。外は再び、ふんわりとした雪が降り始めたようだ。

 おおまかなことを聞いた私は、随分と安心していた。みんなは無事なのだ。主様に何かをされたわけでもない。ただの入れ違い。みんなとすれ違わなかったのはきっと私たちが裏道を通っていたからだと思う。緊張が解けたのか、少し気を抜けば足元がふらふらしてしまいそう。

 よろけてしまわないようにきゅっと口を引き結ぶ。

 それと同時に、彼が寝台から立ち上がった。


「今が僕だけの時間だった」


 両手に一つずつ灯を持って、音もなく歩を進める。そして一つを本棚の側へ、一つを壁の蝋台へ。


「僕だけの時間だったのに。どうして戻ってきたの? アミディア」


 そうやって灯りのひとつひとつを部屋に散りばめていきながら、私へと冷たい声を放った。それは少し怒っているような苛立ちを含んでいて、けれど彼は相変わらず笑顔をはりつけたままだったから、私はどういう表情を作ればいいか分からず、そして何と答えたらいいのかもわからず。黙り込んでしまった私を一瞥して、彼は明るくなったねと一言漏らしたあと、手に持っていた最後の蝋燭をベッドサイドテーブルへと再び戻した。

 数本のろうそくに囲まれた部屋。最初に比べると確かに随分と明るくはなったけれど薄暗いのには変わりなく、それはまるで今から何かの儀式が始まるような不気味な雰囲気をつくっていた。

 じわりじわりと恐怖が私の中を侵食していく。

 彼のすみれ色の瞳が私を捉え、すうっと細められた。


「きみがなぜ、お小遣いをためていたのか。知っているよ、アミディア、きみはいつもこのお屋敷から逃げたくて逃げたくて仕方がなかったんだ。逃げ出して、それからの生活のためのお金をためていたんだよね?」


 唐突に彼が私に確認を取るようにして話した内容に、どきりとする。なぜそれを。同室のフェリシカでさえ、内職でお小遣いを得ている私を見てもそれがお屋敷を出て行ったあとの貯えだとは思っていなかった。また欲しいものがあるの? と、造花などの小物をたくさん作っている私を見るたびに驚いた表情を見せていたフェリシカは今、街のどこにいるのだろう。うまくポピーのところへ向かえているのだろうか。


「でもきみはそれを実行できずにいた」


 顔を強張らせた私を瞳に映しながら、彼は続ける。


「仲間を見捨てる罪悪感と、アロイスとの思い出を手放す辛さがあったからだ」


 彼は鋭い。少しのしぐさから全てを見透かしてしまう。私が気付かないことも含んだ全てを。

 そうだ。私はいつも、このお屋敷を出て行きたかった。あの大掃除の日以来、いつ次の犠牲者が出るのか、いつ私は殺されるのかと恐怖に怯え、優しい笑顔を絶やさない主様が怖くて怖くて仕方がなかった。けれどそれでも出ていかなかったのは、フェリシカやマリー、ローザ、デイジー、思い浮かべればいつも笑顔な私の大切な友だちを見捨てることができなかったから。アミディアと私を優しく呼んだアロイスとの思い出を、お屋敷の至る所に染みている兄との思い出を手放すことができなかったから。

 けれど、そんなことがどうしてわかるのか。どうして私が友だちを見殺しにすることを躊躇い、アロイスとの思い出にすがり、主様を恐れていることが分かるのか。彼は本当に何でも知っている。たった一年一緒に過ごしてきただけなのに。

 僕はいつもきみを見てきたもの、何だってわかるよ、と、いつか彼が私に言った言葉が意識の遠いどこかで響く。ゆらゆらと、ろうそくの火に合わせて揺れる二人分の影。


「お屋敷にとらわれたかわいそうなアミディア」


 泣きそうになっている私が、うっすらと照らされた窓ガラスに微かに映っているのが見えた。


「だから僕はきみにプレゼントをあげたんだ。きみがこのお屋敷を去る機会をね」


 じゅっと、私の一番近くにあるろうそくの火が音を立てて揺れる。

 しんしんと積もる雪。月の光を集めて。

 ああ、そうだったのか。私は、なぜ彼が秘密の裏口から街へでるとき、道案内をするようにお屋敷の道順を教えてくれたのかを考えた。

 そうだったのか。彼が贈った私へのプレゼントは、私がお屋敷を出ていく決心をするチャンスだった。フェリシカとローザの喧嘩は、しがらみに囚われた私を奮い立たせるために彼が仕組んだことなのだ。

 彼は自らの立場を本当によく分かっているらしい。きっと自分が主様のお気に入りであることも、フェリシカやローザから好かれていることも自覚していたのだ。そしてどうすれば主様が怒り、どうすれば私が動きだすかも知っていたのだ。


 ――私、あなたと街へ行く必要があったのかしら

 ――僕たちが二人で出掛けることに意味があったんだよ


 彼は私が友だちを見捨てることができないのを知っている。だから、私と二人で出掛けることでフェリシカやローザを嫉妬させ、そして喧嘩へと発展した際に自分を傷つけるよう誘導すれば、お気に入りに手を出した者として友だちが主様に制裁されることを想像した私が友だちの手を引いて逃げ出すことを予想したのかもしれない。

 それにもし彼女たちが喧嘩にならなかったとしても私が彼と二人で出掛けたことはみんなに知れ渡ってしまうことには変わりなく、その場合は私が我が身の可愛さを思って主様の怒りから逃れるために屋敷から逃げ出す可能性もあったはずだ。

 そう、彼は私がお屋敷から逃げ出すように仕組み、その際に使う道として秘密の裏口を教えたのだ。

 彼の計画通りに物事は進み、私は逃げだし――


 けれど、ふと疑問がよぎる。

 どうしてお屋敷のみんなに私たちを探しに行かせたのか。

 賢い彼のことだ。私が誰も知らない林の抜け道を使うことが予想できたのなら、このようなすれ違いも予想できたはずだ。それにもし私がお屋敷へ引き返していなかったとしても、私が秘密の裏道を通ることが分かっていたのなら、お屋敷の門からの道を行くだろうみんなが街に着くまで私たちに会えないことも考えたはずだ。


 ――今が僕だけの時間だった


 彼は一人になりたかった?

 なぜ?

 ゆらゆら、揺れる炎。先ほどの笑顔も消え、無表情のままこちらを見る彼。煌々と輝く灯を集めて、彼のすみれ色の瞳が赤みを増していく。

 ぞくりとした。先ほどからなぜ何も言わないのか。なぜ黙り込んだままなのか。

 思わず後ろへ下がると、背中に扉が当たる感覚がした。

 凍てつくような空気。

 冷ややかな視線。

 彼の後ろにある窓ガラスが怯えた私を映し――


 体中に恐怖が沸き起こる。

 動けない。

 あまりの恐ろしさに悲鳴さえ出なかった。


 私の背に触れているものは扉ではない。彼が見ているのは私ではない。

 私の後ろにいるのは誰だ。

 顔じゅうに包帯を巻いているこの化け物は何だ。

 音もなく私の背後に立っているこのミイラ男は一体何だ。

 腹の内から這い上がってくる得体の知れない震え。


 息の仕方はどうだったか。

 瞬きの仕方はどうだったか。

 歯ががちがちと音を鳴らす。


 それは喉から出ていく空気が甲高い悲鳴をあげようとした瞬間。

 鈍器で殴られたように揺らされる頭部。

 皮膚を劈く鋭い痛み。

 お屋敷中を震わせる私の叫び声。


 私は背後の得体の知れない何かに勢いよく髪をつかまれ、そのあまりの痛さに言いようもない絶叫をはりあげた。

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