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雪道の逃亡

 昼間と違って雲は散り、綺麗な空には半月が浮かんでいた。薄暗い林の中に引かれた一本の道筋が、月光に照らされた雪に浮かび上がる。


「待ってアミー! はやい!」


 積もったばかりの雪は柔らかく深く、足を取られてしまうせいか走っても走ってもなかなか前に進めない。

 どれだけ進んだだろうか。

 吐き出す息が白く膝もがたがたと震えるのに、身体は汗だくだ。


「アミーってば聞いてるの!?」

「走って!」


 私より少し走るのが遅いフェリシカの腕を引いて必死に足を動かす。分厚いコートが邪魔だ。脱いでしまいたい。


「私、やっぱりシャロンとローザに謝らなきゃ!」

「だめよ!」

「お屋敷に戻らなきゃ!」

「だめだってば!」


 泳ぐように林を抜ける。まだ明かりは見えないけれど、もうしばらく行けば街が見えてくるはずだ。


「どうして!?」

「だって! あなたは主様のお気に入りに手を出したのよ!?」

「どういうこと!? カラヴァおじさんのお気に入りって何!?」

「一人部屋の人たちのことよ!」


 二人の荒い息と喧騒が、静かな暗い林をこだましてゆく。


「何それ!? カラヴァおじさんのお気に入りが何!?」

「それは…!」

「シャロンに何かあるの!?」

「彼は無事よ! 何にも問題はないわ!」

「じゃあ何!? お気に入りがどうしたの!? 手を出したらって!?」

「それは、その」


 本当のことを言うべきだろうか。今までずっと父のように慕ってきた主様が、実はとんでもない悪魔をその身に隠していると知ったらフェリシカはどんな反応をするだろう。悲しむのだろうか。泣くだろうか。そもそも信じてくれるだろうか。

 言うとしてもそれはどこから? アロイスのことから? それとも仲間が人知れず消えていったことから?


「ちょっと、ちょっと待って!」

「きゃあ!」


 言い淀む私に向かってフェリシカが叫んだとおもったら、つないでいた手が急に重くなって、突然の力に私は後ろへと倒れ込んだ。どうやら彼女が急にとまったから、前へと走っていた私が後ろへ引っ張られる形になったらしい。


「ちょっとフェリシカ! なに…」


 雪まみれになった頭を持ち上げて抗議の声をあげると、フェリシカが私の肩をがしりとつかんできた。突然のことに後の言葉が出てこない。彼女があまりにも焦燥した表情をしていたからだ。


「カラヴァおじさんの…主様のお気に入りに手を出したらどうなるの?」


 それはまるで内緒話をするかのよう。手を引いて逃げ出す私を見てただ事ではないと思ったのか、フェリシカはこちらへと距離を縮めて静かに尋ねる。その顔は真っ青だ。


「一人部屋の人に手を出したら…アミー、何か知っているの?」

「フェリシカ?」

「ローザは?」

「え?」

「ローザは大丈夫なの?」


 詰め寄ってくるフェリシカに、息苦しくなる。どうして突然ローザの名前が出てきたのだろう。どうして今この時に彼女の身を思う言葉が出てくるのだろう。


「ローザは大丈夫よ」

「どうして?」

「だって彼女は主様のお気に入りだもの。ずっといままで部屋にお呼ばれしていたじゃない。主様のお気に入りである限り、彼女が酷い目にあうことはないわ」


 最後の一瞬を除いて、と私は心の中で付け加える。

 そう、ローザもいずれは身に危険が降りかかってくるときが来る。それは一人部屋にあてがわれた子どもの末路なのだ。

 けれどローザよりも、いまは確実に私たちの方が危険にさらされている。主様のお気に入りとこっそり二人きりで街へ出かけ、主様のお気に入りを泣かせて怒らせた私と、主様のお気に入りの頬を打ち怪我をさせたフェリシカの方が、ローザよりも――


「違うわ」


 凍えそうな星空の下、フェリシカの震えるような声が響いた。


「え?」


 何が違うのかが分からなくて、彼女の手を自分の肩からおろしながら首をかしげた。そんな私を見ることもなく、どこかに視線をさまよわせて青ざめるフェリシカ。


「違うの! 違うのよアミー!」

「何が?」

「もうずっと、ローザはカラヴァおじさんとはあっていないわ!」

「どういうこと?」

「たしかにローザは一人部屋を与えられていたけど…でも、部屋に招かれていたのはシャロンだけよ!」

「どういうこと…」

「もう随分と前から特別扱いはシャロンだけだったのよ!」


 フェリシカの声が静まり返った夜の林の枝を微かに揺らす。

 どういうこと?

 心臓が激しく動く。

 ふと脳裏をよぎるのは、彼を見つめるローザの美しい横顔。バラのように華やかなローザは、一人部屋をあてがわれて、主様のお気に入りで。


 ――もう随分と前から特別扱いはシャロンだけだったのよ!


 彼女は、かなり以前から主様のお気に入りではなかった?


 ――憎い! アミーが憎いわ!


 私の頬を叩いたのも、泣いて怒ったのも彼を思うが故の行動。

 彼と話すときは頬を桜色に染めたローザ。

 主様のお気に入りだったビオラに想いを寄せていたパリスはどうなった? 主様に恋心を知られてどうなった?


 何度目の感覚だろう。ざっと血の気が引く。危ないのは私とフェリシカだけではなかった。私が引っ張るべきだったのは、フェリシカの手だけではなかったのだ。

 ぐらぐらと地面が傾く。雪に呑みこまれてしまいそう。

 どうしよう。

 いまから走っても、もしかしたらお屋敷に戻る頃には主様が帰ってきているかもしれない。

 未だ少し熱を持つ頬へ手を遣る。

 どうしよう。

 私を打った相手を、私を憎んでいる相手を、私は危険を冒してまで助けるべきなのだろうか。

 葛藤する天使と悪魔。ばくばくと心臓が音を立て、それに合わせて指先や頬が脈打つ。


「アミー、どうしたの?」


 黙り込んだ私を怪訝に思ったのか、挙動不審になっているフェリシカ。そんな彼女に私は、ポケットから取り出した白い袋を黙ってぎゅっと握らせた。


「アミー? これは?」

「お金」

「お金?」

「私はローザを迎えに行く。フェリシカは今すぐ街へ行って、このお金をつかっていいから、一刻も早くポピーのもとまで行ってちょうだい」


 やはり同じ家で育った友だちを見捨てることはできない。いくら自分の命が惜しいとしても。泣きそうだ。少し声が震えたのは、死を覚悟したからかもしれない。


「嫌よ! よく分からないけれど私も行く!」

「フェリシカは街へ行って、ポピーと彼女が働くお館の大人たちを呼んできてほしいの。できるだけ早く」

「どうして?」

「もうあのお屋敷は私たち子どもだけでは生活できないわ」


 荒れ果てたお庭に、埃のたまった窓枠。次々と出ていく子どもと気味悪く笑う主様。もうあそこは私たちだけでは成り立たない。良い機会だ。あの部屋の異常さを、主様の狂気を、一度大人たちに見てもらおう。


「私はローザを助けに行く。だからフェリシカは助けを呼んで、私たちを助けに来て」


 もしかしたらこれがフェリシカとの最後の会話かもしれないと思うと、涙がポロリと一粒落ちた。それを見て、何がなんだかよく分かっていないだろう彼女も、ただならぬものを感じたのかもしれない。みどり色のキャンディのような瞳に涙をたくさんためて、唇をわななかせながらだまって頷いた。


 一本道を行けば街へ着くから。

 わかった。待ってて。すぐに行くわ。


 それが私たちが離れる直前にかわした言葉。


 私は二人分の足跡がついた道を引き返し、フェリシカはまっさらな雪の道を走って行った。

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