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約束

 お屋敷の雰囲気がいよいよあやしくなってきた。

 そう感じたのは、彼がここにやって来て一年が過ぎたころの晩秋。

 かつては活気に溢れていたこのダイニングも、使われなくなった席が増えるばかりで新しい友達はいっこうに来ない。昨年は42人の子どもがいたけれど、それも昨日でついに27人になってしまった。

 出ていく子らはみんな見送られて旅立つから、主様にどうこうされているわけではないと思う。けれど最近は年齢など関係なく、6歳の子どもも養子に出たり下働きに行ったりするようになり、14歳でお屋敷を出るという流れも、別れの前日には一人部屋で寝るという伝統も曖昧になってしまった。

 私のいる4人部屋もいまは3人だけ。一人分の使われていない寝具を見て少し切なくなる。

 住人の数も減り、今まで成り立っていた兄姉と弟妹のバランスが崩れたからなのか、お屋敷の管理は行き届かず、お庭の手入れも間に合わなくなってしまっている。それはまるで、ここが廃墟へと変わっていく過程を見ているようだった。

 主様は一日中出掛けていたり、彼を部屋に招いてひきこもったり。ローザとシャロン以外の子どもなどまるで忘れてしまったように感じるほど、主様は私たちと会わなくなった。

 フェリシカとローザの関係も悪くなるばかりで、いがみ合いは見慣れてしまったくらいだ。当の本人である彼はいったい何をしているのだと腹をたてたいけれど、二人とも上手く彼の前ではある程度の仲よしを演じるようで、渦中の人物は事態が面倒臭いことになっていることに気づいていない。子どもたちの間でも二人の不仲は認知されつつあるようで、最近私たちと交流がすくないとはいっても、いつか主様の耳に入るのではないかと思うとひやひやしてしまう。


 このお屋敷にはもう、昔のようなありふれた幸せな光景はない。きらきらとした日常はなくなってしまった。

 少しずつ歪みが大きくなってきているとは思ってはいたけれど、ここまでいびつになってしまうなんて。

 もうここも終わりだね、と以前ふいにシャロンが呟いた言葉が何度も頭をよぎっては、そのたびになんとも言えない気持ちになる。


「そこでおひめさまはいいました。あのおほしさまをとってきてください」


 私はというと、マリーやデイジーといった年少の子どもらに本を読み聞かせたり読み書きを教えたりするようになった。アロイスが私に読み書きを教えてくれたこの場所で。シャロンと初めて会話をしたこの場所で。

 私もついに、年下に何かを教える立場になったのかと感慨深いものがあるけれど、そう呆けていられないのが実際だ。隣に座る人物を見て、憂鬱な気分になる。


「あ、ここ、間違っているよ。ほら、ご本をみてごらん」

「あー、ほんとだ」


 このお勉強会で先生役をするのは、私だけでない。

 いつのころからか、なぜかシャロンも当たり前に同席し、読み書きを教えるようになっていた。

 たしかに彼の方が発音も字も綺麗で教養があるから先生役には適していると思うけれど、あんまり人前では深くかかわりたくない。

 大勢がいるなかで挨拶や軽い会話をしてくることは、春以降、確かに増えた。でも、こういうふうに長い時間他人の前で一緒にいることはなかったのに。

 彼は日を追うごとに、人目を気にしなくなってきた。

 まだ主様もフェリシカもローザもなにもいってこないからいいけれど、やっぱり落ち着かない。

 この部屋に彼が来るたび、フェリシカたちはどうしたの、と聞くものの、仲よくどこかへ行ったよ、という言葉が毎回返ってくるだけだ。彼女たちが腕を組んでどこかへ行くとき、それは喧嘩のゴングが鳴ったとき。そのシーンを何度も見ているからたぶんそう。今ごろ彼女たちは口論でもしているのかもしれない。よく飽きないものだなあと思って、自然とため息が出る。


「どうしたの? 浮かない顔して」


 ふいに隣から声が聞こえた。すみれ色の瞳がこちらを覗きこむ。マリーたちは書き取りに夢中で、私たちは手持ち無沙汰な状態。


「ああ、ええっと…そう、ピエリス、ってどういう意味かと考えていたの」


 だからこういう勉強会の合間の暇なときにはたまに、私も彼からティロリア地方の言葉を学んでいた。兄の呟いた呪文の意味が少しでも理解できるようになりたいからだ。


「それはアロイスが言っていた言葉なの?」

「そうよ。ピエリス・フィフィ、遠くへいこうって」

「ふうん」

「ねえ、どういう意味なの?」

「…二人で旅に出ようって意味だよ」


 彼はティロリア地方の言葉をあまり好きじゃないのか、最近はこの話題を出すとほんの少し機嫌が悪くなるけれど、それでもきちんと教えてくれるからありがたい。

 ちなみに頻繁に出てくるフィフィというのは、“美しい日々”という意味を持つらしい。随分と前に彼から教わった。


 ――ピエリス・フィフィ、遠いところへ行こう


 この言葉を聞いたのは一度だけ。それなのに不思議とはっきり覚えている。これは今からずっと前、アロイスの一人部屋に遊びに行ったときに耳にした言葉だ。私の頭をなでて、窓の外をぼんやりと眺めがら呟かれた呪文。そこはいまはローザが使っている部屋で、一度だけお邪魔したときに覗いたその部屋の窓からはお屋敷の門やお庭の広場、それからお屋敷からずっと外へ続く道が見えた。

 あのときアロイスは、二人で旅に出よう、美しい日々を探して。遠くへいこう、と、そう言ったのだろうか。

 その道の先に何を見すえながら?

 私の髪を梳きながら微笑むあの優しい眼差しを思い出して、ひとり思いを馳せる。

 窓の外はこがね色に染まり、冬が顔を覗かせてきていた。落ち葉にかわって、もうすぐ雪が降り始めるだろう。白い雪。花びらのような雪。白いバラの花びらのような。彼が一瞬で枯らした――


「アミディア」

「あ」


 どうやら呆けていたみたいで、私の髪がひと房、彼によって軽く引っ張られた。はっとして周りを見てみるけれど、マリーたちは書き取りが終わった様子でもない。じゃあなんだ、と言わんばかりに隣に目を遣ると、彼は片ひじをつきながらつまらなさそうに私を見ている。


「何を考えていたの?」

「あ、えっと、ぼうっとし」

「アロイスのことを考えていたの?」


 私の言葉に重ねるようにして放たれた言葉は、書き取りの邪魔をしないよう小声ではあったものの、彼にしては少し乱暴な口調だった。すうっと細められたすみれ色の瞳に、少しばかり身体がこわばる。

 怒っているの?

 そう聞きたいけれど縮こまってしまった私を、ふう、とため息をついて見つめる彼。その様子はとても上品で優美なのに、どこか冷ややかで薄暗い。

 この数少ない会話で、私が何をしでかしたのだろうか。

 指先が冷えていくのが分かる。彼は私を怖がらせてばかりだ。少しは自重してほしいし、時と場所を選んでほしい。


「きみはどこまでも真っすぐだね、アミディア。きみの全てはいつもアロイスを辿るらしい。僕はこの一年近くずっとアミディアを見てきたから、わかるよ」


 黙り込んでもんもんと考えをめぐらす私をよそに、彼は独り言のように小さく言葉を吐き出しながら気だるげに片手でペンと紙を手元へ寄せたあと、さらさらと何かを書いていく。


「何も知らない純粋な人。きみは異変や変化に敏感なのに――ちょうどいい、もうこのお屋敷の生活にも飽きてしまったところだし…そう、冬がいいな。白い雪が積もった日。雪が降っていてもいいかもしれないね」


 そして書きあげたものを見てゆるりと口角をあげ、ペンを机に置いて紙をこちらへ滑らせた彼。差し出された紙の角の方に書かれた美しい文字を見て、私はさらに訳が分からなくなる。


「エディ・ヘデラにとっておきのプレゼントを用意したいんだ」


 彼はそう言って肘をついていた側の腕に上半身を伏せたあと、こちらを見て腕の中でうっそりと笑った。

 何をたくらんでいるのだろう。

 彼が徐々に変化していく。魔を宿していく。それは確かに目に見えるような変化ではないけれど、背筋が凍るような空気になぜみんなは気がつかないのか。マリーたちは相変わらず書き取りに夢中なままだ。ローザやフェリシカはなぜ、彼の瞳を見て何も思わないのか。恋は盲目なのかもしれない。それとも、彼がさきほど言ったように私が異変や変化に敏感なのだろうか。


「手伝ってくれるよね?」


 それは小声ながらも有無を言わさぬ口調。逆らってはいけない。そんな気がして私は血の気が引いた様子を隠すこともなく、小さく、本当に小さく頷いた。

きらり、彼の桜色の瞳が妖しく光る。


「約束だよ?」


“今度一緒に街へ行こう。誰にも秘密で。”

 綺麗に書かれた文字は、私が再び頷いた直後、誰にも見られないように彼によって何重にも黒く塗りつぶされた。



 ――僕は彼を逃しやしない。


 いつか彼が呟いた言葉が、何故かいつまでも頭から離れなかった。

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