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夏めく庭

「何を考えているの?」


 お庭の西の、大きな木の根に座った彼が、同じく大木の根に座って読書をしている私に向かってそう呟いたのが聞こえた。

 今ここにいるのは私たちだけ。彼がどうやって、四六時中かまってこようとするローザとフェリシカを撒いているのかは知らない。そして、彼がどうやってこの大きなお屋敷の大きなお庭のなかから私の居場所を突き止めたのかも分からない。


「別に。ただ本に集中していただけだけど」


 そういって本から顔をあげると、彼は端正な顔をこちらへ向けたままそのすみれ色の瞳をすうっと細めた。

 私はこの眼差しが苦手だ。機嫌を損ねたようにも、何かを企んでいるようにも見えるからだ。


「エディ・ヘデラのことを考えていたね?」


 怯む私に彼は再び質問を投げかける。

 どうしてわかったのだろう。

 一目瞭然なほど、上の空な状態で本のページをめくっていたのだろうか。

 確かに私は主様のことを考えていた。


 最近の主様はおかしい。

 相変わらずお忙しいらしく夜遅くまでお屋敷を留守にしているし、お茶会もあまり開かなくなった。だからフェリシカのようなお茶会の常連の子たちは、お茶会に呼ばれることがない私のような子どもたちと同じくらい主様と関わる機会が減った。

 その一方で彼は、帰宅した主様に毎日のように部屋に呼び出されているようで、前に比べて一段と主様とお話をする回数が増えたらしい。おそらくローザもなのではないかと思う。あくまで予想だけれど。

 そこまではまあいい。主様はお忙しいけれどそれでもその合間を縫ってシャロンやローザに会うほどお気に入りなのだと思うだけでいいからだ。


 けれど偶然久しぶりに見た主様は、本当に異様だった。

 いつも着ていたお洋服がぶかぶかになるくらい痩せていて、それでもガリガリなわけではないけれど、その姿は前のふくよかでまるいお腹をもった主様とはまるでかけ離れていた。そして袖から覗く手はほっそりとして包帯だらけ。顔は“お優しい慈悲深き主様”の仮面がはがれかけ、気味の悪いうっとりとした笑みを浮かべて窓ガラスに映る自身を見ていたのだ。

 ぞっとした。

 主様は一体どうしたというのか。

 和やかな面差しのヒビから、陰鬱な空気をまとった化け物が姿を現しかけている。

 今まで完璧にそれを隠してきた主様が、一体どうして。


 何かがおかしい。


 そしてそんな主様の変わり果てた姿をほとんど毎日見ているのにもかかわらず、いつも通りの綺麗で柔らかな頬笑みを浮かべる彼もまた、私にとっては異常だった。


 ――僕は彼を逃がしやしない


 主様の変化を考えるたびにあの冬の日の枯れたバラを思い出し、もしかして彼が主様に何かしたのではないかと思うときもある。

 けれども今私を見つめている彼も化け物かもしれないと思うと、何をしたのかなんて無鉄砲に聞くことが怖い。


「アミディアはエディ・ヘデラのことばかり。つまらないなあ。いまきみといるのは僕なのにね?」


 いつまでも何も言わない私を見て、彼は質問の答えを肯定ととったようだった。間違ってはいないけれど、そうふてくされても困る。別に一緒にいたくて一緒にいるわけじゃない。彼が勝手に私のもとへ来るだけだ。それに正確にいえば彼のことも考えている。


「シャロンがこのお屋敷に来てもうすぐ一年がたつのね、って考えていたのよ」


 だけど考えていることを全て正直に言うわけにもいかず、私は適当に言葉を探してそう伝えた。私の返答を聞いた彼は胡散臭そうな表情でふうんとだけ答えるものだから、嘘じゃないわ、と嘘を重ねる。


 夏は盛りを迎え、あと二回満月を迎えれば秋がやってくる。彼がこのお屋敷にやってきたときと同じ秋が。一年というのは過ごしていれば長いけれど、思い返せばあっという間だ。

 彼はこのお屋敷に来てから少し背が伸びたようだった。相変わらず主様の方が大きいけれど、ついこの前まで私とさほど変わらない高さだったのに、今は彼の方が頭半分くらい大きい。

 

「アミディア」

「うん?」

「アミディア・メイアス、フィフィ」

「なあに?」

「呼んでみただけ」


 彼は意味もなく私の名前を呼ぶときがある。それは決まって二人きりのとき。言葉遊びをするように私の名前を囁き、私の反応を楽しむ。そしてこの流れの最後、彼は必ずこう言うのだ。


「本当になあんにも知らないんだね、アミディアは」


 何を知らないというのか。

 私はいつもそれが気になっているけれど、それを言うときの彼はどこか魔を宿しているように妖しく口端を歪めるものだから、言葉が出てこなくなる。そしてそんな風になる私を見て彼は一層笑みを深め、髪のひと束にキスを落としてひとりどこかへ行ってしまうのだった。

 これがローザやフェリシカなら喜んだかもしれないけれど、私は到底そんな気分にはなれない。


 開きっぱなしの本が風に揺れ、大木の下には私ひとり。


 彼はときどきヒントを残していく。それはアロイスのことだったり、主様のことだったり、彼自身のことだったり。

 今の言葉は、行動は、何かのヒントなのか。それとも単に私の反応を楽しんでいるだけで、意味のないものなのだろうか。

 本を閉じて静かに考えてみても、賢くもない私には答えを見つけることができない。

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