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お別れの時間

 ポピーのお別れ会は、木の葉が瑞々しい緑色に染まるころ、主様が不在のお屋敷で行われた。

 相変わらず朝早くに出かけてしまった主様を見てポピーは何か物言いたげではあったけれど、怒ることも悲しむこともしなかった。

 いつもと同じように髪をぴっちりと結い上げている彼女は、明後日から隣町のお屋敷で使用人として働くらしい。もうこのポニーテールが揺れるのを見られなくなるのかと思うとなんだか切ない。

 だけど私たちはみんな、別れの淋しさを隠しながら、明るくポピーを見送ろうとはしゃいだ。

 深緑に包まれたお屋敷に笑い声や歌声がこだまする。


 こんな一日が暮れるのはいつもよりうんと早い。

 盛大な、けれど子どもらしいささやかなお別れパーティーが幕を閉じ、お屋敷の住人はやがてやってくる明日を迎えるために寝床の準備をする。

 ここからは静かなお別れの時間。

 このお屋敷を出ていくものはたいてい、旅立つ前日の夜を一人部屋で過ごす。そこはシャロンやローザが使っているようなものではなく小ぢんまりとした素朴な寝室で、消灯時間が来るまでのあいだ、ひとりひとりがその部屋へお別れの挨拶をしに行くのだ。それがこのお屋敷の伝統であり、旅立ちの儀式のようなものでもある。


「いらっしゃい、アミー」


 私を迎え入れるためにドアを開けたポピーは、さっきまで泣いていたようだった。目がいつもより潤んでいる。いつもの凛としたポピーはそこにはおらず、薄暗い明りに照らされた彼女は脆く今にも倒れてしまいそうな印象を受けた。

 促されるままにベッドに座り、その隣を彼女が座ったけれど、先ほどから空気は重い。私は何と声をかければいいのか分からず、何と言って別れを切り出せばいいのかも分からず、ただ無言で包みを差し出した。お別れのプレゼントだ。

 私がお小遣いで買ったそれを、彼女は無言で受取り包みから中を取り出したあと、ひざの上に置いてページをめくり始めた。ゆらゆらと部屋の明かりが揺れ、静かな時間が流れる。


「私が好きな絵本よ。図書室でよく読んだの。ずうっとね、私、この妖精がね、ポピーに似ていると思っていたの」


 あまりにもポピーが喋らないものだから、私はついに耐えられなくなって、これをプレゼントにした理由を説明しようと考えた。絵本に描かれた青いきれいな妖精の絵を指さして、頭の中で次の言葉を選ぶ。

 すると次の瞬間、彼女はわっと声をあげて泣き始めたのだった。

 ぎょっとしてしまった。ある程度涙ぐむ機会はあるだろうと予想していたけれど、まさかここまで泣くものとは思っていなかったから。

 背中をさするべきなのか、ハンカチを渡すべきなのか。こういう時どうすればいいのか分からなくておろおろする。

 けれど彼女は加えて、ごめんなさい、私、昔はあなたが嫌いだったのよ、と衝撃的なことを泣き叫ぶものだから、さらに混乱してしまった。


「ポ、ポピー、あの、ね」

「あ、ち、ちがうの! 嫌いなわけじゃなくて」

「あの」

「アミーのことは好きだったのよ、かわいくて、おてんばで、憎めない子だった。けれど、とても妬ましかったの」


 涙にぬれた声。ポピーは俯きながら、しゃくりあげて話を続ける。だってアロイスはいつもアミーしか見ていなかったもの、と。

 それは幼いころの恋を語る一言だった。


「私、彼の藍色の綺麗な瞳も、優しい声も、あの笑い方も、鈍感なところもみんな好きだったの」


 ポピーとアロイスは同い年だ。アロイスも本当は今年で14歳になる。年が近ければ、それだけ想いを寄せやすいのは何となく理解できる。ぐすぐすと鼻をすするポピー。いつも彼女はアロイスをみていたのだ。

 それを私は。申し訳ない気持ちになってつい俯く。いつもやんちゃばかりする妹からアロイスは目が離せなかったのだろう。意図していたわけではなくても、アロイスの視線を独り占めしていたのは私だ。どうしようもない気持ちに、自然と下がる眉。

 そんな落ち込んだ私の髪を、ポピーはしなやかな手つきで梳き始めた。耳のそばで控えめで困ったような声が聞こえる。


「ごめんなさい、落ち込まないで。私は本当にアミーのことが好きよ。ずっとあなたの髪、結ってあげたかったの…。ねえ知ってる? アロイスったらあなたにしかあのくせ毛、触れさせなかったのよ。でも彼ったら、アミーの髪も誰にも触れさせなかった」


 なにかこだわりがあったのかしらね、と思い出すように笑って私の髪をもうひと梳きしたあと、ポピーは私の両手を、その暖かな両手で包みこんだ。部屋の明かりが私たちを照らし、2人分の影がゆらゆらと揺れる。見つめ合うと、彼女は潤んだ瞳を細めてにこりと微笑んだ。鼻はすすっているものの、もう涙を流してはいなかった。


「アミー、あなたにお別れのプレゼントをあげるわ」


 あなたにだけ特別よ、と囁いてから、彼女はポケットに左手を入れて何かを取り出したあと、それを私の両手に握りこませる。そっと手を開いてみると、そこには掌より少し小さいほどの小綺麗な装飾が施された鍵。

 どこの鍵だろうか。とても凝ったデザインをしている。

 私がそれを両手に乗せたまままじまじと見つめていると、再び彼女の両手がぎゅっと力を込めて私の手を包み込んだ。


「宝箱の鍵よ。それがどこにあるのか、そしてその中身をどうするのかはアミーが自分で考えなさい」

「宝箱の…?」

「私ね、みんなが思うほど優等生じゃないの。その鍵はね、本物をこっそり借りて街で作ってもらった合鍵」


 宝箱の鍵が2つもあるなんてナンセンスじゃない? だからその鍵を持っていることは誰にも内緒よ、と、ポピーはいたずらっこのように笑った。その表情があどけなくて、私もつられるようにへへっと笑う。

 

 二人きりの部屋で、たくさんのお話をした。私がいたずら好きでポピーはどれだけハラハラしたかとか、アロイスは苦い食べ物があまり好きではないとか、とりとめのない思い出話を。

 そして、もう寝る時間ね、と囁いたから、そうね、と相槌を打って立ち上がった私たち。


「お屋敷を出るとき、よければ私のところに来なさいな。お館様には私が話を通してあげるから」

「ありがとう、ポピー」


 さようならのかわりにおやすみなさいと挨拶を交わした。

 一人部屋の扉が閉じる。


 次の日の朝、ポピーはみんなに見送られてお屋敷から去って行った。

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