夜明け前
すやすやと、ルームメイトたちの寝息が聞こえる。彼女たちはどんな夢を見ているのだろう。
消灯から随分と時間が経ったけれど、一向に眠れる気がしない。
アロイスが紡ぐ魔法の言葉は、私たちの故郷の言語だった。
優しい腕の中で聞いたあの不思議な歌は、私たちの故郷の民謡だった。
どのようにしてアロイスは私を盗賊から守り、そしてそのことを忘れさせたのだろう。魔法使いのような人だと思ってはいたけれど、実はほんとうに魔法が使えたのだろうか。
――ニーノ、涙をふくから動かないで。
兄は頻繁に不思議な言葉を使った。私は何も知らずにそれを聞き流したりオウム返しをしていたりしたけれど、あれはもしかしたら。
――ピエリス、フィフィ。遠いところへ行こう。
アロイスはいつも、故郷に帰りたがっていたのかもしれない。言葉の節々で母語を語りながら、私の手を引いて、彼はいつも故郷へ思いを馳せていたのかもしれない。
目の前で彼のご両親は殺されたのかしら。盗賊に襲われた町はどのような光景だったのかしら。
悲しそうなそぶりは一つも見せてはくれなかった。いつも微笑んで、私がふざけたりいたずらをしたりしても困ったように眉を下げて控えめに笑うだけだった。
このお屋敷にやってきたとき、兄は9歳。今の私と同じ年。
今、このお屋敷に盗賊が入ってきて、ここに住んでいるみんなを殺してしまったら? それを私が見てしまったら? 9歳の私は5歳のころの私と違って1年前のこともちゃんと覚えている。アロイスは私が忘れてしまった惨劇を、ずっと記憶にとどめたままだったのだろうか。
考えればきりがない。ぐるぐると色々なことが頭の中をめぐっては混ざり、眠気を蹴散らしてゆく。
もっとシャロンからたくさんのことを聞きたかったけれど消灯の時間は当たり前にやってきて、疑問は解決されることなく私たちはまた明日とあいさつをした。
ニーノ、と兄の言葉を使った彼は、機会があってティロリア地方の言語を学んでいただけで、べつにそこが生まれ故郷ではないらしい。名前や髪の特徴から私がティロリア地方出身だと分かっていたから、その地方の言葉を使えば私が食いつくと思い、とっさにその言葉を使って私を引きとどめたのだという。
ティロリア生まれの友だちがいたんだ、と長い睫毛を伏せた彼。その姿は月に照らされて幻想的で、しかしどこか仄暗い闇を感じさせた。だから私は怖くなって、それ以上のことは何も聞かなかった。
窓から見える空が明るみ始めて。
もうすぐ夜が明ける。
花のつぼみが開き始めるとともに、お屋敷は変に騒がしくなり、それは私が10歳の誕生日を迎えた初夏のころにはさらいひどいものとなっていった。
「見て、アミー! シャロンがこっちを見たわ!」
「そうね。ローザもこっちを見ているわ」
フェリシカは彼への好意を隠すことなくはしゃぎ、彼の隣にいつもいるローザがそれにいち早く気付いて睨む。
「あ、こっちへ来るみたいよ、アミー」
「ちょっと二人とも、あんまりじろじろ見ないでよ」
「別にあなたを見ていたわけじゃないわ」
この短期間で、フェリシカとローザの仲はあまり良好とはいえないものになっていた。
「おはよう、アミディア、フェリシカ。何をやっていたの?」
「おはよう、シャロン」
「おはよう。ポピーへのお別れのプレゼントのことを話し合っていたのよ」
そして彼は人前でも私に話してくるようになった。
「主様は?」
「エディ・ヘデラは今日も早くから出掛けたよ」
「そう」
けれど一番の変化は主様だった。
ここ最近の主様はとてもお忙しいようで、朝早くに家を出てから日が暮れてもなかなか帰ってこない。かと思えば、大きな包帯を巻いて姿を現し、一日中お茶会を開くようになった。お茶会に呼ばれない私のような子どもたちは前よりも主様と交流することが少なくなり、けれどそれを気にとめることもない。
私たちが気付かない間にお屋敷のなかはちぐはぐになっているような気がする。
そして、彼が来て以来お屋敷には新しい子どもが入ってくることもなく、友だちが出ていくばかり。
もうすぐ年長者の一人であるポピーがここを発つ。