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月の下

 月光に照らされて浮かび上がる青白いなめらかな肌。

 いつもすみれ色をしている瞳が、暗闇の中にいるからか、今は桜色に見えた。


 さわさわと風が吹き、私の髪を静かに揺らす。


「エディ・ヘデラはもうお休みになったよ。だから今からが僕の自由時間」


 彼はそばにある木に軽くしなだれかかり、私が尋ねようとしたことへの答えを先に発した。

 どうして聞きたいことがわかったのだろう? そんなに私は普段、主様主様とさわいでいるのだろうか。


「不思議な歌をうたっていたね。続きは? 歌ってくれないの?」


 私の疑問など置いてけぼりに、話は進められる。ふるふると頭を動かして否定を示すと、そう、と溜息のように呟いて木から離れた彼。

 音もなく近づきながらうっすらと笑みを浮かべ、私のもとへとたどり着くと、彼はその白魚のような手をこちらへ差し出した。


「なあに?」

「お手をどうぞ、アミディア。月の光があるとはいえ、この薄闇では足元が見えないでしょう?」


 なるほど、貴族育ちのこの少年はたいそう紳士なお方らしい。けれど私は彼が怖い。どれだけ彼が笑顔を浮かべても、その口端を見るたびにあの池のほとりでバラを枯らした光景がちらつき、和らげられた目元が不気味なものにしか感じられない。

 別に大丈夫よ、ありがとう、と私は胸の前で掌を見せ、これ以上近づかないでほしいというしぐさをする。けれどその手を。


「だめだよ」


 だってきみ、ないていたでしょう、と。彼はその手をつかんだ。

 少しだけ肩がはねた。もしかしてミイラにされてしまうのかもしれないと思ったから。バラを枯らした彼に触れれば、私もあの花のように朽ち果ててしまうのかもしれないと思ったのだ。


 けれど私が干からびることはなく、そして朽ちることもなく。小さく安心する私の目元を、彼は少し伸ばした裾で優しくこすったのだった。


「涙をながしていては前も見えないよ?」


 闇に輝く桜色の瞳が私の顔を覗き込む。彼はほんとうに何者なのだろうか。



 冬が終わるだろうこのごろになっても虫はまだ鳴き始めてはおらず、あたりは私たちの土や芝を踏む音だけ。

 春が近いといってもつぼみはまだ固い。春の前は様々なものがその姿を隠し、息をひそめ、生まれる前の準備をしている。けれどここはこんなにも静かだっただろうか。


 お庭はすごく整理されているわけでもなかったけれど荒れているわけでもなくて、とりわけ月の光が明るい今夜は道端で躓くことも小枝を引っかけることもないだろうに、彼は私の手をはなさなかった。


「ここへ座ろう」


 私が行こうとしていた東のテラスとは少しずれたところにあるお庭のすみのベンチに座っても、彼は私の手をはなさなかった。

 少しの恐怖と、少しの安心感。矛盾した気持ちが私の中に渦巻き、手をはなそうかそれとも手をはなすまいかという葛藤が生まれる。


「ねえアミディア」


 そんな複雑な気持ちを抱えた私に向かって、彼は月を見上げながら声を発した。


「どうして泣いていたの?」


 夕食の時も目をはらしていたね、と。静かに告げられた言葉に私はぎくりとなり、つないでいた手をさっとひっこめる。


 見られていた。

 見ていた。

 彼は私を見ていた。

 広いお屋敷の、43人が集まる広いダイニングで、彼は私を見ていた。

 私は彼のそばに寄らないようにしているのに。


 ――最近はよく会うね

 ――それは僕がわざわざ君を探しているからだよ、アミディア


 彼はなぜ私のもとへとやってくるのだろう。

 この広いお屋敷で、なぜ彼は私をすぐに見つけられるのだろう。

 この夜の広いお庭で、なぜ彼は私を見つけられたのだろう。

 なぜ?


 ――僕は彼を逃しはしない。


 バラを一瞬で枯らした彼の目的は、一体何なんだろう。


「手を」

「わたし、もう、帰らなきゃ」


 はじかれたようにしてベンチから立ち上がる。彼が続きに何を話すつもりだったかは知らない。手を離したことについて何か言うつもりだったようだけれど、そんなのどうだっていい。ただ彼が怖い。


「まって、アミディア」

「もう消灯の時間よ」

「まだだよ」

「だって」

「ニーノ、アミディア」

「え…?」

「ニーノ。ニーノ、アミディア、落ち着いて」

「あ…」

「ニーノ、フィフィ。行かないで」

「ニーノ…フィフィ…」


 なぜそれを。


 ――ニーノ、フィフィ。泣くとおなかがすいてしまうよ。


 それはアロイスがよく使った言葉。

 大きな木の幹にお化けが見えると泣いた私に言ってくれた魔法の呪文。

 彼がこれを言うときはいつも、抱きしめて、優しく背中をなでてくれた。


 その言葉を、なぜ。


「どうして?」


 どうしてあなたが知っているの?


 透き通った風が木々のあいだをとおりぬける。

 立ちあがったまま唖然とする私を彼は困った顔で見上げた。


「ニーノ、いい子、落ち着いて」

「シャロン」

「いい子、いい子、ニーノ、アミディア」

「ねえシャロン」

「落ち着いた?」

「わからない、ねえ、どうしてその言葉を知っているの?」

「落ち着いて。ニーノ、フィフィ、とりあえず座ろう、ね?」

「…ええ」


 再び座ったとき、彼は手をつないでくることはなかった。

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