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嗚呼、出会いの季節哉

作者: りきやん

春、と言えば出会いの季節。

新しく始まる生活に胸を踊らせ、あわよくば、あまーい恋の展開も期待してみたり。

私、桜庭 結(さくらば ゆい)も無事に高校1年生になり、そんな輝かしい未来を夢見ていたのだ。

そう、夢、見ていた。

けれども、神様とは意地悪なもので、どうやら私のために、全身を貫いてくれるほどの大きく鋭い刺を持った茨の道を用意して下さったらしい。


「おい、聞いてんのか?」


ひらひらと目の前で振られる手が、これ以上ない程に憎たらしい。

条件反射で払い除けたが、触れることはなく、私の手は虚しく宙を掠っただけだった。

原因を睨みつければ、相手はへらへらと軽薄な笑みを浮かべている。


「ったく。ちゃんと俺が言ったこと理解してるのか?」

「私は知らん。関わりたくない」

「だーかーらー、この桜を切り倒そうとしてる校長を、さくっと()ってくれって言ってるだけじゃん」

「そんなこと出来るかーっ!」


とんでもなく常識外れなことを言ってくる、おめでたいピンク色の頭をした男。

その瞳も頭と同じおめでたいピンク色だった。

着ている服は、この学校の生徒ではないことを示すような、いや、そもそもこの時代の人間ではないことを主張するかのような、柔らかな茶色の着物。

これだけなら、髪を染めてカラコンをした時代倒錯の男、とでも思っておけば良いのだが、それでは、触れることが出来ない点については説明がつかない。

そう、この目にはっきりと映る、このピンク色の男は人間ではないのだ。

年は私と同じくらいに見えるが、この桜の樹齢と同じことを考えれば、かなり上だろう。


昔から、人には見えないものが見えていた私。

道端に目を向ければ、うずくまる子供。

天井に目を向ければ、もの言いたげにこちらを見据える女。

ベッドの下を覗けば、横になって転がっているおじさん。

極めつけは、お母さんの後ろに死んでも尚、憑き纏っている父親。

お父さんは別として、そういったものには極力関わらずに生きてきたというのに。

何を間違えたか、高校生になって浮かれていた私は、注意を怠ってしまったのだ。

HR前の休み時間に、学校探検を兼ねて旧校舎裏に生えていた立派な桜を見ていた私は、背後から掛けられた声に不注意にも答えを返した。


「どうだ?立派な桜だろ?」

「はい。とっても綺麗ですね」

「…お前、俺の声が聞こえるのか?」


時すでに遅し。

振り返った時には、相手に「見える人間」として認識されていた。

学校の生徒か先生に話しかけられたと勘違いしていた私をぶん殴ってやりたい。

自称、桜の精霊とやらに、立派に取り憑かれてしまった。

このピンク男が言うには、どうやら、旧校舎の取り壊しに伴い、校長がこの桜を切り倒してしまおうと画策しているらしい。

そうなれば、こいつの命は無いも同然。

そこで、どうにかして切り倒されないように、学生の署名を集めてくれ!など頼んでくるのであれば、可愛いものの。

どこか思考がぶっ飛んでいるらしいピンク男は、殺られる前に殺る!とのたまい、私に校長の殺害を頼んできた。


「こんな綺麗な桜が切り倒されるの、惜しいと思わないのか?!」

「はいはい、惜しいですねー」

「おい、ちゃんと答えろ、こら!」


ぎゃんぎゃん喚き散らすピンク男を放って、とっととこの場を離れようと校舎裏を後にする。

桜から離れてしまえば、こっちのものだろう。

この男も新校舎まで追ってくることは出来ないはずだ。


■ □ ■ □


という考えは、どうやら甘かったらしい。

ピンク男は、新校舎まで私を追ってきた。


「おい、聞こえてんだろ?返事しろよ。無視か?無視なのか?」


相変わらず、私の周囲で吠えまわっているピンク男は大馬鹿に違いない。

誰もいなかった旧校舎裏とは違い、ここには生徒がたくさんいる。

そんな中で、返事をしようものなら、私はたちまち独り言を呟く痛い奴として学校中に知れ渡るだろう。

せっかく第一希望の高校に進学したのに、そんなことでイジメられたりするのは嫌に決まっている。

幸い、数々の見えてはいけないものを見てきた私にとって、何かを無視をすることは簡単なことだった。

喚き立てるピンク男を放って、私は教室の扉を開けて中に入る。


「あ、桜庭さん、来たね」


どうやら戻って来ていなかったのは私だけのようで、本日の日直である篠田 春平(しのだ しゅんぺい)君に、そう言われてしまった。

ごめんなさい、とクラスのみんなに苦笑いしながら謝れば、大丈夫だよー、と何人かが返してくれた。

みんな優しい。


「じゃ、HRを始めまーす」

「なぁなぁ、ほーむるーむってなんだ?」


席についた私の周囲を、未だにうろちょろしているピンク男を無視して、斜め前に座る篠田君の背中に目を向ける。

今はまだ、名前順に席についているのだが、どうやら女子の方が「さ」より前の人数が多かったようだ。

後1人、「さ」より前の苗字を持つ人が少なければ、篠田君と隣の席だったのに。

爽やかな笑顔に、さらさらと靡く黒髪。

男子にしては白い肌に、長い指がすらりと伸びた美しい手。

篠田君は、かっこいい。

クラスの女子数名と、初日に盛り上がった程に、かっこいい。

ただ、問題があるとすれば1つだけ。


「………」


その背中に、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべた、ハゲ散らかした頭のみすぼらしい老人を背負っていることだろう。


「何こいつ、厄病神背負ってんじゃん」


横でゲラゲラ笑っているピンク男を、私は黙れとばかりに睨みつける。

けれども、それはピンク男をすり抜けて、向かいに座る男子に受け取られたらしく、突然睨まれたことに目を剥いて驚いていた。

うん、ごめん。


■ □ ■ □


「たーだいまー」

「おかえり、結」

「おかえりー!我が子よ!」


ダイビングしてきた父親を華麗にかわし、私は靴を脱いで家に上がった。

霊体であるおかげで、床に突っ込む前に上手く体制を立て直した父は、泣き真似をして私の気を引こうとしている。

無視だ、無視。

やっと、あのピンク男と離れられたのだ。

鬱陶しいのは、しばらく勘弁願いたい。

校門をくぐったところで、ピンク男がすっと消えていった時には、本当にせいせいした。


「あらあら、お父さんを無視しちゃ、かわいそうでしょ?」

「だって、面倒なんだもん」

「お父さん、泣くよ!結、お父さん泣いちゃうよ?!」


母よりか幾分、若く見える父に軽蔑の眼差しを送った後、私は自分の部屋に向かう。

ご覧の通り、お母さんも私と同じで見えてはいけないものが、見えるらしい。

要するに、私のこの能力はお母さんから受け継がれたものだ。

昔は、サラリーマンとして働いていた父だが、死んでからはそうはいかない。

家でニートをしている。

そして、主婦だった母は、父が遺してくれた保険金で株を始めたところ大当たり。

今では毎日、数回パソコンに向かうだけで、がっぽがっぽらしい。

我が家ながら、とんでもない家庭だと思う。


「あー、疲れた」


鞄を床に投げ出して、ごろんとベッドにうつ伏せに転がる。

このまま天井を見上げれば、いつものようにこちらを見据える女が目に入るのだろう。

そう思いながら、仰向けに寝返りを打ったのだが、予想もしない光景に思わず飛び起きた。


「ちょ、なんで、あんたがいるの?!」

「桜の大精霊様に不可能などない!ところで、お前の名前、結って言うんだな」

「このストーカー!消えたふりして、後をつけてきたのか!」


いつもこっちを見つめている女が、天井の隅に追いやられている。

身体を縮こまらせて、私ではなく、ピンク男を恨めしげに見ていた。


「いいから、早く降りてきてよ。その人かわいそうでしょ」

「何?こいつと友達なの?」

「その人はただの居候」


すごすごとピンク男が降りると、天井女がほっとしたように定位置に戻る。

そして、いつものようにもの言いたげな視線を私に向け始めた。


「あいつ放っといていいの?お前のことめっちゃ見てるけど」

「どうでもいいの。悪さするわけじゃないし」

「ふーん」


ピンク男は言いながら、珍しそうに私の部屋を眺め回す。

精霊だか何だか知らないが、男の姿をとっているものに、じろじろ見られるのはあまり良い気分ではない。

どうしようかと考えこんで、私はあることを思いついた。


「とりあえず、リビング行こう」

「リビング?」

「うん」


お父さんとお母さんなら、こいつを何とかしてくれるかもしれない。


■ □ ■ □


「ああああああああ!結があああああ!男をおおおおおおおおお!連れて来たああああああ!」

「お父さん、うるさい」


ピンク男を見るなり、奇声を上げ始め、床をのた打ち回る父を睨んで黙らせる。

霊体になってからというもの、物にぶつからないのを良いことに、父の動きが激しくなった気がする。

お母さんはといえば、頬に手を添えて呑気に微笑んでいた。


「あらあら、イケメンじゃないの。どこで捕まえてきた彼氏さん?」

「いや、ピンク頭とか私の趣味じゃないから、お母さん」

「…お前の家族、変わってんな」


変わった存在のピンク男にそう言われてしまえば、うちの家族も型なしだ。

私の口からはため息しか出てこない。

とりあえず、のた打ち回る父を宥め、母の誤解を解き、私は両親に隣に座るピンク男について説明する。

2人は真剣に私の話しを聞いた後、これまた真剣な表情で、ひとつ頷いた。


「校長先生を暗殺しましょう」

「そうしよう」

「なんでそーなるっ?!」


ばん、と目の前にある机を私は叩く。


「だって、それが1番手っ取り早いじゃない?」


優雅に微笑む母親の口から出て良い言葉ではない。

私は痛む頭を抑えながら、首を横に降った。


「もっとさぁ、平和的に解決できる方法があると思うんだよね」

「そうか、そうか。結は自信が無いんだな。お父さんが誰かに取り憑いて、代わりに殺ってこようか?」

「そういう問題じゃないからあああああ!」


人の命を何だと思っている。

そんなにさくっと殺って殺られるような世の中になってたまるか。

どうやら、死んでも人が居座り続けることができる事を知っている私の両親は、命に対しての倫理観が欠けているらしい。


「もう、そうやってワガママ言うなら、自分で解決しなさい」

「そうするよ!言われなくても、そうしますよ!」


まるで私が悪いとでも言うように、嗜めているが、おかしいのはお父さんとお母さんだからな。

そこ、間違えないように。


「ピンク君、結のことお願いね。あんまりワガママ言うようだったら、私達に言いにくるのよ?」

「結の彼氏じゃないんだよね?憑いてるだけなんだよね?」

「もちろんです、俺にも好みってものがありますから。これから、どうぞよろしくお願いします、お父様、お母様!」


おい、さりげなく娘がけなされていることに気づけ、両親。

そして、人のことを貶めておいて、お父様とかお母様とか呼ぶな、ピンク男!


「もういい、私、部屋に戻るからね!」


ふてくされてそう呟けば、勝手にしろとばかりに3人は反応もしない。

なぜだか、私抜きで盛り上がっている父と母、そしてピンク男に、不満を感じずにはいられない。

許すまじ、桜の精霊とやら。

桜庭、という自分の苗字さえ嫌いになりそうだ。


■ □ ■ □


時は巡って、翌朝。

今日も1日、このピンク男に憑き纏われなければならないのか、と思うと気が重い。

更には、朝から全校集会などという面倒な行事が控えているのも、私の気分をこれでもかというほど落としてくれる。


「はぁ…」

「どうしたの、桜庭さん?体調悪い?」

「ううん、大丈夫。ありがとう、篠田君」


篠田君は、無理しないでね、と爽やかな笑顔を私に向けてくれる。

あぁ、篠田君、本当にかっこいい。

胸がきゅんきゅんする。

後ろから、厄病神が覗いていなければ、完璧なんだけどな。

底冷えするような寒さの体育館で整列させられ、全員が揃うまで待たされるのはとてつもなく苦痛だ。

体育館で整列するときは、身長順に並ぶ。

女子の中でも割と高い身長の私は、男子の中でも身長が高い篠田君と運が良いことに隣同士だった。


「おい、結。これから何が始まるんだ?儀式か?」


よく分からないことを言っているピンク男は、当然無視。

視界に入れないようにしようと、明後日の方向を見れば、先生が並ぶ席に一際目立つイケメンが座っていた。

理知的な目は鋭く釣り上がっており、細いフレームの眼鏡がとても似合っている。

薄い唇が、より冷たい印象をその人の表情に与えているが、それでも、イケメンに変わりはなかった。

誰だろう、と頭を捻ったところで、隣のクラスの女子たちの噂話が耳に飛び込んできた。


「あの先生、ちょーかっこいい!誰?何の先生?」

「あの人、理事長らしいよ」

「えー?!めっちゃ若くない?」

「なんか、父親から、最近、学校の運営を任されたんだって」

「まじで?!うわー、理事長先生かー!」

「でもさー、理事長だと、うちらの教科担当とかにはならないよね」

「めっちゃ残念!」


ほうほう、あの人は理事長なのか。

言われてみれば、1人だけ他の先生とは離れた席に座っているし、スーツもかっちりと着こなしていて、周囲とは一線を画している。


「何、お前、ああいうのが好みなの?あいつ、絶対Sだぜ!」


そんな話は、誰も聞いていない。

ぺらぺらとしゃべり続けるピンク男を睨みつければ、大変残念なことに、視線はそいつをすり抜けて、篠田君に受け取られてしまう。


「えっと…」


言葉を失くした篠田君が視線を逸らすようにそっぽを向いたことに、全私が泣いた。


■ □ ■ □


その日は、篠田君から私へと厄病神が乗り換えたのではないかと思うほど、運が悪い日だった。

けれども、いくら自分の背中を見ても厄病神はいない。

相変わらず、篠田君に憑いている。

本日の災厄は、篠田君を睨みつけてしまったことから始まり、昼休みはピンク男を追い払おうと悪戦苦闘した挙句に、お弁当をぶちまけた。

極めつけは、放課後になぜかクラス全員分のノートを運ぶなどという雑用まで押し付けられている。


「厄日だ」


ふっ、と乾いた笑みを浮かべて、窓の外へと目を向ける。

外では、放課後のクラブ活動なのか、サッカー部と野球部が一生懸命動き回っている。

あぁ、校庭の隅に植えられた柳がうらやましい。

あんな風に、誰にも気にされずに、そっとしておいてもらえる人生が良かった。

私の周りには、私に無言の視線を送ったり、つきまとったりしてくる人外が多すぎる。


「厄日ぃ?何言ってんだよ。今日も良い日だろー?俺が美しく咲いてるぜ」

「聞いてない」


私にとっての良い日かどうかは、お前の咲き具合で決まるわけではない。

腕に抱えたノートを、もう1度抱え直しながら階段をのぼる。


「それより、俺を切り倒されないようにするための策、早く考えろよ」

「あんたねぇ、自分の命なのに人任せすぎる。それに、咲いてる春の内は切り倒されないでしょ」


人がいないことを良いことに、ピンク男に私は言い返す。

けれども、へらへらと笑みを浮かべていたピンク男が、途端にしょんぼりと眉を下げたので、私は驚いた。


「春の内、はな」

「まだ時間はあるじゃない」

「…俺、さ。新しく入ってくる学生を喜ばせるために、あそこに植えられたんだよ」


いきなり始まった出生トーク。

私の手が空いていれば、間違いなく耳を塞いでいただろう。

人外のこういう類の話は、聞いたら確実に、こちらが損をする。


「旧校舎を使っていた内は、春になると、みんな俺の下で写真を撮ったり、花見をしたりしてさ。人気者だったんだよ。それなのに、校舎が移っちまってから、俺のところに誰も来なくなった。夏、秋、冬、はもちろん。春になってもだ。」


ぐず、とピンク男が鼻をすする。

だから、嫌なのだ。

この類の話は。


「お前が見に来てくれた時、すげー嬉しかったんだよ。あぁ、新入生が俺を見に来てくれたんだ、って。だから、俺も精一杯迎えてやろうって」

「あー!!!もう、分かった!分かったから!」


私は大声でピンク男の話を遮ると、鼻息も荒く半ばやけくそになって叫んだ。


「切り倒されないように、するから!私が何とかしてあげるから!」

「さすがだな、結!お父様とお母様の子供なだけあるな!頼りにしてるぜ!」


途端に表情を変えて、喜び飛び回るピンク男に、してやられた感がたまらない。

私は職員室のドアを足で開けながら、軽はずみに何とかする、などと言ったことを早速後悔していた。


「はい、先生」

「おー、ご苦労さん」


私をこき使った理科教師の前に、どん、とノートを置く。

特にこっそりお菓子をくれたりすることもなく、用事は済んだとばかりに直ちに追い返された。

しけた教師め。

憤然とした態度で職員室を後にしようと足を向ければ、理事長先生と校長先生が何かを話し合っている姿が目に入ってくる。

学校運営も、楽じゃないんだろうな。

いや、しかし、理事長先生かっこいい。

校長先生のハゲ頭が際立って見えるわ。

篠田君とどっちがかっこいいかなー、なんてじろじろと理事長先生を眺め回していれば、相手に気づかれたのか視線がこちらを向く。

ばっちりと目が合ってしまい、気まずくなった私は慌てて職員室を飛び出した。


「なんだよ、やっぱりああいうのが好みなのか?」


その後ろでにやにやと笑っているピンク男は気にしない。


「篠田ってやつと、あの理事長、どっちが良いんだよ?おい、誰にも言わないから教えろって」


お前は女子か!

階段を降りながら、私は我慢ならなくなって思わず振り返る。


「うっさいわね!あんたに関係ないでしょ」

「うわぁっ!」


私が怒鳴るのと、誰かが階段で足を滑らせたのは、同時だった。

激しい音を立てながら、私の横を華麗に転がり落ちていく。

呆然としてその姿を視線で終えば、床で目を回しているのはよく知った姿だった。


「し、篠田君…」


その背中に憑いている厄病神が、根性の曲がった汚い笑みを浮かべた。


■ □ ■ □


「カッコ悪いところ見られちゃったね」

「いや、っていうか、私のせいだよね?私が突然振り向いて怒鳴ったから、びっくりして足を滑らせたんだよね?」

「違うよ。僕さ、良く足を滑らせたり、車に跳ねられたりするんだよね。桜庭さんのせいじゃないと思う」


あなたの背中に憑いている厄病神が、これでもかという程、ほくそ笑んでいますが。

彼に振りかかる不幸の数々は、間違いなくこいつのせいだろう。

この前は電車で財布を盗まれちゃった、なんて笑う篠田君に涙がちょちょ切れる。


「あー、えーと、なんというか、篠田君。お祓いとか行ったら、もしかしたら運気上がるかもよ」


ぎろり、と厄病神を睨みつけてやれば、お祓いされることに恐れを成したのかササッと篠田くんの背中に身を隠す。

篠田君は呑気に笑った。


「桜庭さんって、占いとか信じる人?」

「占い?自分に都合の良いところは信じるよ」

「あれ?お祓いとか言うから、そういうのも全部信じるのかと思った」

「まぁ、それとこれとは別というか…。そういう篠田君は信じてないの?」


うん、と篠田くんは頷く。


「きっと、僕がどんくさいだけだろうしね」


こういうタイプだからこそ、厄病神もその背中に居座りやすいだろう。

信じている人間なら、さっさとお祓いして、こんな奴とはおさらばしているだろうし。

篠田君のために、お祓い術を学ぶのも悪くないかもしれない。

さっきから黙っているピンク男は、興味深そうに厄病神を突いたり、引っ張ったりしている。

迷惑そうにしている厄病神に、そのままピンク男に乗り換えてしまえ、と心のなかで勧めておいた。

そして、2人でどっかへ消えてしまえ。

この余計な者たちがいなければ、もっと篠田君にきゅんきゅんしながら、廊下を歩いていたことだろう。

誰もいない放課後の廊下に、2人きりで並んで歩く。

柔らかな夕日の光が、私達を照らしだし…。


「お前、ほんとに厄病神?やっぱ厄病神ってみんな、みすぼらしいのか?ん?おい、なんとか言ってみろよ?」


青春の1ページとして、最高のシチュエーションのはずなのに!

ピンク男と厄病神さえいなければ!

小学生のように厄病神を虐めているピンク男に無言でやめるように圧力をかけておく。


「桜庭さんってさ、不思議な人だよね」


自分の背中にまさか2人も背負っているとは知らない篠田君が、朗らかに笑う。

私はえ?と聞き返した。


「いつも、どこか遠くを見ているよね。何を見てるのかな、って目線を追ってみても、その先には特に何も無いし」

「あっはっは、そうかなー?えー、そうかなー?あれじゃない?ぼーっとしてるから、虚空を見つめてるように見えるんだよ、うん」


とんでもなく危ない人じゃないか、自分。

明日からは、しっかり前を見つめて生きていこうと決心する。

篠田くんはクスリ、と笑った。


「でも、そうしてる時の桜庭さん、結構好きかも」


どきり、と胸が高鳴る。

篠田くんが歩みを止め、振り向いた。

釣られるように私も足を止める。

おい、ピンク男、そこでヒューヒューとか口で言うのをやめろ。


「あの、さ。もし良かったら、桜庭さんのこと、結さんって呼んでも良いかな?」

「えっ…!あ、あの、そしたら、私も、あの、その、篠田君のこと春…」

「君!」


おい、誰だ。

私と篠田君の邪魔をする無粋な奴は。

目線で殺してやろうかと、振り向けば、そこに立っていたのは理事長。

あらやだ、イケメン。などと思う暇もなく、強い力で腕を掴まれた。


「ちょ、何ですか?」


突然そんなことをされて、戸惑わない人間がいるだろうか?

篠田くんはもちろん、厄病神とピンク男も呆然として成り行きを見ていた。


「少し、聞きたいことがある」


有無を言わせずに、腕を引かれ、ずるずると廊下を引きずられる。

篠田君を振り返る間もなく、手近な空き教室に連れ込まれ、あろうことか理事長は扉に鍵を掛けてしまった。


「理事長先生、ですよね?何の用でしょうか?」

「いや、確認を取りたいことがあってね」


くい、と理事長が眼鏡を押し上げる。

なんだ、私は何かこの人の気に障るようなことをしたのだろうか?

そして、篠田君はともかく、壁をすり抜けられるピンク男は何故、私を追いかけてこない。

いつまで、成り行きを見守ってるんだ。


「君と一緒にいたピンクの男、あれは旧校舎裏の桜だね?」


心の中でピンク男に向かって罵詈雑言を並べ立てていた私は、ハッとする。

もしかして、理事長先生は見える人?

お母さん以外で、初めてだ。

嬉しくなった私は、思わず顔を上げる。


「先生も、見えるんですか?」

「あぁ、見えるよ。君と一緒にいた男の子にも、何か憑いていたね」


眼鏡の奥の瞳が、ゆるりと細められる。

その瞳が、日本人ではあり得ないような鮮やかな緑色をしていることに気付き、私は首を傾げた。

理事長はハーフなのだろうか?


「それで、君はどうしてあの桜と一緒にいたんだい?」

「一緒にいる、というか、憑かれた、というか…。校長先生が彼を切り倒すのを阻止してくれって頼まれたんです。」

「君は協力を?」

「えぇ、一応は…ッ!?」


協力していることに肯定を示した途端、理事長が私の肩を強く押す。

受け止め切れなかった私は、そのまま床に倒れこみ、しこたま頭をぶつけた。

めっちゃ痛い、これ、絶対たんこぶになる。

いきなり生徒に暴力を振るうとは、どういう了見だ。

教育委員会に訴えて、クビにするぞ!という思いで、理事長を睨めば、尋常ではないトチ狂った笑みに私の背筋が凍った。


「ダメだよ。やっと、あの目障りな桜を切り倒せるのに…。あいつがいなければ、僕は、美しい花を咲かせずとも、この学校の人気者になれるはずなんだ」


話し方の変わった理事長に、私は瞬時に理解した。

この人、中身に取り憑かれている。

二重人格者でも無い限り、この様子は完全に取り憑かれた人間のものだ。

しまった、まずい、と思いながら身体を起こすが、素早く取り押さえられ、再び床に押し倒される。

ご丁寧なことに、今度は馬乗りになってきた。


「君に恨みはないけどね。あの桜に協力する奴は許せないんだよ」

「ちょ、待った待った!あなた、誰なの?理事長じゃないでしょ?!」

「うん、そうだよ。僕は理事長じゃない」


鮮やかな緑色が、私をじっと見つめる。


「僕は、校庭に植わった柳だ」


ノートを運んでいた時に、目に映った柳を私は思い出す。

あぁ、そういえば、あの柳みたいに誰の目にもつかないように放っといてくれ、とか考えたな。


「せっかく校長をそそのかして、あいつを切り倒す方向へ持っていったんだ。桜に協力する人間は、許さない。ね、邪魔をしないって、誓って?」


誓って、と小首を傾げられても。

別に、私は切り倒されても構わない。

さっき、阻止するとか約束しちゃったけど。


「あのー、勘違いしてるかもしれませんけどー、私、あの桜がどうなっても構わないんですけどー」

「ほんと?」

「ほんと、ほんと。ていうか、あんたがあの桜を私から引っぺがしてくれるなら、それで良いっていうか…」


パァ、と顔を明るくした理事長、イケメンだな、おい。

これ以上、危害を加えられることはないだろう、と安心して、のんびりとカッコイイなー、得したわ。などと、考えているところに、予想外の声が飛び込んでくる。


「結ー!今、助けるからなーっ!」


ドアの外から、篠田君の声がする。

いや待て、篠田君はこんなしゃべり方しないだろう。

これはどっちかって言うと、あのピンク男の…。

そこまで考えたところで、鍵をかけていたはずのドアが、派手な音を立てて倒れてくる。

大馬鹿者が、どうやらドアを蹴倒したらしい。

そして、ドアの前で押し倒されている私と、その上に跨がる理事長。

どうなるかなんて、結果は目に見えている。

がしゃーん、と大きな音を立てて、ドアは理事長にクリーンヒット。

もちろん、その下にいた私の被害も尋常ではない。


「あ」


しまった、というような篠田君の声が響き渡った。


■ □ ■ □


「本当にすみませんでした」


そう言いながら土下座をしているのは篠田君なのだが、中身はあのピンク男だ。

その証拠に、篠田君の瞳がピンク色に染まっている。


「なんなの、あんた。ほんと、馬鹿なの。理事長どうするのよ、目回して気絶してるじゃない」

「それは、俺じゃなくて柳が悪いだろ!」

「僕のせいにしないで。悪いのは、全部桜」


100%、こいつが悪いとは言わない。

でも、丸く収まりそうだったところに、こうして乱入してきたピンク男は99%くらい悪い。

理事長の身体から抜け出た柳は、鮮やかな緑色の頭に、同じような瞳の色をしていた。

ただ、桜とは違い、柳の服は書生さんのような格好だった。

残念ながら、現代には、全く溶け込めてはいない。

精霊というのは一体、どういった基準で自分の服を決めているのだろうか。


「桜が大人しく切り倒されれば良いものの…」

「ふざけんな!っていうか、お前、理事長の身体乗っ取って、校長にそそのかすくらい俺のこと嫌いなのかよ?!」

「うん、大嫌い」


清々しいほどの笑みを浮かべている柳に、私はため息を吐く。

桜と柳の人気争いなどというよく分からない出来事に巻き込まれたなんて、阿呆らしくてやってられらない。

そもそも、切り倒したりしなくとも、この桜の人気はすでに無かったはずだ。


「まぁ、でも。結が僕に協力してくれるなら、切り倒さないであげる」


勝手にやってろ、と伸びた理事長をどうしようか考えていたところに、突然話を振られて、私は眉を顰める。


「僕が人気者になるように、手伝って?」

「いや、無理。私は協力しないから、あんた、切り倒されなさい」

「なんでだよ!」

「っていうか、そろそろ篠田君から出てきなさいよ!あんたと同じしゃべり方する篠田君とか、嫌だから!」

「待て待て。こうしよう。お前が柳に協力する、そして、俺は切り倒されない。確約されるなら、俺は篠田から出て行く。OK?」

「なにもOKじゃないからね!?」


こいつは自分が何を言っているのかわかってるのか。

睨みつけてやれば、篠田君の顔がにやにやした笑みを作る。

やめてええええ!爽やか笑顔の篠田君を返してえええええ!


「おい、どうすんだ?お前が折れれば、全部丸く収まるじゃねぇか?」

「…あー、もう!分かった、分かったから!」


やけくそになってそう叫べば、す、とピンク男が姿を現す。

篠田君の身体から力が抜け落ちて倒れそうになるのを慌てて支えれば、背中に憑いた厄病神と目が合ってしまい、胸くそ悪くなった。


「厄病神、あんたもついでに篠田君から離れようか?」


そう圧力をかけたが、厄病神は汚らしい笑みを浮かべて首を横に振った。

明らかにその表情が私を小馬鹿にしている。

よし、こいつは、やはり私が直々にお祓いしてやろう。


「ん…あれ、桜庭、さん?」

「篠田君、大丈夫?」


頭を強打して目を回している理事長とは違い、すぐに自我を取り戻した篠田君の様子を伺う。

彼は何度か目を瞬いた後、倒れた扉と伸びている理事長を見て恐怖の表情を浮かべた。


「あれ…もしかして、僕が?」

「いや、違う。断じて、違う」

「でも、僕…桜庭さんが理事長に連れて行かれてから、慌てて追いかけて…そこから記憶が無いんだけど」


そこのピンク男のせいです、と言えたらどれだけ良かったか。


「きっと、僕が転んで扉に突っ込んだんだよね…?それで、桜庭さんと理事長先生を酷い目に遭わせたんじゃ…?」

「いや、どれだけ、ドジっ子設定なの?!」


そこで、転ぶ、という発想に行き着くのは違うだろう。

篠田君が、今まで背中の厄病神からどれだけ被害を被ってきたのかが窺い知れる。


「桜庭さん、怪我はない?」

「私は大丈夫。それより、理事長を何とかしないと…」


篠田君が桜庭さん、と呼ぶ度に、寂しさを感じる。

柳の邪魔が入らなければ、今頃名前で呼び合う仲になっていたはずなのに。

つくづく、自分の運の無さを呪いたい。

いや、それとも、厄病神憑きの篠田君の運の無さ、か?

高校に入学してから、それほど日が経っていないというのに、前途多難すぎる。


「はぁ…」


私がついたため息に、篠田くんの背中の厄病神が嬉しそうに笑った。


■ □ ■ □


あの日から、数日が過ぎ去った。

理事長は無事に目を覚ましたようだが、柳に取り憑かれていた間のことは何も覚えていないようだ。

柳による校長へのそそのかしも無くなったおかげで、桜の切り倒し計画も頓挫した模様。

理事長先生は、相変わらずのイケメンぶりで、校内の女子を沸かせている。

けれども、1つ変わったことがある。

たまーに、理事長が驚愕の表情を浮かべてあらぬ方向へ視線を向けているのだ。

何事かとそれを追えば、そこには私と理事長にしか見えないであろう者の姿。

あぁ、柳に長く取り憑かれたせいで、見えるようになったのか、と理解するのにそう時間はかからなかった。

ご愁傷様である。


篠田君と私は相変わらずの関係である。

未だに桜庭さん、篠田君、呼びであるのだから悲しいったらありゃしない。

再度言い出すのもお互い気恥ずかしく、進展も無し。

篠田君の背中にいる厄病神も健在で、今日もその不幸パワーを存分に発揮しているようだ。

先程の体育の時間、篠田君が足の上にハードルを落としたのを目撃してしまった。

あれは痛い。確実に痛い。


そして、忘れようとて忘れられないのが2匹増えた。


「ねぇ、結。いつになったら、僕の人気取りしてくれるの?」

「おーい、結。俺、喉乾いたんだけど」

「約束守ってくれないなら、僕、結のこと許さないよ?」

「あ、水遣りに来るんだったら、水道水はやめろよ。あれ、めっちゃ不味いから」

「理事長に身体を借りれば、結に酷いことだって出来るんだからね?」

「本当は酒がいいんだけどさー、お前、未成年だからなー。天然水でいいや。ほら、売店で売ってるやつ」


授業中、授業中、授業中、と自分に言い聞かせて、耳元で喚く2人を無視する。

視界にちらつくピンクと緑が鬱陶しい。

一方は私をパシリに使おうとしているし、もう一方は脅迫をしてくる。

あまりにイライラしていたせいか、パキ、と手元のシャー芯が折れた。

ノイローゼになる日も、そう遠くないだろう。


「結、聞いてるの?」

「ゆーいー!分かったか?」


知るかボケェ!と、心のなかで罵倒する。

夢見ていた高校生活は、おかげさまでバッキバキに砕け散り。

一時は叶うかと思われた恋も報われず。

春は出会いの季節?

そんなもの、私には必要ありませんでしたあああああ!

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[一言] 既にブログの方で感想を書いているので、こちらでは簡単な感想を。 何度読んでも、テンポがいい感じで読みやすいです。 篠田君、篠田君を助けてください~~。 疫病神がひどすぎます。 柳と桜の掛…
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