“盟約”の意味
説明回。
長くなっちった…スンマセン。
元々フロルの一人称は“僕”だったのだがいつの間にか、気付けば“わたし”になっていた。口調や物腰も変化していき、はじめの内は違和感ありありだったけれどいくらもせずに慣れて、今では“僕”と言われた方が変な感じがするほどで。
その変化をわたしは義父たちに引き取られた影響だと思っていた。貴族社会では言葉遣いや所作のひとつひとつにその教養が求められる。伯爵家という地位にある義父が全員まとめて引き取ってくれなければわたしたちは孤児院へと引き取られていたことだろう。最悪、兄弟はばらばらになっていたとしても可笑しくはなかった。そうならなかったのは義父が兄弟まとめて全員を引き取ってくれたからで。…そこにどんな思惑があろうとも、わたしはそのことにとても感謝していた。だから義父たちの迷惑になることだけはすまいと、わたしはもちろん、フロルもそう思っているのだと。
けれど実際はどうだったのだろう。その本心を確かめたことはないけれど、今ではそうじゃなかったのではと思えてくる。だって、フロルが変わっていったのはあの日、原形を留めない父の遺体を目にしてからだったように思うから。
恐れるように、必死にすがり付くようにわたしを抱き締めるフロルの姿に胸がきゅぅっと締め付けられる。しかし、
「に、にいさま…はなして、ください……」
物理的にももうそろそろ呼吸が怪しくなってきたので解放してほしいです。細っこく見えてもフロルは十六歳の男の子。体格的にも身体能力的にもわたしが敵うわけがないのだ。
わたしの必死の懇願にフロルははっとして腕の力を緩める。慌てて肺に空気を取り込み、むせてしまわないようゆっくりと呼吸を繰り返す。
「ご、ごめんよセラ。大丈夫?」
「ふぅ…はい、大丈夫です」
呼吸を整えてから返事をするとフロルは心底ほっとしたような顔をした。しかしすぐにその表情を曇らせるとどこか不安そうに問う。
「それで、セラ?セラは『捧名の盟約』を受け取ったのかい?許可を、出したのかい?」
苦々しげに、血でも吐きそうな様子でそう問うフロルだったがわたしはその言葉の意味がわからず首を傾げる。するとフロルは一瞬きょとんとしたがすぐさま勢い良く振り返り、鋭い目付きでバーンを睨み付けた。
「盟約の意味すら伝えなかったのか」
低く地を這うような声にびくりとする。それがフロルの口から出ているというのはわかったのだがどうにも信じられなかった。わたしの知るフロルはこんな恐ろしげな声など出したことがないのだから。
一触即発といった風なフロルにわたしが再度あわあわしていると、パンパンッ!という高く乾いた、手を叩く音が響く。音へと視線を向けるとルットフェッツェル公爵さまが顔の高さで手を打ち鳴らしたらしかった。少し不機嫌そうで、どこか呆れを含んだ表情をしている公爵さまはその場の皆の注目を集めたのを確認して小さく息を吐く。そしてその視線をフロルへと向けた。
「君の気持ちはわからなくもないがね。本当に大切にするのなら一番に気にかけなくちゃいけないのは誰だい?」
言われてフロルははっとした顔でわたしへと視線を向け、次いで最近よく見るようになった情けない表情を浮かべる。そして恐々といった感じに手を伸ばしたがその手首を公爵夫人さまが手にした扇でパシンッ!と叩き落とす。
「少し落ち着きなさいな。貴方の感情が揺らげば彼女もそれにつられるくらいに考えるべきですわ」
容赦のない公爵夫人さまの言葉にフロルは叩かれた手首を押さえながら唇を噛み締めた。広げた扇で口元を隠しながら公爵夫人さまはその様子を冷やかに見下ろし、
「しばらくあちらで大人しくしていなさいまし」
言葉と視線だけでこの場からの退場を告げる。それにフロルは一度深く俯くがすぐに顔を上げ、弱々しい笑顔を見せた。
「ごめんね、セラ。少し、頭を冷やしてくるよ」
「すぐに戻ってくるからね」と言うや否や、制止の声をかける間もなくその背中が遠ざかる。とっさに追いかけようとしたわたしをネルが制し、大丈夫だ、とでも言うようにひとつ頷くとフロルの後を追いかけて行った。
遠ざかっていく背中がなんだか恐ろしくて、けれど追いかけるためには体が動かなくて。もどかしい思いをしているとすぐ近くに立っていた公爵夫人さまが小さく溜め息を吐いた。
「長兄とは言え、まだまだ子どもですわね」
「サフィーアさま……」
呆れたように呟く公爵夫人さまにシアンさんが咎めるような声音で名を呼ぶ。それにもう一つ溜め息を吐いた公爵夫人さまはその視線をわたしへと向けた。
「セラ。貴女も兄だからと甘やかしてはいけませんわよ?」
「…サフィーアさま……」
今度は困ったような呆れたような声音で呼びかけるシアンさんだったがしばし逡巡した後、小さく溜め息を吐いてどうにか気持ちを切り替えたようだった。
「時にセラ?貴女、盟約についてはちゃんと理解していたのではななくて?」
不思議そうな、しかしどこか怒りを含んだ表情で問いかける公爵夫人さまに思わずしどろもどろになる。
「ぜ、全部が全部、というわけにはいきませんが…。特に『捧名の盟約』についてはお祖父さまからいくらかお聞きした程度ですし……」
「……ちなみに、どのような説明を受けましたの?」
「え?えーっと……」
見透かすように細められた青い目にどぎまぎしながら記憶から該当部分を引っ張り出す。
「えーっと、『捧名の盟約』は『神への盟約』のひとつで、神より授かりし真名を神へと捧げて示し、違わぬ誓いとするもの…ですよね?」
思わずすがるようにシアンさんへと視線を向けると複雑そうな表情をされた。
「え?!間違ってますか?!」
「いえ、合っているには合っているのですが、その……」
「全容のごくわずか、ですわね」
音を立てて扇を閉じた公爵夫人さまはまばゆいばかりの笑顔を浮かべている。しかしなぜかその笑顔の後ろに黒い何かと冷気を感じて思わず身を引いた。喉まで出かかった悲鳴を呑み込んだ自分を褒め称えたい。
「シアン、セラを頼みましたわよ?」
「……畏まりました。どうぞ、お手柔らかに」
頭痛でも堪えるかのようなシアンさんにわたしを託すと公爵夫人さまはつかつかと歩み去って行く。状況に着いて行けず、歩み去る背中とシアンさんを交互に見ているとそれに気付いたらしい当人が目の前で跪いて目線を合わせてくる。
「少し、“盟約”についてご説明させていただきます」
やや苦笑気味にそう言ってシアンさんは話し始めた。
「まず、“盟約”が何か、ということについてですが、これはお嬢さまもご存じなのではありませんか?」
そう問いかけてくるシアンさんにこくりと頷いて見せる。
「“盟約”とは、『神への盟約』の略称で、その“盟約”は個人が人々に対してする“宣誓”、なのですよね?」
「そうです。多くは『名の盟約』や『騎士の盟約』などと呼ばれていますね。『名の盟約』であれば、己の信ずる神の名を借りて誓いを違わぬものとし、『騎士の盟約』ならば己が揮う剣を神に捧げ誓いとするものです。
しかしこれらはどれも単なる“誓い”であってなんら強制力を持つものではありません。“盟約”を宣言した当人の心による行動を求められるだけです」
「ここまではお嬢さまもご理解されているのですよね?」と確認するシアンさんに再度頷いて見せた。それを見たシアンさんもひとつ頷き話を進める。
「それでは、今回お嬢さまがバーンバルトさまから捧げられた『捧名の盟約』についてです」
「…捧げられた?」
いくらか強調された言葉にわたしが反応するとシアンさんはにっこりと微笑む。
「よく気が付かれました。そうです。『捧名の盟約』は他の“盟約”と違い、“宣誓”ではありません。その名の通り、“名を捧げる盟約”なのです。
この“名を捧げる”という意味ですが、『捧名の盟約』で捧げられる“名”は今、我々が互いを認識し合うために呼び合っている“名前”という意味ではありません。お嬢さまが覚えておられたように“神より授かりし真名”そのもののことを指します」
「…“神の真名の加護”?」
ぽつりと呟けばシアンさんはやはりにっこりと微笑み頷いた。
「はい、その通りです。“神より授かりし真名”とは人が生まれた時に神から授かる“神の真名の加護”に含まれているものです。この“神より授かりし真名”というのはその人が有する核、所謂魂を指し示すものなのです。お嬢さまにはあまり縁がないかも知れませんし、説明上、定義などは省かせていただきますが、『神術』の一種である精霊と交信するためにもこの“真名”が必要不可欠となります。
ここまでくればお嬢さまには大凡の意味が理解できるのではないですか?」
そう問いかけてくるシアンさんにわたしはやや蒼ざめているであろう顔で頷く。
「『捧名の盟約』は、“魂を捧げる盟約”、なのですね……」
「はい。『捧名の盟約』は“真名”つまりは“魂”を差し出して初めて成立する“盟約”なのです。しかしこの『捧名の盟約』で“真名”を差し出さなければならないのは“盟約”を捧げる側だけで、受け取る側には“真名”を差し出す必要はありません。加えて“真名”つまりは“魂”を差し出すという行為ですので捧げた側は受け取った側に絶対の服従を強いられます。受け取った側からの命令は絶対となり、捧げた側はそれに従う以外の選択肢が存在しなくなります。――例え、死ぬとわかっていても、です。
以上のことからこの世界、特に大きな国では『捧名の盟約』は王族に対してのみ捧げられる“盟約”なのです」
シアンさんの説明を聞きながらわたしはのろのろと視線をさ迷わせ、やっとの思いでバーンを視界に捉えた。きっと情けない表情をしているわたしに対して、バーンは真っ直ぐな目でわたしを見返す。
「…なん、で……」
無意識にこぼれ出た呟きは微かに震えていた。それを知ってか知らずか、シアンさんが静かに呼びかける。
「…お嬢さま。先ほどのお嬢さまのご様子からしますと、バーンバルトさまからの『捧名の盟約』はまだ受け取っておられないのですね?」
「?」
「受け取る」という表現に疑問符が飛ぶ。そう言えばフロルも「受け取る」とか「許可する」とか言っていたような気がする。ぼんやりとそんなことを考えていたわたしにシアンさんは言う。
「『捧名の盟約』はその特異性から受け取る側に選択権が与えられています。お嬢さまの口から「受け取る」或いは「許可する」という言葉が出ていないのであれば此度の盟約は保留に、「受け取らない」若しくは「却下する」とお嬢さまが告げれば盟約は不成立に終わります」
「…!却下です却下!許可なんてしません!絶対にっ!!」
喚くようにわたしが言うとバーンは不機嫌そうに眉をひそめ、大きな歩幅で近寄ってきた。ソファに座ったままのわたしを見下ろすようにしていたバーンはすぐさまその場に跪く。
「今受け取ってもらえなくても、何度でも捧げる」
「ダメです!絶対、許可しません!そもそもわたしたちは“友達”であって“主従”じゃないのですよ!?」
思わず叫んでしまったわたしに周りの人たちが驚いたように目を見張っていた。それに気付いてとっさに両手で口をふさぐ。と、
「…そんなだから……」
「え?」
どこか泣きそうな雰囲気で見上げてくるバーンはゆっくりと顔を伏せ、その頭をわたしの膝の上に乗せた。
「俺に、そんな風に言ってくれる、セラ、だから、命も、心も、魂も、何もかも全部、明け渡していいって、思えたんだ。他の誰とも違う、ちゃんと、俺を、見てくれるから。俺を、俺だと認識してくれるから。怯えて突き放すでもなく、不気味がって避けるでもなく、すり寄って媚びへつらうでもなく、隣に、一緒に、対等に、俺を扱ってくれるから。だからっ」
胸につかえていたものを吐き出すように囁くような小さな声でとつとつと語っていたバーンは徐ろに顔を上げる。そこにあったのは幼い子が親に捨てられるのを恐れるかのような顔だった。
「俺の、側に、居て、ください……」
なんか全体的に暗い話ばっかな気がする……。
夜中に半分寝ながら書くのはやっぱダメなんだろうか?
前(その前?)の後書きでセラ以外の別視点を入れるか入れないかって話を、これを読んでいる知り合いに聞いたら
「入れたら(話が)暗くなる?だったらいらねぇよ」
って言われたのでざっくりなくしました。
もしも要望があればまたその内書くかも?




