捧名の盟約
ヤバイ状態のフロルはネルに任せてわたしは帰路に着くことになった。わたし自身が虚弱体質なのもあるかも知れないが、当初思っていたよりもずっと疲れてしまったのだ。馬車までの道中でバーンに「おぶる?」と心配されるほどに。まあ丁重にお断りしたけれど。
行きの馬車の中ではわくわく感が強かったために総スルーしていた窓の外の風景を眺めながら気付かれないよう小さく溜め息を吐く。
「どうなさいました?」
けれどルークさんがそれを目ざとく認め、不思議そうな表情で問いかけてくる。その目端の良さに若干うんざりしながら再度小さく息を吐く。
「別に、どうということはありません。気にしないでください」
「……見てみたい、ですか?」
しばし沈黙したルークさんがそう言ったのに思わず反応してしまう。彼は恐らく、わたしが窓の外の何を見ているのか気付いていたのだろう。だから敢えて煙に撒こうとしたわたしの言葉に返したのだ。
思わず恨みがましい視線を向けるがすぐにそれがやつあたりだと思い至り、溜め息とともに視線を逸らす。そんなわたしに困ったような苦笑を浮かべるルークさん。
「本当にお嬢さまは子どもらしくない子どもですね」
「…可愛げがなくて悪かったですね」
ついついそんな言葉を返してしまいむっと口を尖らせる。するとルークさんは楽しそうにくすくすと笑う。
「お屋敷に戻られたら旦那さま…お嬢さまのお祖父さまに頼んでみてはいかがですか?」
「……………」
ルークさんは何でもない風にそう言うが“わたしが外に出る”ということがそれほど簡単なものではないのはわたし自身が自覚している。別に自意識過剰というわけではなく、これはれっきとした事実なのだ。
以前の誘拐まがい騒動は身内の者が起こした、言わば「わたしの安全が確立されていた」行為だ。確かにわたしは散々な目に遭ったかも知れないが、“命の危険”という意味ではさほど恐怖を覚えたわけではない。
けれどその後、メリルからの常識講習やお祖父さまからの話で、やはりわたしはとても狙われやすい存在なのだということを再認させられた。
貴族の子女であること。
珍しい見目をしていること。
“神の真名の加護”をもたないこと。
理由は様々だがそれらは総じてわたしを手に入れた者に少なくはない利益をもたらす可能性があるのだ。可能性は飽くまでも可能性でしかないのだが。それに、今日、大勢の人の目に触れたことによりはっきりとしたことがある。
わたしは、怖いのだ。
見ず知らずの人々に囲まれるというのは誰しも恐怖を抱くだろうが、わたしはそれが特に顕著になっている。恐らくは実母が刺殺されたあの一件がトラウマになっているのだろう。
随分と臆病になったものだ、と心の中で自嘲しながら再度窓の外へと視線を向ける。
街行く人々が新年を祝い、過ぎし月日を語り合い、まだ見ぬ日々に喜びと期待を示す。明るく楽しいはずの光景は、わたしにはどこか遠くの、画面越しに見る世界のように感じられた。
玄関扉をくぐると「待ってました!」とばかりにディーが抱き付いてきた。その衝撃にふらついたが悲しいことにそれをディー本人に支えられる。弟よ、こんな貧弱な姉で申し訳ない。
内心ホロリとしているとディーが心配そうにわたしの顔を覗き込んできた。
「…ねえさま、げんきない?」
可愛らしい顔をこれでもかというほどに不安に染めて問いかけてくる弟にわたしは苦笑とともに頭をなでてやる。
「大丈夫。少し疲れただけだから。しばらく休んでいれば問題ないよ。心配してくれてありがとう」
よしよし、と頭をなでてやればくすぐったそうに笑うディーを見て心身ともに癒やされる。もう柴犬っぽい耳と尻尾が幻視できそうだ。
しばらくしてディーに幾分癒やされたわたしは自室へと戻り、動きやすさ重視の普段着へと着替える。とは言え形状がドレスのそれなので誰かに手伝ってもらわないと着替えられないけれど。
夕食にはまだ早いため、それまで時間がある。何をしようか?と思考を巡らそうとしたところでメリルがわたしを呼ぶ。
「お嬢さま、旦那さまがお呼びだそうです」
「お祖父さまが?」
なんの用だろうか。
お祖父さまはお忙しい方だからわたしたち兄弟、特にわたしやディーとはそれほど会うことはない。時間が合えば夕食などをご一緒することはあるし、時たま廊下でわたしを見つけてはお茶休憩に誘ってくださることはあるが、言ってしまえばその程度だ。フロルはお祖父さまの仕事の手伝いをしているらしいけれどよくは知らないし、ネルに至っていは基本的に学術院の寮生活をしているためたまの休日に帰ってくる程度なのでさほど接点があるわけではないようだし。
何か呼び出されるようなことをしただろうか?と首をひねりながらも先導するメリルの後に続く。
「失礼いたします。お嬢さまをお連れしました」
丁寧なノックの後にそうメリルが告げると中から扉が開かれる。姿を見せたのはロマンスグレーの髪に銀縁の眼鏡の奥に柔和な薄紫の瞳を持った老紳士、お祖父さまの執事をしているバドッグ・バーテスさんだ。わたしを見て笑顔で会釈をしてくれる。
バドッグさんは扉を大きく開けて招き入れる体勢だがメリルはその場で一礼して壁際に移動したので廊下で待機しているようだ。
「失礼します」
その場で一礼してから部屋へと入る。いつも通り、お祖父さまは机に向かっていた顔を上げひとつ頷くと席を立つ。
「よく来た。座りなさい」
ソファへと移動しながらバドッグさんにお茶の用意を言い付け、お祖父さまが対面に腰を下ろすのを待ってわたしもすぐ近くのソファに座る。
お祖父さまはお茶を一口飲むまで話始めないのはすでに覚えたことなのでわたしはぼんやりと部屋の中を見回す。しばらくしてバドッグさんがお祖父さまとわたしの前に音もなくカップを置く。いつもながらに神がかった所作だ。一言お礼を告げてからお茶を一口。うん、今日も大変美味しゅうございます。
わたしと違って堂々と、しかし優雅にお茶を堪能していたお祖父さまはカップをソーサーに下ろしながらようやくやっと口を開いた。
「式はどうだった?何か興味を引くものはあったか?」
そう切り出したお祖父さまにわたしは見たこと感じたことをありのまま告げる。兄たちの残念な部分は端折ったが。
とは言え、さほど話す内容はない。時間にして長く見積もっても三時間はないだろう。それほど濃い体験をしてきたわけでもなし、これと言って話題になるようなことはない。それに前世の影響か、何か報告するならば“要所を短く簡潔に”が基本となっているわたしとしては話を長引かせることの方が苦手である。
しばらくわたしの話に耳を傾けていたお祖父さまはゆったりとした動作でカップを下ろすと真っ直ぐにわたしの目を見つめた。
「…外に、出たいか?」
あまりにも唐突な、けれどわたしにとっては重要なことを問われ思わずびくりと肩が跳ね、次いで視線が徐々に落ちていく。たったそれだけの反応でわたしの感情を読み取ったらしいお祖父さまは静かに問いを重ねる。
「怖いか?」
責めるわけでも嗤うわけでもなく、ただ確認のようなお祖父さまの問いに小さく頷く。するとお祖父さまは小さく「ふむ…」と呟くとそのまま沈黙した。どうしたのだろうかと様子を窺っているとどこか遠くを見ているようだったお祖父さまが再度わたしの目を見返してくる。
「実はな、今夜、王都中央区の大宴餐場で王族主催の新年の宴があるのだ。当家にもその招待状がすでに届いている。兄たちには出席してもらわねばならんが、お主やディーネランスは年齢的に欠席しても問題はない。それにお主は体が弱い故、今日の許可式を見学に行くと言った時に宴には出席できぬだろうと思っておったのだが…」
珍しく言い淀むお祖父さまに思わず首を傾げた。しばし逡巡したようなお祖父さまは疲れたように溜め息を吐いて続ける。
「ルクシオスから報告を受けた。お主、バーンバルドから簡略式とはいえ『捧名の盟約』を受けたのだそうだな」
「『捧名の盟約』…?」
なんだそれ?と一瞬思ったが頭の片隅にそれらしい情報が引っかかり、なんだっただろうかと思い出そうとするわたしを余所にお祖父さまが答えを示してくださった。
「『捧名の盟約』は『神への盟約』のひとつだ。神より授かりし真名を神へと捧げて示し、違わぬ誓いとする。一般的な盟約では己の信ずる神の名を借りて自身の魂に刻み誓いを違わぬように戒め、騎士ならば己が揮う剣を神に捧げ誓いとするものだ」
メリルからの常識講習で確かにそんな話を聞いたような気がする。自分にはあまり関係ないかと思っていたが…。
「…あれ?ちょっと待って?え?じゃあ、バーンのアレは……?!」
いきなりバーンが跪いてなんか言ってたのが『捧名の盟約』?!え?え?!
ひとりパニクるわたしにお祖父さまは呆れたような表情だ。
「バーンバルドからなんと誓約されたか覚えておるか?」
「えっと、はい、その……」
一言一句違わずには無理だが何を言われたかだったらちゃんと覚えている。でも、それだと………。
「だ、ダメです!そんなのは絶対…それはなんか違うからっ!」
それは決して「友達」ではないよっ!?
「お祖父さま!バーンに…バーンに会わせてください!早急に取り消さねばっ……!」
思わず立ち上がりながら叫んだのにお祖父さまがちょっとびっくりしている。
「う、うむ。取り敢えず落ち着きなさい。話はまだ終わっておらん」
っとと、そうでした。あまりにもなことに高ぶった気持ちを鎮めようと深呼吸を繰り返す。まだ少し落ち着かないがそれでもソファに座り直すと見計らったようにバドッグさんが新しいお茶を出してくれた。
「…落ち着いたようだな。話を戻すが、お主はバーンバルドから『捧名の盟約』を受けた。それも大勢の目の前で」
言われてから思い出す。確かにあの時、周りにはたくさんの人がいた。生徒か保護者か見学者かは知らないが、取り敢えず本当にたくさんの人がいたのは間違いない。今思えばなかなかに恥ずかしいことをしていたものだ。子どもの戯言と笑ってもらえれば幸いか。
「元来、盟約とは己に課する誓いだ。誰が誰の盟約を知っていようと問題ではない。だが今回、お主が受けたのは『捧名の盟約』。一般的に扱われることのない盟約だ。そして『捧名』とは盟約の中でも最上敬、本来ならば王、あるいは王族に対してのみ示されるはずの誓いなのだ」
…あれ?なんか嫌な予感がする……。
わたしが内心冷や汗を垂らしているとお祖父さまは心底疲れたような溜め息を吐く。
「そして今回の件はすでに王族の耳に入っている。故に数日中、早ければ明日にでも王城へ召喚されることになるやも知れん。長ったらしくて莫迦莫迦しい話を延々と聞くぐらいなら今夜の宴に出席して、その場で王、あるいは王妃から小言をもらうくらいの方がいいだろう…と、思っておったのだが……」
どこか遠くを見るようなお祖父さまの言葉に思わずわたしも遠い目になる。
もうここまでくれば選択肢なんてあってないようなものだ。
いいでしょう。行きます、行かせていただきますとも。
余談だが、帰ってきたフロルに卒業章を見せてもらった。大きさは直径三センチくらいで、色は銀。鳩みたいな鳥が翼を広げ、花や果実を付けた蔦植物をくわえているような画だった。
案外可愛らしいデザインなんだな〜と見ていると気に入ったと思われたらしく、フロルに「あげるよ」と言われたが。いりませんよ、兄さま。