新年行事
えっと…九ヵ月ぶり?の再開です。
またすぐに止まるかもですが、書き溜めた分は予約投稿にでもして順次上げていきます。
あ、後、よければ活動報告を覗いてみてください。
ちょっとしたアンケート?的なものをする予定(←)です。
遠くから聞こえる小鳥のさえずり。穏やかなまどろみの中、不意に頭をなでられた。ただただ一心にわたしをなでる手はその拍子に落ちた髪を丁寧な仕草で耳にかける。そしてそのまま耳の裏側を指先でなぞり、次いで輪郭を確認するように頬から顎へと辿ったその指先はわたしの鎖骨をそっとなでた。
くすぐったさにまぶたを持ち上げたその瞬間、目に飛び込んできたのは超絶なイケメン顔。けれどそれを見たわたしは思わず呆然とした。
深い焦げ茶色のさらさらで柔らかそうな髪に、緑柱石を思わせる明るい若草色の瞳。すっと通った鼻梁に薄い唇と、羨むほど長いまつ毛。それらすべてが絶妙なバランスで配置された、芸術と呼ぶに相応しいその顔は今、とろけるような甘い笑みを浮かべた。
「ああ、お早う、セラ。昨夜はよく眠れたかい?」
優しげな手付きでわたしの頬をなでていた手がゆっくりとわたしを上向かせる。それとともに近付いてくる顔に身の危険を感じた時だった。
バタンッ!と大きな音を立てて扉が開かれ、わたしの視界に入らないそこで一瞬にして殺気に近いものが膨れ上がる。そしてそれが瞬く間に近付いて来たかと思うと、間近にある焦げ茶の髪が鷲掴まれた。勢い良くわたしから離された顔の背後に、絶対零度の表情を浮かべる人物が。
「何やらセラが怯えていると思えば…何をやっているんだ?この糞兄が」
底冷えする声音での問いにわたしの方が震えそうになるが、問われている当の本人は至極残念そうな顔をしているだけだった。そして思う。
…フロル兄さまはある意味、大物かも知れない……。
長兄の絶叫を引きずりながら退室する次兄の背中を見送り、わたしは大きく息を吐いた。入れ替わるようにやって来たメリルの手を借りて朝の身支度をする。
今日は第一乾期の初め月一日。つまりは新年祭の日だ。この世界の人は特例を除いて皆が新年とともにひとつ年を取る。誕生日という概念がないのだ。ちなみに、特例とは王族の方々と一部の貴族、爵位第一位の公爵家の方々のことで。記録上、誕生年月日というものは存在するがそれがどうのこうのとなることはない。
なので今日、わたしは五歳、ディーは四歳、フロルは十六歳、ネルは十三歳になる。そして今日はフロルの学術院卒業許可式がある日でもあるのだ。加えて男子の十六歳はこの世界での成人とされている。
なのに……。
にっこにこしながら馬車に乗り込む長兄とそれをうんざりした表情で見ながら同じ馬車に乗り込む次兄を見ながらそっと溜め息を吐いた。
第一乾期の初め月一日に王宮前広場で国王陛下による新年祭開催の宣言を受け、それより十日間お祭り騒ぎが続く。その初日の最中に執り行われるのが学術院卒業許可式だ。いわゆる卒業式である。
今年はフロルが式に出るのでわたしはお祖父さまに式の見学ができないかお願いしてみると案外あっさり許可が出て、今日の昼からの式に参列することになった。まあ、護衛から決して離れないように、という厳重注意は受けたが。
聞くところによるとこの卒業式、人材発掘の場としても機能しているらしい。貴族によるご令嬢のお婿さん探しだったり、将来有望そうな若者の引き抜きだったり。皆さん必死なんだそうだがわたしは政治に関与するつもりはないのでそういった話には興味がない。
問題はフロルだ。わたしが式に参列すると知って狂喜乱舞したのだ。もちろん、わたしが身の危険を感じるほどに。まあ、毎度の如くネルに吹っ飛ばされていたが。いい気味だと思ったのは内緒だ。
少し早い昼食を終え、わたしは部屋で外着に着替える。なぜかメイドさんたちに嬉々として囲まれ、こねくり回されたのには心底げんなりしたが。
そんなわたしの今の姿は真っ白なレースをふんだんに使ったゆるふわシフォンドレスだ。頭にもレースリボンのヘッドドレスを付けられ、腰の後ろの大きな水色のリボンがよく映える。新調したという靴はベビーピンクのストラップシューズ。
…なんだこの幼女趣味全開な装いは。
姿見に映し出された自分の姿を見て再度げんなりした。背後では着せ付けたメイドさんたちがキャーキャー騒いでいるが申し訳ない。わたしにこういう趣味はないんだ。
しかしまあ今から着替え直すのも面倒なのでこの格好で良しとする。子ども用だからコルセットもなく、動きにくいわけでもなし。
メイドさんたちにお礼を言って部屋を出る。お礼を言った瞬間、室内がシンッとしたのは気にしない。メリルに続いて廊下を少し進んだところで背後から大音量の歓声が上がったのにも気にしない。
玄関まで来るとディーが待っていた。今日はお留守番だが、新年祭のために服装は整えられている。七五三よろしく、可愛らしいタキシード姿だ。わたしを見つけてすぐさま抱き付いたせいでせっかく整えられていたクラバットが台無しになってもお構いなしですりすりと甘えてくる。
「きょうのねえさま、いいにおいがするぅ」
「匂い袋をいただいたの」
すでにわたしと大差ない体格のディーを引っぺがしながら懐から先日もらった匂い袋を取り出して見せた。可愛らしい小花の刺しゅう入り。ちなみに、送り主はお祖父さまのお姉さま、つまりは大伯母さまだそうだ。まだ会ったことはないがお会いする際にはお礼を言わなければ。
馬車に揺られること二十分ほど。本日の護衛を務めるルークさんが「もうすぐ着きますよ」と教えてくれた。ほどなくして馬車は止まったが一向に扉が開く気配はない。不思議に思って同乗しているルークさんを見ると首を傾げられた。
「どうなさいました?」
「…降りないのですか?」
降りるつもりのないような反応に問いかけると彼は「ああ」と呟き苦笑する。
「申し訳ありません。ご説明していませんでしたね。本日の卒業許可式はこの馬車内より見学するようフロールクスさまから仰せ付かっております。もしも外に出て、仮にも以前のようなことがあってはなりませんので」
そう言ったルークさんの言葉に図らずもショックを受けた。せっかく外出許可が出たのだからと少し探検してみたかったのに…。
「…それでは兄さまの姿が見えないではないですか」
無意識に恨みがましく呟いているとルークさんは再度苦笑する。
「それなら大丈夫ですよ。フロールクスさまは首席代表として本日は壇上にて演説をされる予定です。ほら、あそこですよ」
言いながら彼は車窓から見える演説台を示した。
だがそういうことではないのだ!屋敷の外に出たのに馬車から出られないんじゃあ今までと一緒じゃないか!というか兄さま何してくれてんですかっ!アンタのせいで……!
心の中で恨み辛みを並べ上げながら窓の外へと視線を向ける。そこでふと思い至り視線をルークさんへと移した。
「わたしはお祖父さまより護衛の方から決して離れないように、としか言われていません。車外で見学するなとは言われていませんが」
問い詰めるような視線を向ければ彼は一瞬驚いた表情を浮かべ、次いでくすっと小さく嗤った。それはもう、あくどい顔で。
「ふふっ。御見逸れしました。わたしの負けですね」
愉しそうに目を細めながら言ったルークさんは立ち上がると外に声をかけ馬車の扉を開けさせた。するりとその扉を潜り出た彼はわたしに振り返りにっこりと微笑みながら片手を差し出す。
「それでは参りましょうか、お嬢さま」
………見られている……。
視線を感じて振り返ればいくつもの目が慌ててわたしから逸らされた。けれどそれも長くは続かず、わたしが視線を外せばまた穴が開くような視線を感じる。知らず止まっていた足に背後から「どうなさいました?」とルークさんが声をかけてきた。
「……見られています……」
「そうですね。当然だと思いますが」
思わぬ言葉にきょとんとして彼を見上げるとルークさんは困ったような顔で小さく嗤う。肩口で揃えられた赤みの強い金茶の髪に淡い金の瞳、すらりと伸びる手足に長身と、王子さま然とした見目の彼だが、いつもどこか人を食ったような嗤い方をする。
ややむっとしながらも反論はしない。思い当たる節があったからだ。
黒目黒髪。
わたしにとってはなんてことはない色合いだがこの世界ではそうではないらしい。不思議に思って以前メイドさんに聞いたことがある。何がそんなに珍しいのかと。答えはこうだ。
『黒目や黒髪が珍しいわけではありません。ネルバトルスさまの濃紺の御髪や、ディーネランスさまの深緑の瞳など、黒に近しい色はどこの地方でも見られますので。
ただ、お嬢さまのようなこれほどまでに純然たる漆黒の御髪や瞳はそうあるものではないのです。もしもお嬢さまと同じお色を探そうと思うと大都市単位でひとり居られるかどうかという数になるのですよ。そのように珍しいお色を御髪だけでも瞳だけでもなく、その双方に具えるとなると大国にひとり居るかどうかも怪しくなるのです。
実際、王国内で漆黒と呼べるお色をお持ちなのは、北の端の領地を治めるハウンバート伯爵家の後見人を努めておられる「気狂い子爵」さまがその御髪に、現在宰相を努めておられるルットフェッツェル公爵さまのお方さまに仕えておられる従者の方が瞳にそれぞれ宿しておられますが、御髪と瞳、ともに漆黒を具えられておられるのはお嬢さまだけなのですよっ』
思った以上に熱く語られ、自分の選択を誤ったかと、ちょっと後悔したのは記憶に新しい。
まあ、それはさて置き。
ぶっちゃけると、現在、ものすごく怖いです。以前はそうも思わなかったが今は、大勢に見られている、ということがかなり怖い。しかしまあ冷静に考えてみれば当然だろうとも思う。なんせ周りにいるのはわたしより身長もガタイも大きな人だらけなのだ。わたしが規格外に小さいことを考慮に入れても恐怖するには余りある。
これはフロルの言葉に従って馬車を出なければよかった……。
軽い自己嫌悪に陥りながらも辺りを窺う。すでに馬車からは随分と離れている。時間がはっきりしないこの世界ではいつ式が始まるのかわたしにはわからない。
どうしようかと迷っている時だった。