真実と真相
長かった……
一応次の話で第一章は終わる(はず!)
わたしは別室へと案内され、そこでお祖父さまと先ほどのオジサマと執事さん、そしてずっと付き従っていた男に囲まれながらお茶をいただいている。落ち着かない、というのが本音だがわたしは大人しく待つ。
しばらくして扉がノックされ、外側から声がかけられた。
「ご主人さま、フロールクスさまたちをお連れ致しました」
「うむ、入りなさい」
お祖父さまが入室を許可し、扉が開かれるとそこには兄弟たちの姿。そしてやはりというかなんというか、フロルが一番にわたしを見て破顔する。
「セ―――」
しかし今日は叫んで走り出す前にネルに一発で沈められていた。…まあ、そりゃあ、鳩尾に肘鉄喰らえば、ねぇ。
兄を沈めた本人は涼しい顔で室内にいる面々に頭を下げている。
「お初にお目にかかります、ウォルスリーブ伯爵さま、ルフトヴァル子爵さま」
挨拶をしているネルの隣でディーがどうしようか悩んだ末に同じように頭だけ下げていた。そんな彼らに(主にうずくまって悶絶している長兄に)近寄る。
「ディー、ネル兄さま。…フロル兄さま?大丈夫ですか?」
「ふっ、ふふふふ…なんの、これしき……」
兄さま、若干声が震えていますが。ネル兄さまは背後で舌打ちとかしないのっ。怖いから。ディーは兄たちなどには目もくれずわたしに抱き付いてすりすり甘えてくる通常運行。
うん。今日も平和です。
部屋の扉がノックされる音に顔を上げた。扉の向こう側から「お風呂の用意が整いました」との声がする。声の主はメリルだ。すごろくを囲んでいた皆も顔を上げ、その中からフロルが目をキラキラ輝かせながらわたしを見る。
「い―――」
「邪魔です、兄さん」
もう喋らせる気すらないのか、ネルが遠慮容赦なくフロルの後頭部を殴り付けた。もちろん、グーで。別に何も邪魔をしていないのに「邪魔だ」と言われて殴られた長兄は足元で痙攣している。やった本人はもちろん気にしないしディーも気にしない。バーンも憐れむような一瞥をくれただけで助け起こそうとかはしないようだ。
哀れ、兄よ。拝んどいてあげよう。南無南無。
兄弟たちと合流してからは様々なことを知らされた。お祖父さまとフロルは面識があったとか、豪傑オジサマはバーンのお祖父さんだったとか、メリルはお祖父さまがわたしに付けてくれたメイド兼家庭教師だったとか、薬学のリーザ先生もお祖父さまの手先(言い方悪い)だったとか、エトセトラ。
中でも衝撃的だったのは、わたしの誘拐まがい騒動についてだ。
「本来なら事情を話して屋敷に来てもらう予定だったのだがな」
お祖父さまは呆れたような溜め息を吐きながらそうおっしゃった。
聞けば、あのお出かけは仕組まれたものだったそうで、出先で先生が事情を説明して今わたしたちがいるこの、ウォルスリーブ伯爵家本邸に連れてくる予定だったそうだ。けれど義父が思いの外わたしを強く囲っていたらしい。あの物々しい方々もそのひとつだったそうだ。理由としては「自分(義父)が居なければわたし(セラフィローネ)はどうなるのだ」とかそういったものらしい。
結果、仕方なく誘拐まがいで連れて来るという事態になったのだが、その際、わたしを確保する役目を先生が担ったのだそうで。
……わかるだろうか?おどおどびくびく残念な娘であるあの先生がわたしの確保役。きっとあれだよ。わたしがトイレに行ったのを追いかけてきて声をかけようとしたけどすっ転んでぶつかってその弾みでなんかぶっ飛ばしてそれがわたしに当たって……とかだよ、絶対。
なんなのその強烈なドジっ娘キャラ!?と突っ込んだわたしは悪くない。悪くないったら悪くないっ。おかげで行動はスムーズでしたとか言われても嬉しくないよ!?
っていうかわたし、あのお出かけの日から丸二日気絶していたらしい。当たり所が悪かったんじゃ…!?と皆さんにご心配をおかけしたそうで…それ、わたし悪くないよね? ね??!
当初の目的としては『わたしの保護』ということだったので、まあ、結果オーライってことで話はまとまったそうだ。当人であるわたしを無視して!いや、まあ、イイですけどね?わたし自身、何もできなかっただろうから。
あのお出かけの日に例の王国裁判とやらが執り行われていたそうで、義父がそちらに行くこともわたしを連れ出すと決まった要因だったらしいなども教えられたが、わたしの幼い頭では一挙に処理できなくて発熱し、結局はさらに二日ほど寝込むことになった。このことで兄さまたちがひどく憤慨し、お祖父さまたちに説教したらしいと熱が下がった頃にメリルが教えてくれたが…いいのだろうか?それ。というか、そんな微笑ましいものを見る顔で言われても反応に困るんですが。
成り行きのようにしてわたしたち兄弟はお祖父さまに引き取られ、現在は伯爵家本邸にわたしたちの部屋が用意されている。
そんなある日、わたしはお祖父さまの執務室へと招かれた。
「失礼します」
扉を開けてもらってその場で一礼、入室する。お祖父さまは机に向かっていた顔を上げひとつ頷くと立ち上がり、机を回り込んでわたしの方へやって来た。
「よく来た。さあ、座りなさい」
執事のバドッグさんにお茶の用意を言い付けたお祖父さまはそのままソファに腰を下ろす。わたしも言われた通りその向かい側に座った。
「お話があるということですが」
目の前にカップが差し出されるまで口を開こうとしなかったお祖父さまに痺れを切らし、わたしはそう問いかける。カップを持ち上げ口に運ぼうとしていたお祖父さまはその動きを止め、数瞬の後、それを下ろした。
「お主がダグデスと話しているのを聞いて、ちゃんと話しておかなくてはと思ったのだ」
ダグデスとはバーンのお祖父さん、豪傑オジサマのことだ。お祖父さまとは古い知り合いらしい。
そのオジサマとのお話…思い浮かぶのは「うちに来い」「断る」の件くらいだが。
「兄たちにはすでに聞かせてある。ともにディーネランスにも話したが、あの子はまだ幼い故か話を理解したようには見えなかった」
なんのことだろうと首を傾げているとお祖父さまはためらうように視線をカップに落とした後、しばらくして真っ直ぐにわたしを見つめた。
「お主の両親を殺した者についてだ」
手にしていたカップがソーサーとぶつかり、カシャンと高い音を立てた。
「お主にとって辛い話なのは承知している。話を聞くかどうかもお主が決めるといい」
言ってお祖父さまはじっとわたしを見つめる。わたしは自分の顔から表情を含めた感情全てが削げ落ちたのを自覚した。全身が変に強張ったのを感じ、意識してゆっくりとカップを膝の上に下ろす。
自分の内側で様々な感情がはけ口を求めて暴れまわっている気がする。その感情を少しでも鎮めようと大きくゆっくりと深呼吸をした。
「…お話を、お聞きします」
答えたわたしにお祖父さまが沈痛な面持ちで眉根を寄せる。けれど余計なことは何も言わず、静かに語り始めた。
大本の原因は義父、フェリクシスだった。理由は“わたしを手に入れること”で、初めは子どものいない自分たちへわたしを養子に迎え入れるつもりだったらしい。もちろん、支援金目当てで。
しかし両親はそれを拒んだ。理由は簡単。わたしを手放したくなかったからだ。生まれた当初、出産に立ち会った巫女の口から、わたしがそう長くは持たないだろうことを告げられていた両親は少しでも長くわたしとともにいるため、養子の話を断った。二年間、ずっと。
けれどそれに義父は痺れを切らし、強硬手段に出てしまったのだ。
両親の殺害という手段に。
裏社会に蔓延る薬物異常者を使って母を、武装集団を使って父を殺害。そしてその子どもであるわたしたちは最も近しい者、つまりは叔母夫婦の許に預けらえるはずだった。義父の思惑通りに。
しかしそれを妨害したのはすでに亡くなっていた父だった。
父は生前、もしも自分が死ぬようなことがあればわたしたち子どものことは祖父に一任する旨を書面に記していた。当時、実家である伯爵家とは絶縁状態だったにもかかわらず、だ。その事実を知って焦った義父は祖父がわたしたちを引き取る前にと、無理やりにわたしたちを引き取った。
そうして引き取ってみれば、我が兄弟は全員がわたしを中心に動いている。兄たちのみならず弟までもが。それを知った義父はわたしを強く囲った。外出はさせず、他者との接触も可能な限りさせない。わたしがいる限り、兄弟たちは自分を守る盾になると義父は考えたのだ。実際その考えは的を射たもので、祖父たちが手出しをしてもわたしを得ることのできない彼らに兄弟たちが頷くことはなかったそうだ。
以降は先日にも話された内容だった。わたしたちを引き取って一年が過ぎた頃、義父の王宮管理管轄内での不祥事の発覚、それに伴った義兄夫婦殺害の露見などにより王国裁判が執り行われ、処断が決定した。
そして先日の伯爵家内部での処断会議となるのだ。
話し終えたお祖父さまは紅茶で喉を潤してから問いかける。
「この話を聞いてなお、お主はフェリクシスの処断を変えるつもりはないのか?」
今ならまだ殺せる、と暗に言っているのだろうか。けれどわたしは頭を振り真っ直ぐにお祖父さまを見た。
「先日、ルフトヴァル子爵さまに申し上げたことはわたしの心からの言葉です。自分によくしてくれた方を見殺しにはできません。それに、寝覚めが悪いと言ったのも本心です」
「……憎くはないのか?」
探るような視線を向けられ、わたしは思わず唇を噛んで俯く。
「…憎くない、と言えば嘘になります。ですが、それでもわたしは意見を変える気はありません」
しばらくの沈黙の後、お祖父さまが口を開いた。
「理由を聞いてもよいか?」
わたしは顔を上げお祖父さまの目を見る。興味本位や非難の色はなく、ただ真っ直ぐにわたしを見ていた。
「…憎いから殺してしまえ、という考え方も理解できないわけではありません。ですがわたしは、生きて…生き抜いて罪を償うことを求めたい。殺してしまえばそれまでです。死んでしまえばそこまでです。けれどそうではなく、生きて、自分の犯した罪の重さを知ってもらいたい。それに―――」
ぐっと唇を噛み締め、けれどわたしは言う。呪いを吐くように。
「それに、憎いからと殺してしまえば、わたしが今抱えているこの怒りは、憎しみは誰に、どこに向ければいいのですか?」
「……感情のはけ口、というわけか……」
静かにわたしの感情を受け止めていたお祖父さまはそっと目を伏せ、長く息を吐き出す。けれどやおら立ち上がるとテーブルを回ってわたしの隣に腰を下ろした。そしてそっとわたしを抱き寄せる。
「辛かったろう。苦しかったろう。だがお主ひとりが抱え込むことはない。辛いと思うなら吐き出せばいい。苦しいと思うなら泣き叫べばいい。わしはお主の力となろう。―――よく頑張ったな」
優しく優しくわたしをなでる手に知らず涙が溢れてきた。零れる嗚咽を噛み殺すこともできず、わたしはただただ、子どものように泣きじゃくった。バドッグさんが出て行ったのにも気付かぬほどに。大きな手の中で、ずっとずっと泣いていた。
怖かった。目の前で人が死ぬということが。暴力が振りかざされたということが。
ただただ怖かった。全てから守ってくれるはずの父が、人だったのかどうかもわからぬほどの姿になっていたのを見て。ただただ、怖かった。
守ってやると、フロルは言った。側にいると、ネルも言った。まだ小さなディーもいる。わたしはひとりじゃない、だから大丈夫。そう、自分に言い聞かせていた。
けれど、それでも不安だった。
目には見えない、“加護”という存在がわたしをひどく弱くした。
人とは違う。独りではいけない。そんな、なんでもないことが脅迫概念へと変わったのに、わたしは気付いていなかった。
だから必死だった。見捨てられないように。見限られないように。優秀でなければ。立派でなければ。
それだけが、わたしの生きる道だから―――
必死だった。怖くて、不安で、心細くて。
目の前に『死』がぶら下がっている。すぐ背後には地面がない。そんな場所に立たされている気分だった。
懸命に自身を奮い立たせ、励まし、ようやくやっと『わたし』を確立していた。
今、この瞬間まで―――