現状把握とご対面(?)
分けようかどうしようか悩んで結局分けた。
「豊穣の女神」とも呼ばれる地母神グランディア。その名からわかるように女神である。世界の六神柱の内、唯一の女神だと言われている彼女は『母神』でもあるのだ。そんな女神の加護下にあるが故にか、わたしの暮らすシルバニアンス王国は子どもを大切にする風習がある。
『大人は子どもを守り、子どもの生きる国を守るべし』と。
しかしやはりというかなんというか、どこの世界にも背徳的な考えを持つ者はいるわけで……。
右を見て、左を見て、ぐるっと辺りを見回して、
「…はあぁぁ……」
大きな大きな溜め息が出た。
わたしは現在、薄暗い牢屋のような場所に座り込んでいる。
どうしてこうなった。
薬学の先生に連れられて王立造芸園へ向かい、そこで役員の人に注意事項や説明などを受けて園内を見て回っていた。
…うん。ここまではちゃんと記憶がある。どこから記憶がないのだろうかと考え、確かトイレに行ったなと思い出す。護衛として付き添っていた物々しい方々は皆男性だったので、着いて来ようとするのを断固拒否して近くで待っていてもらうように頼んだはずだ。それから………。
はっきりとは思い出せないが、どうやらそこで後頭部を強打され気を失っていたらしい。今現在、後頭部がじんじんと痛いので間違いないと思う。
その辺りまで思考が辿り着き、思わず出た舌打ちとともに悪態が衝いて出そうになったのをぐっと呑み込んだ。生まれや生い立ちがどうであれ、今のわたしは貴族令嬢である。屋敷の中でお転婆をするくらいには目をつむってもらえるかも知れないが、外ではそうもいかないだろう。取り敢えずは自分ひとりで身を立てられるようになるまでは追い出されたりすると困るので。
まあ、うちの義父母はお人よしっぽいので一度引き受けたわたしたちをほっぽり出すなんてことは早々しないだろうが。一応、念には念を、だ。
「しかし……」
思わず衝いて出た自分の声が案外大きく反響したのに慌てて両手で口を塞ぐ。しばらく待ってみたが人が来る気配はなく、ほっと息を吐き出した。そこで再び舌打ちしそうになる。なぜ誘拐されたであろうわたしの方がびくびくして気を使わなければならないのだ、と。
自己中心的かつ人間心理を全くわかっていない理不尽な怒りだとは自覚しているがイライラする気持ちは収まらなかった。
以前は感情のコントロールを難しいと思ったことなどなかったのに―――
そう思ったと同時に、あれ?と思う。“以前”とはいつのことだろう、と。どこまでさかのぼれば“その感情”に辿り着けるのだろうか。
思考が沈みかけたところではっと我に返った。
足音が、聞こえる。石床…なのだろうか。硬質な音が反響してわたしの耳にまで届く。そういえばわたしがいるここは粗末だとはいえ縮絨布地の、絨毯のようなものが敷いてあるらしかった。
一体わたしはどこの誰にどういった目的でさらわれているのだろうか?
目の前まで来た男はわたしが起き上がっているのを見てにやりと口角を上げた。
「よう。お目覚めか、お嬢ちゃん」
「おかげさまで最悪の目覚めだけれど。頭が痛くって痛くって」
存分に嫌味を込めて返すと男は「言ってくれるぜ」と鼻で笑う。
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは今、自分がどういう状態に置かれているのか理解しているのか?」
「誘拐、並びに拉致監禁の被害者ね。そしてあなたが加害者かしら?」
先ほどまでのイライラが嘘のように感情を抑えることが容易にできた。今は男の些細な動向すら見逃さないように全神経が集中している。それに気付いているのか、男は更に顔を歪めて笑みを深めると笑いを噛み殺しながら言う。
「さっすがウォルスリーブ伯爵が『神童』と呼ぶだけはある。その年で難しい言葉をよく知ってらっしゃることで」
「それはどうも」
皮肉なのかどうかは知らないが興味がない話題なので取り敢えず軽く流しておくが、ひとつ、気になる発言が。
お義父さま、わたしのこと『神童』て。
犯人に心当たりはないが、狙われる理由はいくつか想像できる。
まずひとつ目に、わたしが“貴族の令嬢である”ということ。この世界での貴族の位置付けがどういうものかはよくわからないが、『貴族』と呼ばれるにはそれ相応の地位なり権力なり財産なりがあるのだろう。まして我が家は伯爵位。爵位第三位である。うちの義父に敵がいるとは考えにくいがいないとは言い切れないし、もしかしたら伯爵家当主、つまりはお祖父さまに何かしらの打撃を与えたいのかも知れない。そんな人物にとってのこのこと公衆の面前に現れたわたしは恰好の獲物だったのだろう。認めたくはないが。
ふたつ目に、わたしが“子どもである”ということ。この国の風習を鑑みれば子どもに対する無体は少ないだろうが、決してないわけではない。メリルによる常識講習でもあったが、この国で“ない”からと言って他国でも“ない”とは言い切れないのだ。当たり前である。子どもを誘拐しての人身売買の有無については他国にとっては事実であり、わたしはそれを当然だとも思う。子どもに限らず、人身売買を肯定するつもりはないが、はっきり言うとこの国の人々は危機感がなさすぎる気がしなくもない。残念なことに、わたしを含めて。
みっつ目に、わたしが“黒目黒髪である”ということ。これはいわゆる珍獣扱いである。この世界における黒目黒髪という存在は本当に希少らしく、“地球”でいうところの「新種生物発見!」やUMAに近い扱いなのだ。ひどいとは思うが仕方ないとも思う。わたしが同じ状況であったならやはり周りと同じ反応をしたであろうから。
まあ、それはさておき。
今現在の状況を見渡し、わたしがさらわれた理由を考える。部屋が暗いのでよくは見えないが男の身なりは粗末ではないが高級というわけでもなく、よくて中の上くらいだろうか。しかし男自身がまとっている雰囲気が荒くれ者のそれなのでひどく違和感を覚える。
わたしに声をかけてきた時からいくらかの威圧感はあったが殺気らしきものは感じないところを見るに、ひとつ目の可能性は薄くなっただろうか。それとも生かしておいて人質とするのだろうか。
よくよく見てみれば男は些細な身のこなしにも隙がない。腰に佩いた剣もそれほど粗末なものでないようなのでゴロツキというわけでもないのだろうか。であるならばふたつ目の可能性も低くなる。子どもの誘拐、並びに人身売買をするような者はこんないい身なりをしてはいないだろうから。どちらかというと“売る側”ではなく“買う側”に見える。
と、いうことは……
「珍獣…いや、わたしの場合は“珍品”扱いか」
思わず口から衝いて出た呟きを拾ったらしい男が片眉を跳ね上げた。
「…どうしてそう思う」
かけられた声にわたしも片眉だけを上げて軽く肩を竦めて見せる。
「別に。ただのカンよ」
適当に答えて逃げようと思ったが、どうやら男はそう簡単には終わらせてくれないらしい。やはり隙のない動作で腰に佩いた剣の柄に手をかけた。わたしがその動きを見ているのを確認して、カチリと小さな音を立てて刃を少しだけさらす。脅しなのだろう。
「わたしを傷付けても怒られないの?」
わざと子どもっぽく小首を傾げて問いかけると男は先ほどまでとは打って変わって神妙な面持ちをしていた。
「…傷付けないようにとは言われている。だが、もしもお嬢ちゃんがオレの主にとって害ならば、オレは殺されようとも今ここでお嬢ちゃんを殺す」
殺気さえにじませて告げられた言葉にわたしは内心で舌打ちする。どうやらわたしはこの男を見誤っていたようだ。掌と背中にじわりと汗がにじむ。
しばらく睨み合っていたがわたしは溜め息とともに頭を振った。
「まだ死にたくはないものね」
自分に言い聞かせるように呟いてわたしは自分の考えを話し始める。男はそれを黙って聞いていたしわたしも別段隠したところで意味はないと思って打ち明ける。そうして最後まで聞き終えた男はわたしをまじまじと見つめた後、とっても重苦しい息を吐き出す。
「旦那さまがお望みになるわけだよ」
愚痴るように呟いた男はようやくやっと刃を仕舞った。そしてやや乱暴に自身の髪をかき乱すと疲れたように溜め息ひとつ。
「オレたちはお嬢ちゃんを傷付けるつもりはない。大人しくしておいてくれるんならそれに越したことはないが逃げようってんならそれ相応の覚悟はしておいてくれよ?」
「また後で来る」と一方的に言い終えると男は部屋を出て行った。その足音が遠ざかり聞こえなくなってようやく私は大きく息を吐き出した。自分で思っていたよりずっと緊張していたらしい。握り込み過ぎて固くなった手をゆっくりと開閉する。
ほどよく緊張がほぐれたところでわたしは背後へと振り返った。
なぜ振り返ったのかはわからない。ただ操られるように“振り向かなければいけない”気がしたのだ。
そうして振り返った姿勢のまま、わたしは固まる。
わたしの視線の先には、人がいた。