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悪夢と夢想

 目の前に人が倒れている。緩やかなウェーブを持った金茶の髪とモスグリーンの瞳をした女性だ。いつもどこか不安そうに見つめてくる目は、今はなぜがとても穏やかで優しい色をしている。彼女が身に着けている若草色のドレスの胸元がどす黒く変色していく様をただ眺めることしかできなかった。


   このままでは死んでしまう


 頭の片隅でそんな言葉がひらめいたが、そもそも『死』とはなんだろうかと頭の別の一角が考える。けれどそれらを深く考えるより先に頬を伝ったモノにはっとした。手で触れ濡れているそれが涙だということも、やはりどこか漠然としながらも理解していた。


 なぜ自分は泣いているのだろう?

  ---悲しいからだ

 なぜ悲しいのだろう?

  ---彼女が死のうとしているからだ

 なぜ彼女は死のうとしているのだろう?

  ---自分を庇って刺されたからだ


 ゆるゆると視線をさ迷わせると少し離れたところで取り押さえられている男と、その傍らの赤く濡れた包丁が目に留まった。そして唐突に現実を理解したのだ。



「かあさま、かあさまっ」

 同じようにぼんやりとしていた彼女に声をかけるとその目が自分へと向けられる。健康的だった唇は青ざめ、顔からも血の気が失せていた。その姿を見ただけで(たが)が外れたようにぼろぼろと涙が零れ落ちる。けれどなぜかそんな自分を見た彼女は安堵したように微笑んだのだ。

「セ、ラ」

 ひどくかすれ弱々しく呟いた彼女は次の瞬間、むせるようにして血を吐き出した。美しい顔を赤く染め上げながら彼女は視線を巡らせ、先ほどの取り押さえられている男に目を留めた。その瞬間、男が顔を歪めながら嗤った。

「はっははっ!ざまあみろ!殺してやった!お前の女を殺してやったぞ!」


 苦しめ、悲しめ、絶望しろ!俺の日々を奪った悪魔め!死ね、死んでしまえ―――殺シテヤル!


 狂気すら感じるその言葉を聞きながらも彼女の表情は穏やかだった。何か得心したように吐息を漏らした彼女はゆっくりと視線をこちらに戻すとその冷たくなり始めた手で頬を撫でる。

「セラ、怪我は?」

 周りの音にかき消されそうなほど小さな囁きを拾い上げ、否定を示して頭を振った。そしてそれに再び頬を緩める彼女を見てくしゃりと表情が歪む。

 ゆっくりと、ゆっくりと、確かめるように頬を撫でながら笑みを深めた彼女は誘われるようにまぶたを閉じた。


   死ぬのだ


 そう確信し―――――






 はっと目を開けるとともに跳ね起きた。真っ暗な室内は静かで、自分の荒い呼吸が響いて聞こえる。じっとりと嫌な汗が全身を包み、その気持ち悪さに顔を歪めて舌打ちした。どさりと体を投げ出し、掛け布団を蹴り飛ばす。まぶたを閉じればありありと思い起こされる光景にぎりりと奥歯を噛む。

 しばらくそのままに、呼吸が整うのを待ってベッドを出た。クローゼットから夜着を取り出し手早く着替え、着ていたものは部屋の隅に置かれたバスケットに放り込む。けれどさすがにすぐには眠れず、仕方なく上着を手にそっと部屋を出た。ちらりと見上げた窓の外、夜空の高いところにはまん丸の月が浮かんでいる。それを尻目にわたしは廊下を進んだ。


 わたしが寝起きするのは屋敷の母屋ではなく、少し奥まった場所にある離れだ。薬学を教わるにあたり、臭いのキツイ薬草は少なくないため、人を招くこともある母屋では学ぶことができなかったのである。そのため長く使われていなかった離れが整えられ、わたしはそこで主に過ごすようになったのだ。

 今この離れにはわたしと、わたし付きのメイドであるメリル、そして、いつの間にかわたし付きの護衛ということになっていたバーンが寝起きしている。

 二階の一番奥まった場所がわたしの寝室であり、階段脇にはメリルの部屋、一階の階段脇にはバーンの部屋がそれぞれあるのだ。他にも客間や応接室、食堂に厨房も完備されているがほとんど使われたことはない。


 足音を忍ばせて階段を下り、厨房へと向かう。そして厨房脇の勝手口の扉に手をかけたところで背後から声をかけられた。

「お嬢さま」

 飛び上がらんばかりに驚いて振り返るとそこにはバーンが立っていた。あまり表情豊かではない彼だがその深紅の瞳には不思議そうな色が浮かんでいる。

「どうされましたか」

 問いかけながらもさり気なーく近付いて勝手口の扉を押さえていた。こんな時間に外へ出すわけにはいかない、ということなのだろう。十歳のわりにしっかりしている。

「ええっとぉ……」

 まさか見つかるとは思ってなかった(今までは見つかったことがなかった)のでとっさの言葉に詰まる。


 さて、どうしたものか。


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