愚者はだれか
『グレイグー』
ナノサイズの極微小機械・ナノマシンによる自己増殖の果てに起こる、文明の滅びの一形態。
無機物・生物の区別無く、ありとあらゆる物質を分子や原子レベルで分解・再構成を行う暴走事故である。
21世紀の終りに発生したこの事故は、何故起きたのか未だに解明されていない。
地上に残された人々はシェルターと呼ばれる建造物に篭り、ナノマシンの自己増殖抑制信号を周囲に発信し身を守る事で精一杯であった。
事故から100年以上経った現在、人類に残された物といえばかろうじて身を守れるシェルターといくつかの謎だけである。
何故事故が起きたのか。
地表や海洋がナノマシンの海と化しても何故、天候が存在し続けることができるのか。
何故人類がその突然のグレイグーに対応できる、シェルターや自己増殖抑制信号を持っていたのか。
何故グレイグーの進行が一気に進まないのか。
何故、ナノマシンの海からある時は動物、ある時は今は亡き家族、ある時は神代の幻獣や神々の形を取ったナノマシン群体が、シェルターを目指し襲うのか。
生き残った人々には、それらを解く機会と力は残されてはいなかった。
◆
グレイグーが起きた時、多くの人々はシェルターへと非難したのだが一部の者は空へと逃げていた。
星間航行船『ランギヌイ』もその内の一つで、 宇宙へと脱出したスター・シップの中では唯一地球に留まった船である。
高度15,000メートルの中軌道で地球を周回するこの船は、ナノマシンの海に沈みゆく地球をもう150年以上も観測し続けていたのだった。
過日、『ランギヌイ』による地球降下作戦において、人類はいくつかの拠点を手にし、『ランギヌイ』を含めそれらの拠点はナノマシン群体からの攻撃に晒されながらも、いつか大地を取り戻すべく『地上奪還計画』は一進一退に進められていたのである。
「ランギヌイ・オーダー第302戦闘訓練小隊より派遣された、エリナ・アシカイネンです。よろしくお願いします」
ヤン=グイ=フェイ・シェルターの第5隔壁内に建造された、対グレイグー対策基地『パルミラ』。
その日新兵器の納入にあわせて、『ランギヌイ』から一人の女性がパルミラ基地に駐留するゼノビア隊に着任した。
エリナと名乗った女性は、首元で切り揃えた金髪を揺らしぎこちなく敬礼を行う。
基地司令に着任の挨拶を済ませ、配属先の部隊隊長に着任の挨拶を行うべくやって来た兵器倉庫兼掩体壕での事だ。
「ようこそ、お嬢さん。俺はフィリップ。ゼノビア・オーダー第0521小隊の隊長だ。よろしくな」
「エリナと、フィリップ隊長。あと、お嬢さんはやめてください」
「そりゃ悪かった。ここは天上のお船と違ってお上品でない場所なんでね、みんな少々躾がなってないんだ」
「そうですか」
「ああ、気を悪くせんでくれ。もうすぐ出撃で慌ただしいが、歓迎しているのは事実だ。ただ、俺を含めてここの連中は皆物心ついた時には既に戦場でバケモンと戦っていたからな。文化的な行為と言えば、ヘタクソな歌を口ずさむか、慰安隊の女性と裸で腰振りワルツを踊る位しか知らん粗忽者の集まりなのさ」
「……わかりました。先程の台詞は、特に悪意がない、と認識しておきます」
「そう受け取ってくれると助かる」
フィリップはそう言って豪快に笑った。
歳は初老に差し掛かっていようが、アジア系であるからか、少し童顔に見えるその笑顔は人懐っこくエリナの不快感を僅かに払拭する。
先に挨拶に訪れた基地指令のアレックス司令官は落ち着いた雰囲気の黒人女性で、しかしかなり高齢の老女であったが、やはり口が悪く非常に不快な思いをした後だっただけに、フィリップの言は納得がいく内容であった。
「しかしアレだね。なんでわざわざこんな地獄の最下層みたいな場所にお嬢……エリナのような若いご婦人が志願して赴任するのかい?」
「世辞はご無用です。私はただ、対ナノマシン兵器の、それも絶大な効果をあげるであろうと噂される新兵器の、試験操縦士になれると聞いて志願しただけです」
「ふうん? ババァ……じゃない、司令にもそう言ったのかい?」
「はい、アレックス司令官にも同じ事を聞かれ、同じ回答を致しましたが何か?」
「はは、あの糞ババァ、さぞ目を丸くしたろうな!」
「何故です? たしかに、すこし驚いたような顔をしていましたが」
「何故ってあんた、ここがどういう場所か知らんわけじゃないだろう?」
「勿論、知っております。ここは『地上奪還計画』で最初に建造された拠点であり、今では最後の拠点であるパルミラ基地です」
「じゃあ、ゼノビア・オーダーズ第0521小隊の任務は?」
「新兵器などの実験部隊、ではないのですか? 地上最精鋭のゼノビア・オーダーの中にあって特に勇猛な小隊だと聞いております」
「誰に聞いたんだい?」
「船員管理局広報部担当のアンリですが……違うのですか?」
エリナの返答に、フィリップはすこし困った表情を浮かべ黙り込んでしまった。
彼女が志願した動機を理解しかねる、といった様子だ。
『ランギヌイ』の船員管理局広報部とは、『地上奪還計画』において重要な役割を担う部署である。
地上を飛び立ったこの船は、その当初において強烈な地上回帰の思想が上層部に存在していたものの、世代を経て宇宙で暮らす事が当たり前になった今、『ランギヌイ』で暮らす人々の間に地上放棄もやむなしという考えもじわり増えていた。
しかし『地上奪還計画』は様々な思惑の内に未だ推進され、その為の一般向けプロパガンダは盛んに行う必要がある。
その一貫として船員管理局広報部が新鋭の対ナノマシン兵器取り上げ、その華々しい成果を喧伝して人々の不安を和らげると同時に、計画への支持を得ようという腹積もりは末端のエリナにも理解出来ていた。
確かに地上生まれの者達にしてみれば、『ランギヌイ』での生活を約束された者が地上にやって来るなど理解出来ぬ話であろう。
彼らにしてみれば、ナノマシンの脅威に怯えることなく、平和に暮らせる星間航行船は文字通り天国なのだ。
しかしその内情は違う。
星間航行船『ランギヌイ』は遡ること数十年前、一度だけナノマシンによる攻撃を受けていたのだ。
その際、幾つかの船員管理システムを消失し、以来その部分はシステムの復旧までの間、人間が作った組織で補うはずであった。
だが消失したシステムは年月をかければ再構築は可能であったが、人の悲しい性であるのか、その間に様々な利権が発生して再導入は行われず、『ランギヌイ』で暮らす人々の間に深刻な格差が生じるようになっていたのである。
結果、船の運航と人員管理の職にあぶれた者は“下級市民”として扱われるようになり、生産性の低い者は貧困から抜け出せず負の連鎖が発生して、酷い場合には地上のシェルターへ“移住”させられていた。
そんな“下級市民”である彼らにとって、唯一与えられたチャンスが“地上任務”だ。
つまり軍属になり広報部のプロパガンダの一環として一定の地上任務をこなすことにより、人員管理や運行管理の職にありつける、という道だけが“下級市民”に与えられた救済なのである。
この“地上任務”は広報色が強いため、宣伝効果の高い任務ほどその後の再就職に有利であった。
エリナの志願もその辺りの打算が働いて、広報部担当に最も効果の高い任務を聞き出しての決断だった。
「……まあ、間違いじゃない。時にエリナ、君の任期はどの位を予定しているのだね? まさか、スター・シップの“乗組員”がずっと地上勤務なわけあるまい」
「赴任前、資料には目を通して来ました。第0521小隊は、ランギヌイ技術開発局4課発案の新兵器の試作機を使って、実証実験を行っているのでしょう?」
「ああ」
「その内容がフェイズ3となるまで、です」
「ふむ。じゃあ、今からやるフェイズ2の、次の奴が成功したら帰れる、のか」
「そうなりますね。もうフェイズ1で起動試験と歩行試験は終えていると伺っております」
「ああ、そこらは多少の問題はあったが無事終えてるよ。君が『ランギヌイ』に要請していた追加兵装を持って来てくれたんで、今日からフェイズ2に入る事になるかな」
フィリップの言葉にエリナは片眉を上げながら首を傾げた。
何か気になる事があるのか、その表情からはありありと不信が浮かび上がっている。
「問題? そんな報告、資料にはありませんでしたよ?」
「些細な事さ」
「新兵器の開発実験では些細な事でも『ランギヌイ』に報告せよ、としてあった筈ですが」
「……“重歩行型特別強化戦闘服”の試験機は、フェイズ1の歩行試験初期、コックピット・モジュールの問題点についてレポートが上がっていた筈だ」
「座席型操縦室の欠陥、の事でしょうか? それは解決済みですが」
「そうだ。欠陥を受けて検証を重ねた結果、身体追尾型操縦室に換装した後、三度の暴走を経て解決した。資料にも書いているはずだが? その内の一つは実証演習地の外まで歩き続けて、前任の試験乗務員ごとナノマシンの海に消えちまったんだ。ちょうど君と同じ位の若者が、ね」
「……結果、対グレイグー用兵器の開発が大幅に進んだのも事実です。人類はもはや、ヒューマニズムを振りかざして居られる段階じゃないと思いますが」
「……そうだな。暴走の理由も、地上産まれの試験操縦士の遺伝子が原因だったなんて結果もでているしな。まあ、だから今回からは試験操縦士は『ランギヌイ』から派遣して貰うようにしたんだが」
「……暴走事故の原因に不満でも?」
「そりゃ、遠回しに地上生まれは遺伝子が悪い、と言われれば良い気がしないのは事実だがね。だがそんなもの、彼らの家族にゃ関係の無い話さ。……エリナ、君はランギヌイ・オーダーのえっと、戦闘訓練小隊を出てまだ日が浅いのか?」
「はい。二月程前に訓練終了をしたばかりです。配備先志願書の第一志望をここにしておいたので、演習時間は……」
「そうか、じゃあ今すぐ帰って是非上司に伝えてくれ。たまには『ランギヌイ』の技術開発局4課のお偉いさんにも、遺族から鼻の骨が折られるほどブン殴られてみて欲しいってね。いや、広報部のお偉いさんやオーダーの隊長もでいい。医務室のベッドはこちらで予約しておくよ。ああ、慰安隊の綺麗所もコネがあるからね、必要ならば手配も任せてくれ。俺は『ランギヌイ』には知り合いは居ないが、慰安隊の連中はきっとあそこのだれよりも情熱的に歓迎してくれるはずさ」
「……それを私に言われましても。大体、今更任務を放りだして帰るわけにはいきませんし」
エリナは気色ばみながらそういって、フィリップを睨みつけた。
冗談であるかもしれないが、流石に面と向かって今すぐ帰れと言われては立つ瀬もない。
何より、なんとか成果を上げて帰らねば、またあの貧困に喘ぐ苦しい生活が待っているだけなのだから。
そんな彼女の敵意をフィリップは正面から受け止めて、ひとつため息をついた。
「エリナ。あんた、本当に試験操縦士になりたいのか? こんな、クソったれで陰気な場所で」
「はい」
「どうして? そんな危険な任務に就かなきゃならんほど、落ちこぼれには見えんし『ランギヌイ』での生活がここより苦しいとは思えんが」
「フィリップ隊長には関係の無い事です」
「まあ、そうなんだがな。しかし君が『ランギヌイ』に帰らないなら、俺としても隊の一員として良好な関係を築きたい。君もなるべく良い成果を上げて戻りたいんだろう? お互い、思う所があれば隠し事は無しにしといた方が良い」
「……だから、先程のような事を?」
「ああ。今すぐ帰れ、と言ったのは本心だ。俺にはエリナ位の娘が居てね。私情も挟みはしたが、アンタはこんな所で死にたがる程自棄になっちゃいないようだし。そもそも、ここじゃ本音をぶつけ合えない奴は生き残れないからな」
「……私、船員管理局に入るのが夢なんです」
「その転属条件としてこの任務に?」
「ええ」
「……前任の試験操縦士のジャンは、産まれたばかりの息子・アベルと三つになる長女を残して死んじまったぜ?」
「多少の危険は承知の上です」
「もっと他に楽な任務があったろう」
「帰還後の条件が良い任務は、ここがダントツでしたし。……こんな不純な動機ではいけませんか?」
「いや、動機はなんでもいい。あんたが奮起していい結果を残してくれれば、ナノマシン共と戦う俺達の武器がそれだけ上等なもんになるからな」
「では問題は無いはずです」
「そうなんだが……本当にいいのか? 資料は隅々まで読んでの志願なんだよな?」
やけにしつこいフィリップの確認である。
エリナは内心うんざりしながらも、決意は揺るがせず何度目かの肯定をしめしたのだった。
「はい。ただ、試験機の詳細は機密事項であるらしく、原隊で教導してもらうようにありましたので……」
「ああ、それならこれから紹介しよう。――そら、トレーラーに我らの女王様が積み込まれる所だ」
言って、迷いを振り切るようにフィリップは広大なバンカーの一角を顎でしゃくってみせた。
エリナは素直に受け入れて貰えなかった不満をありありと表情に浮かべながらも、そちらを見て驚きを瞳に宿した。
彼女が見た物とは、バンカーに設置された天上クレーンによってトレーラーに積み込まれる巨大な“強化防護服”であったからだ。
大きさは十メートルに届くかどうかという程で、ここまで大きいと最早“服”という呼称は適切ではない。
「あれが……“重歩行型特別強化戦闘服”の試験機……」
「資料で見るのと実物とじゃスケール感が違うだろ? 俺も初めて見るまでは単にデカい防護服だと思ってたんだが、実際は子供向けアニメの巨大戦闘ロボットにしか見えないよなぁ」
「隊長! “ゼノビア”の積み込み、完了しました。何時でも出撃可能です!」
驚くエリナにフィリップが感想を代弁している所へ、部下と思わしき若い隊員が駆け足で近寄って来て報告を行った。
報告を行いながら彼は、フィリップに直立不動で敬礼をしたままチラチラとエリナの方へ視線を泳がせる。
そんな様子にエリナは気にも留めず、本来ならば行うべき返礼すら忘れトレーラーに積まれた試験機に目を奪われていたのであった。
「よし、じゃあ出撃は予定通り一時間後。アレックス基地司令にシェルター外活動の許可を申請しておけ」
「はっ!」
「それと、隊の連中にはいつもより十分早く集まるよう伝達しておけ。こちらの仏頂面の美人を紹介してやらんとな」
「了解しました!」
隊員はフィリップの指示に短くそう返して、キビキビと走りトレーラーの方へ戻って行った。
それから間も無く、遠目に見えるトレーラーの周囲で歓声が沸き起こる。
どうやら“美人を紹介してやる”というフィリップの言葉が彼らを奮起させているらしい。
その様子を眺めながらフィリップはやれやれと後頭を掻いて、ブリーフィングルームへと移動するべくいまだ立ち尽くすエリナを促した。
◆
ヤン=グイ=フェイ・シェルターより西に数十キロメートルに位置する山中。
標高が高い為か高い木々はなく、荒野が広がって実験には最適な立地であった。
周囲は雪が所々にのこり、遠くには山々が見えてぐるりと景色を囲んでいる。
『こちら指揮車両。“ゼノビア”、応答せよ』
「――こちら04エリナ。通信良好」
狭苦しいコックピット内でエリナは息苦しさに耐えながら、補助通信装置の音声に答えた。
彼女は今、新型のコックピットユニットのテストを行っている所である。
『こちらフィリップ。エリナ、新型身体追尾型操縦室の具合はどうだ?』
「……非常に居心地が悪いです。うつ伏せになって、目の前に小さな補助モニタがあるだけで照明すらないんですから」
エリナはそう答えて、本当にここがコックピットなのかと自問した。
と、いうのも、“ゼノビア”と愛称をつけられた“重歩行型特別強化戦闘服”の試験機の操縦席は、まるでロボットアニメに出てくるような外観とは裏腹に、その背に人一人がなんとか入れる程の縦穴がポッカリと空いていて、そこにただ入るだけの仕様であったからだ。
内部は座席と言うよりもベッドに近く、寝返りすら打てないほど狭いからか、体を固定するベルトの代わりに只でさえ狭い内壁がせり出してきて全身を固定してしまう仕組みであった。
唯一自由に動かせるのは、操縦席とは名ばかりの穴の中には更に横穴があって、そこに腕をつっこみ、奥に設置された補助操作用ハンドルを握る両手と補助モニタを見る頭くらいか。
『そうか。まあ、仕方無い、か』
「頭とベッドに突っ込んだ腕以外動かす事もできません」
『我慢しろ。最初の試験操縦士は座席型操縦室を使っててミンチになっちまった。機体の挙動が激しすぎて固定ベルトなんか役に立たないんだ』
「……それだと、この新型コックピットユニットも同じでは? それ程の負荷が掛かるなら、すぐにブラックアウトしてしまうかと」
『その心配はいらん。その新型ユニットは主機の起動後、コックピット内部に対G用衝撃緩衝流体が充填される』
「そんな状態で“コレ”を本当に操縦なんてできるのですか?」
『それをいまから説明するんだ。何のためにこちらからリモートでそこまで歩かせたと思う?』
「……04エリナ、了解しました。ブリーフィングを始めて下さい」
『了解した。それではこれより重歩行型特別強化戦闘服試験機・“ゼノビア”のブリーフィングを始める』
通信機からややノイズ混じりにフィリップは宣言し、同時に機体のどこかの機関が動き始めたのか鈍く重苦しい音が響いてきた。
エリナは緊張しながらその音を聞き、知らず全身に力を籠めてしまう。
唯一の光源である眼前の補助モニタには文字しか映っておらず、エリナの得体の知れない恐怖を更に煽った。
そんな彼女の緊張を知ってか、フィリップは回りくどくも機体の説明から始めるのであった。
『じゃあ、まずはおさらいからだ。エリナ、この試験機は何故“人型”だと思う?』
「資料では、強化防護服の発展系、とありました」
『そうか。だが、そもそもなぜ強化防護服を着てナノマシン共を迎え撃つ必要がある?』
「……強化防護服にはナノマシンに対して活動抑止信号発信装置が取り付けられているからです」
『ちがう。その信号だけなら戦車にも飛行機にも、『ランギヌイ』にだって取り付けられる。いいか? 連中はな、範囲は狭いが空気中にもナノマシンを散布する事もあるんだ。侵攻時、生身で会敵しようもんならすぐに分解されちまう』
「……それは強化防護服でなくとも戦車や飛行機でも同じでは?」
『防護服はな、戦車のように他の搭乗員はいらんし、飛行攻撃機と違って一人で武器の補充が可能だ。なにせ戦車や飛行機のように専用の工具やリフトを使ってミサイルや砲弾を何人もの人間を使い補給しなくて良いからな。銃にエネルギーカードリッジを付け替えるだけ、だろう?』
「はい」
『つまり、強化防護服は壊れない限り脱がずに補給が可能なんだ。それに、戦車といっても様々に用途があるしそこに飛行機だの、ヘリだのが加わってみろ。広い基地もまともに確保できない上この戦力不足に、そんな整備要員までは多く用意できん』
言われてエリナはフィリップの言うとおりかも知れない、と考えた。
確かに、多彩な兵器を使うほどそれを運用するための整備員が必要になる。
その点、人のように振る舞える人型ロボットならば、ある程度のことは歩兵のように自前で出来る様になるかも知れない。
しかし――
「それだと今度はこの“ゼノビア”の存在意義がわかりません。これだって、整備が必要になる機体ではないですか」
『“ゼノビア”はな、強化防護服のスケールアップなんだ。それこそ一人で動かせて、それでいて従来とは比べものにならん機動力と火力を発揮し、高出力のナノマシン活動抑止信号発信装置が取り付けられる』
「戦車や飛行機の高性能化ではダメなのでしょうか」
『戦車や飛行機は何処まで行っても戦車や飛行機だ。どうしても、人間……歩兵のサポートがいる。今、対ナノマシン兵器で求められるのは、歩兵の高性能化だ。少ない兵員で敵を迎え撃つ必要があるからな』
「“ゼノビア”の場合汎用歩兵兵器としての採用が前提で試験を行っている、と言う事ですか?」
『そうだ。究極的には“ゼノビア”は歩兵のように単独で哨戒、攻撃、補給、移動を行ない、高出力の活動抑止信号発信装置によって散布ナノマシンの影響下でも長時間活動できるようなるはずだからな。整備・補給の問題も、“ゼノビア”だけを扱えば良い状況になればまとまった物資を確保しやすい』
「武器も歩兵用のをスケールアップして持ち替えれば、状況に応じて戦い方が変えられる、というメリットもありますね。勿論、その場合も換装に人員は割かれません。その辺に転がしておいて、都度拾う、と言う事も可能ですし」
『ああ。わかってきたな? その試験として今回は“ゼノビア”サイズにスケールアップした歩兵用ライフルを『ランギヌイ』で製作し、君と一緒に届けて貰ったというわけだ。ではそろそろ主機に火を入れるぞ?』
同時に、カシュン、と音がして“ゼノビア”の主機に火が入った。
エンジンはすぐに力強い唸りをあげて回り始め、機体の各部が作動し始める。
音は狭い操縦室内にもなだれ込み、遅れて対G用衝撃緩衝流体と思われる無色の、ドロドロとした液体が流れ込み始めた。
エリナはその様子にやや不安を覚えて、溺れないかと心配しながらもっとも肝心な事を聞いてないことに気が付いて口を開いた。
「しかし人型のロボットを操縦するにあたり、高度な操作技術が要求されます。対して、私はまだ“ゼノビア”の操作を一切知らされてはいません」
『その必要は無い。主機が立ち上がると操縦システムが自動的に起動し、君は“ゼノビア”そのものとなる』
「は? それはどういう……」
『む? 資料に書かれていなかったのか? 一番重要な部分だぞ?』
フィリップの言葉に焦るエリナ。
一瞬で吹き出た嫌な汗が背を伝う。
記憶を辿り、必死でたたき込んだ資料を思い返すが、どう考えてもそのような項目は見当たらなかった。
確かに操縦の項は機密、とされていたはずだ。
対G用衝撃緩衝流体はエリナの不吉な予感を煽るかのように、コポコポと音を立ててコックピットの中に満ちて行く。
「いえ、だから、その部分は機密で……」
『おかしいな、そこだけはしっかりと候補者に説明するよう申し入れていたんだが』
「……フィリップ隊長。教えて下さい。“ゼノビア”はどのようにして動かすのですか?」
『技術開発局4課の連中は“リンク”と言っていたよ。俺達は“憑依”と呼んでるが。身体追尾型操縦室の最新式らしい。つまり、操縦者は“ゼノビア”の脳そのものとなるんだ』
「どういうことですかそれ?!」
『……知っているかい? 君達ランギヌイ生まれの人間には、情報管理用のナノマシンが体内に居ることを』
「それは知っていますが――」
『そのナノマシンを介して、まず君の脳と体の接続を切り離す。それから、ゼノビアの機体各部と君の脳を再接続させるんだ』
「そんなの! そんな事、聞いてません!」
絶叫に近い悲鳴が狭い操縦室に鳴り響いた。
液体は既に体の半分の所まで満ちている。
『……どうやら君は、広報部の担当に嵌められたみたいだな』
「そんな! 隊長、フィリップ隊長! 私はこれからどうなるのですか?!」
『君は“ゼノビア”そのものになるんだ。機体の各部には触覚センサーがあって、五感は代用される。痛覚は制限されるみたいだが、それこそスケールアップした人間その物となる。そもそも、“ゼノビア”の形はその為の人型なんだが……』
「いや! 戻して下さい!」
『それは無理だ。現状フェイズ2では起動後、外科手術でもしない限り搭乗者は元の体には戻れない。つまり、任務中君は“ゼノビア”として過ごす必要がある。幸い、君の体は対G用衝撃緩衝流体が保全してくれるから上手く行けば元の体に戻れるはずだ』
「そんな話! 聞いていません! 私聞いていない!」
『……すまない、俺も、俺達も君がそれを知らないだなんて聞いていなかった』
「いや! 助けて!」
『……助けてやりたいが、主機は既に立ち上がった。間も無く君の脳は強制的に“ゼノビア”と接続されるだろう』
「だ、だれか! ぷ、おぷ、だれか助けて!」
悲痛な叫びはすでに彼女の体を守る液体に邪魔され、ままならない。
また、“リンク”の準備に入ったのか比較的自由であった頭と腕は何時の間にかしっかりと固定されていた。
――耳の後ろで、なにか機械が動く音が聞こえる。
脳と体の接続を切る装置なのかも知れない。
そう思うと余計恐怖が際立って、エリナは全身の毛を逆立てる思いで悲鳴を上げた。
『おちつけ、04エリナ試験操縦士。君はバンカーで言っていたよな? 人類はもはや、ヒューマニズムを振りかざして居られる段階じゃない、多少の危険は承知の上だと。今からでも覚悟を決めるんだ』
「無理です! そんなの、私!」
『それよりも、なるべく早く感情を鎮めた方がいいかもしれない。過去に起きた“ゼノビア”の暴走は、操縦士が“憑依”の時に強い拒絶の感情が強くもってしまい起きているからな。技術部の報告通り、『ランギヌイ』の管理ナノマシンが入った遺伝子なら大丈夫かも知れないが、そうでなければジャンの時のようにまた暴走して、ナノマシンの海に向かい歩き続ける事になるかもしれないぞ』
「ひ?! い、嫌! ここから出して! お願い、死にたくない! だれか!」
絶叫は満ちて行く液体によって掻き消されてしまった。
やがてエリナは後頭部に鈍い痛みを感じた瞬間、その意識を手放してしまうのである。
――その後、彼女が再び『ランギヌイ』に戻る事は遂に無かった。