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あなたに変わらぬ愛を



 21世紀が終わる頃に発生した、ナノマシンによる暴走災害“グレイグー”。



 事故発生当時アフリカ大陸はただ一つ、人類種の箱船と呼ぶべきシバ・シェルターを残して、暴走するナノマシンの海に沈みつつあった。

 ナノマシンによる無差別な物質分解と自己増殖の原因は当時から不明であったが、ただ一つ。

 その発端の地はアフリカ北部である事だけが確かだった。

 サハラ砂漠の中央、まるでオアシスのように破滅の始まりは静かに蠢く。

 最初の犠牲者は文字通りオアシスと勘違いして近寄った地元の若者である。

 それまでも幾度かオアシスらしき泉の目撃情報が付近の村でささやかれ、興味本位に捜索していた者達がこれに近寄り、呑み込まれた。

 次いで、夜になっても戻ってこない若者を捜索していた村の男衆が呑み込まれてしまう。

 朝には村は跡形もなく、突如砂漠に湧き出た灰色の水によって文字通りすべて分解されてしまっていた。

 それから間もなく、三日程置いてから全世界規模で非常事態宣言が当時の国際連合主導の下発令され、世界の目はアフリカへと向いた。

 この時、人類の対応はある者は遅すぎたと評し、またある者はできうる限り最速であったとされている。

 それまでもナノマシンによる事故は何度か起きており、それを教訓に厳密なナノマシン仕様が国際標準化として定められていた。

 その最重要項目には、ナノマシンの緊急停止信号と増殖抑制信号のプログラムの設置、国際標準指令ユニットによる緊急制御が可能である事が義務づけられるとされている。

 これらの技術やコード等は勿論、所有している国々にとっては最重要機密である。

 更に当時、軌道エレベータや外宇宙航行船の建造を開始した人類にとっても非常に扱いの難しいものであり、事故が頻発するほど手軽な技術でもなかった。

 つまりは、如何に技術先進国であろうと、自己増殖型ナノマシン制御は非常に難解で厄介な代物であったのだ。

 国連はすぐさま、自己増殖型ナノマシン技術所有国で構成された委員会を通じて、調査チームを派遣した。

 調査チームは現地入りするや、各国の最重要機密である緊急停止コードや国際標準指令ユニットによる緊急制御など、あらゆる方策を用いる。

 しかし。

 すべてが、すべての希望は、破滅のオアシスには無効であった。

 そしてその後の調査チームの報告によって、史上初めて人類が一つとなる。

 皮肉にも、戦慄と恐怖という暗い絶望一色に。



 絶望の最前線に居た人々には、猶予があった。

 それは時間であり、同時に小さな希望だった。

 アフリカから遙か東の地に離れた国で開発中であった、ナノマシンの増殖抑制信号コードが有効であると分かってから10年。

 各地では軌道上で建設する予定であった、外宇宙航行船の技術を使用したシェルターが建造され次々と完成した頃。

 アフリカ連合が建造できたのは、“シバ・シェルター”ただ一基のみだった。

 元々ヨーロッパや極東アジア、北アメリカ大陸の国々から技術的に大きく水をあけられ、ただ一つのシェルターも資源の無償譲渡を交換条件に手に入れたものである。

 シバ・シェルターは北アメリカ大陸に設置されたゼノビア・シェルターと同型で、北アフリカ大陸中部に建造された。

 北東にはアフリカ大陸最高峰の山、キリマンジャロがそびえて、北からのナノマシンの海による浸食をある程度は押しとどめていた。

 すでにシェルター用のナノマシン増殖抑制信号発信器が全世界へと配布され、人類は一時の猶予を覚悟と脱出に使い始める。

 ナノマシンの浸食スピードは依然遅く、いくつかの外宇宙航行船を建造する余裕すらあったのだ。

 ただ、スターシップに乗れる者は少なく、ましてやアフリカ大陸に生きる者にとってはチャンスのすら与えられはしない。

 必然、そこに住む彼らが唯一助かる方法はシバ・シェルターに入ることであった。

 人々はこぞって家畜を連れ、大陸全土からアフリカの中央へ向けて移動を始めた。

 しかし、果たして約束の地で目にしたのは閉じられた門だった。

 そう、かなり初期にシバ・シェルターは人員を満たし、その門を閉じていたのだ。

 ヤイという少女もまた、閉じた門を見て絶望を抱いた者の一人である。

 他に行く当てもない人々は、やがてシバ・シェルター周辺に集落を作り始めた。

 キリマンジャロの麓にて、かつては豊かな国立公園であった大自然はたった数年でその姿を消してしまう。

 更に分散するおびただしい集落群では略奪が横行し、老人や男は殺し殺され、若い女は残らず連れ去られ暴行された。

 年端も行かぬ年齢であったヤイもその被害者であり、捕らわれたキャンプがナノマシンの海に沈むまでの間、少女が世界の全てを憎悪するに十分な月日が流れた。

 本来、ゼノビア・シェルターと同型であるシバ・シェルターは、周囲数百キロにわたってナノマシン群体は進入できないよう信号を発する。

 しかし、彼女が捕らわれたキャンプはシェルターから遙かに離れた地、キリマンジャロの麓であった。

 これはヤイをさらった盗賊団の長が、山の近くなら水のようなナノマシン群体は上ってこれないと考えたからだ。

 だがその考えはアッサリと否定され、ある日灰色の大洋は獣と化した男達と哀れな女達を、キャンプごと分解してしまう。

 ヤイ一人を残して。

 なぜ自分だけが助かったのか、彼女には理解する術を与えられてはいなかった。

 それは奇跡であったのかもしれないし、悪夢の続きであったのかもしれない。

 気がつくと痩せこけ汚れた自分の体と、身につけていたぼろぼろの服だけが残されていたのだ。

 いや、取り残されたと表現した方がいいのかもしれない。

 辺りには草木一本生えておらず、むき出しの緩やかな斜面となった地面が見えて、ヤイはそこに横たわっていた。

 斜面の登り側には、キリマンジャロの美しい頂がそびえ立つ。

 反対方向には灰色の海が一面に広がり、シバ・シェルターの方角にはうっすらと緑の島が見えていた。

 緑の島のむこうにはキリマンジャロとは似ても似つかぬ、巨大な半球状の建造物が霞んで見えて、少女の憎悪をかき立てる。

 灰色の海の波打ち際は、ヤイが立ち尽くす場所から10メートルも離れてはいない。

 ヤイは己が生き残った理由も分からぬまま、ただ目に映る物すべてを呪った。

 地獄から解放されたとはいえ、彼女にとって世界は相も変わらず憎悪の対象であったのだ。

 少女は長らく口にしていなかった言葉を、いや言葉にならぬ絶叫を上げ、むき出しの地面から握れるだけの砂利をつかみ灰色の海へ投げ入れる。

 ただひたすらに、半狂乱になりながらひたすらに、地面からなにかを拾い上げ灰色の海に向かって、遠く緑の島に向かって、シェルターに向かって投げ続ける。

 投げ続けながらヤイは泣き叫び、徐々にナノマシンの海へと近寄っていく。

 そしてついにはその身を海の中へと投じてしまった。

 無慈悲な微少機械達は、哀れな少女を塵以下になるまで分解してしまうだろう。

 だが、少女の最後の望みすら世界は受け入れはしなかった。

 胸に衝撃を受け、少女は灰色の海からはじき出される。

 一瞬呼吸は止まってしまいむせたが、過去に受けた暴行などに比べればどうというほどの物ではなく、すぐに思考は回復した。

 ナノマシン群体に浸したはずの足を見ると、まったくの無傷であり回復した思考を少女は混乱させる。

 次いで自分を突き飛ばした物の正体を探ると、先程まで居た場所に一匹の雄ライオンが見えた。

 当時のアフリカにおいても雄ライオンは絶滅寸前であり、ましてやこのような場所に居るなど不自然極まりない光景である。

 雄ライオンは混乱する少女に向かって、ゆっくりと近寄ってくる。

 ヤイは混乱の極みにあって、しかし不思議と恐怖は感じなかった。

 やがて雄ライオンはヤイの眼前までやってきて、その少女の胴体程もある大きな頭を一度、呆然と尻餅をついたままの彼女にこすりつける。

 ヤイは強い獣臭に我を取り戻し、恐る恐る害のなさそうな不思議なライオンのたてがみを触った。

 瞬間。

 ライオンはグニャリと波打って、灰色の液体になったかと思うと、今度は背の高い男の姿に変化する。

 男はヤイと同じく漆黒の肌を持ち、痩せた体に質素な布を巻き付け、細身の槍を手にした青年であった。

 少女には分からなかったが、男の姿はマサイの戦士のものである。

 青年は目を丸くして地に座り込むヤイに、優しく笑いかけ手をさしのべる。

 ヤイはわけも分からぬまま、なぜかその手を取った。

 聡明な彼女は相手が何者かは何となく理解できていたが、なぜかこの時恐怖も憎悪もわかなかった。

 触れ合う手と手。

 青年の手は温かく、少女はまたも浸食や分解はされなかった。


「あなたは……だれ? 一体どうして私を?」


 何年ぶりかに抱く、他者への興味がヤイの口をついた。

 青年は穏やかに笑いながら、一言シンバと答えた。

 ライオンを意味するスワヒリ語に、ヤイはそのままの意味ねと返して重ねた手に力を込め立ち上がる。

 その表情はどこか、さばけていた。

 青年はヤイの手を握ったまま、もう一方の手で持っている槍をキリマンジャロの頂へと向ける。


「あっちに行くの?」


 問いかけに、青年は笑いうなずく。

 ヤイは灰色の海とその向こうのシェルターを一度見て、それからすぐに青年に向かってうなずき返した。

 青年は人ではない。

 それは間違いないだろう。

 しかし、そのままその場所に止まるつもりも無かった。

 間もなく二人は手を繋いだまま、雄大な山の方へ歩き始めた。



 どうも、自分が居た場所はキリマンジャロの麓に近い場所であったらしい。

 青年と連れ立って山の方へと向かったヤイは、幸運にも未だ手つかずの森と一軒の小さな小屋を発見した。

 小屋にはポータブル式の人工太陽と光発電機が備えられており、二人で住むには特に不便はなさそうである。

 住人はナノマシンの海が接近してくるのを察知してか、かなり前に避難していたらしく内部はかなり荒れていた。

 小屋の外壁には度々奪い合いが発生していたのか、そこかしこに銃弾の跡が残っており、設備が無事であることは奇跡だと言えよう。

 ヤイと青年は、まるでそうであることが自然であるように、その小屋で生活を始めた。

 幸い食料はナノマシン渦を逃れた近くの森から手に入ったし、数年経っても人とは出会わず、二人は穏やかな日々を送る。

 ただ、最初の内は様々な薬物を打たれ、堕胎を強要されたヤイが何かと床に伏せる日が多かった。

 その度に青年が看病をし、彼がヤイの額に手を当てると苦しみは嘘のように消え去り、やがて半年も過ぎた頃にはヤイは健康な体を取り戻すに到る。

 青年は無口であったが献身的であり、その微笑みは長い年月の中でヤイの心を徐々に癒していった。

 星がよく見える夜、たまにヤイは“我に返る”のだったが、結局彼女は様々な疑問を青年に追求する事をしなかった。

 何故自分だけが生き残れたのか。

 何故、あのナノマシンは自分に色々と手助けをしてくれるのか。

 何故、ここら一帯はナノマシンの海に沈むこと無く、しかも人間が一人もいないのか。

 何故、あの青年はアイシテルとこんな汚れきった自分に微笑むのか。

 ……何故、ボロボロになるまで身体を痛めつけられた自分が、あの青年の子を身籠もる事ができるのか。

 疑問は幸福によって塗りつぶされてゆく。

 ナノマシンに何か思惑があるのではと思わないでもない。

 しかし、ヤイにとってそれは些細な問題であった。

 なぜならば。

 彼女は世界を憎悪していたからだ。

 人間を呪っていたからだ。

 ナノマシンの海よりも、その向こうに見える丸いドームを心から憎んでいたからだ。

 青年が自分を利用しているとして、それは彼女にとっては裏切りではなかった。

 むしろ、自分の身を捧げることで人類に一矢報いることができるならば、喜んでその身をささげるであろう。

 そんな暗い想いは彼女の内側を満たし続けてきたのだ。

 何年も、何年も。

 平和で幸福な日々は、彼女の怒りと憎悪を決して薄めはしなかったのである。

 膨らんでいく下腹はまるで、そんな彼女の憎悪を糧とするかのように順調に成長していく。

 やがてヤイは女の子を産み、それから更に数年が経った。

 彼女の幸せな生活はその日、唐突に終わりを迎える。

 けたたましい音と共に、一機の航空機が彼女の住む場所へ降り立ったのだ。

 この時のヤイには知る由も無かったが、シバ・シェルター内部では様々な権力闘争や反乱が頻発し、人員の管理もままならない状態であった。

 その門を閉めてから約十年、シェルター内部の様々な施設は早くも限界を迎え、内部に住む人々は外へ食料を求めて門を開いていたのだ。

 はじめは周囲の平原や森から食料を得ていた彼らだったが、直にそこにある資源も食い尽くしてしまう。

 そこで、遠くに見えるキリマンジャロが未だ灰色の海に沈んでいないことを確認するや、早速探索にやってきたのだった。

 母となったヤイとその娘は急いで森の中に隠れ、藪の中から垂直に離着陸する航空機をじっと観察する。

 ゆっくりと着陸した航空機からは、いかつい鉄のゴリラのような強化防護服を着用した兵士が数名降りてきて、ヤイの小屋を荒らし始めた。

 その様子を見たヤイの娘は恐怖と悔しさから声を押し殺して泣き始め、ヤイ自身も又、胸の奥底に沈殿していた憎悪が激しく燃え上がっていく。

 激しい怒りが視界をゆがめる。

 強い憎悪が歯を鳴らした。

 何かが割れる音や壁が打ち壊される音が、小屋の中から響いて来る。

 彼女の夫となった青年は森の中へ食料を捕りに出ており、ヤイはただ、成り行きを見守るしかない。

 やがて、彼女のささやかな幸せに土足で上がり込んできた者達は、一通りの戦利品を手に小屋から出てきた。

 ヤイは数年ぶりに屈辱に唇をふるわせ、その様子をじっと見つめる。

 兵士達は手にしたわずかな食料をお互いに見せ合い、何やら会話を交わしていた。

 そんな彼らに、突如大きな影が襲いかかる。

 いつか見た大きな雄ライオンが森の中から飛び出して、一人の兵士に覆い被さったのだ。

 兵士は強化防護服の外まで聞こえる悲鳴を上げながら、ライオンに触れられた場所から灰色の水へと代わり、やがて何も残さず分解されてしまった。

 同時に、他の兵士が構えた銃から対ナノマシン用の熱線がライオンへと放射され、あの青年はあっけなく燃やし尽くされてしまう。

 それをみたヤイは、今までに無いほどの憎悪をたぎらせて、思わず隠れていた藪の中から飛び出した。

 強化防護服に身を包んだ兵士達もすぐに彼女に気がついて、ライオンを屠った銃を今度は彼女に向ける。

 ヤイはいつかそうしたように、足下の砂利をつかみ、言葉にならない叫び声をあげて兵士に投げ始めた。

 投げた砂利は、大きな物は混じってはおらず、パラパラと兵士のヘルメットに降りかかる。

 兵士は目の前の狂女のような女の行動に少し驚きながらも、行動が無害だと知るや嘲笑を浮かべ、トリガーに指をかけた。

 その瞬間。

 いつか、ライオンが青年の姿に変わったかのように。

 兵士達の視界の“すべて”が灰色となってゆがんだ。

 森が、家が、地面が、山が。

 目に映る全てが灰色の海と化して、瞬く間に兵士と航空機を呑み込んだのだ。

 その様はまるで、ヤイの心を具現化したかような光景であった。

 やがて、全ての兵士が呑み込まれた後、世界は再び“元”の姿を取り戻す。

 ヤイは目の前で起きた事実を不思議とありのままに受け止めて、森の中で泣き続ける娘と共にすっかり元通りとなった家に戻ることにした。

 それから、娘に父親を捜してくると伝え、家を後にして山を下ってゆく。

 ヤイの娘が母親の姿を見たのはそれが最後であった。

 彼女は寂しさに涙し、父と母の名を呼び続けたが遂に両親が彼女の前に現れることはなかった。

 そんな出来事から更に数年。

 成長した彼女がある日、母の面影を追って山を下りそこで見た物は、何処までも続く灰色の海だけであった。

 母が憎んだシバ・シェルターの姿はもうそこには無かった。

 あの日以来、航空機が小さな家にやって来る事も無い。



 ただ、母親と入れ替わるように男の子が一人やって来て、やがて彼と家族となった少女は寂しさを忘れるのであった。




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