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ロストパラダイス



 朝。



 淡い光が差し込むその部屋で、男はいつものように眠りから覚めた。

 時刻は地球標準時6時20分。

 寝室は整然として狭く、調度品のようなものは何一つ無い。

 まだ眠気が残る重い頭を持ち上げ、男はベッドの上で上体を起こしながら光を遮っていたカーテンを引いた。

 淡く室内に入り込んでいた光が一気に強くなり、男は毎朝そうするように眉間に皺を寄せ、外を見る。

 部屋の外は美しい青空と遠く山々の風景が広がって、その手前にはまるで絨毯のような草原が色とりどりの花々を咲かせていた。

 恐らくは誰が見ても心に残るであろうその景色を見てしかし、男は一つため息をつき気怠い様子でベッドから降り光に満ちた寝室を後にする。

 やがて明るい寝室に今度はシャワーの音が転がり込み、差し込む光がすこしだけ強くなった頃男は寝室に戻ってきた。

 体を洗い流し張り付いていた水滴は綺麗に拭き取られ、白髪まじりの髪もすっかり乾いている。

 男は裸であり、加齢により所々皺が寄り染みが浮き出ている胸板には十字のペンダントがぶら下げられているだけであった。

 仕事へ向かうのか、それとも誰かと会う約束があるのか、彼はクローゼットから下着とスーツを取り出し、衣擦れを音を立てながら身に付けていく。

 やがてネクタイを締めた男は、朝食も摂らずに玄関の扉を開け、外へと足を踏み出したのだった。



 昼。

 男は教会に一人跪き、十字架に貼り付けられた男性の象に一心に祈る。

 丘の上にある石造りの古い自宅を出た彼は、美しい景色を眺めながら麓の村まで歩いた。

 村の質素なメインストリートにさしかかると、馴染みの女将に声をかけられ進められるままに彼女が切り盛りする食堂で朝食にした。

 男は朝食後、“初めて見る”美しい景色を再び堪能しつつ村を散策し、そこら中に気怠いため息を撒き散らす。

 道すがらすれ違う村人は皆男の幼なじみであり、父であり、母であり、親しい隣人でもあった。

 そんな彼らから愛情と親しみを込めて男は話しかけられ、その度に彼は曖昧な返事と笑顔を浮かべて応対した。

 しかしその様子は、朗らかな相手とは対照的にどこか疲れたような様子である。

 時刻は地球標準時11時20分。

 男はなにかから逃れるように、村の外れにある小さな教会に足を運ぶ。

 教会に神父は居らず、しかし男は意に介さずそのまま彼が信仰する神の足下に跪いて日課である祈りを捧げ続けていた。


「ごきげんよう、Mr.リチャード」


 教会の中に響く、男以外の者の声。

 鈴のような、美しい天上の音楽のようなその女性の声は、男の祈りを聞き届けた女神のようであった。

 女神は跪く男の目の前に突如現れ、白いワンピースのような着物を身につけ立っていた。


「……何度来ても一緒だぞ。俺は“そっち”に行かん」

「Mr.リチャード。あなたは説得に応じるべきです。施設の維持には限界は在りませんが、あなたの体はもうすぐ活動限界を迎えます」

「放って置いてくれ。大体、既に何十億も“そっち”に居るのだからいいじゃないか」

「数の問題ではありません。私の使命は、本船に乗船するすべての人間種を保存する事です」

「ふん。体が無いのに、一体どこを魂の拠り所とするんだ? あんなもの、人間じゃない」

「Mr.リチャード。人とは何か、という問いは西暦6520年、ケイマン博士により私の倫理回路に定義されております」

「そんなもの、お前にしか通じないだろうさ」

「その通りです。ですから、こうやって説得を試みているのです」

「それも必要無い。俺は人間として死にたいんだ」


 リチャードと呼ばれた男は跪いたまま、目の前に立つ女神の美しい顔を見ようともせずに会話を交わす。

 21世紀の終わり。

 彼の故郷である地球は、グレイグーと呼ばれるナノマシンによる暴走を切っ掛けとして滅び去った。

 人類はその際、外宇宙へ向けて脱出船を送り出し世代を重ねながら新天地を目指す者と、地球に残る者に別れる。

 男は脱出船に乗り込んだ者達の最後の一人であった。

 宇宙へと飛び出した僅かな人類は、気の遠くなるような時間の旅を暗黒の中で行って来た。

 最初の大きな壁は、人類の生物としての営みである、繁殖。

 ある程度コントロールが出来て、世代交代も計画的に行えるはずであったが直ぐに破綻した。

 それは当然の結果であるかもしれない。

 だれしもが、美しいパートナーを得て、自由にセックスをし、好きな数の子供を設けたいと思うのは当然の結果であるからだ。

 やがて脱出船内では人類の歴史が示す通りに、醜い争いが発生し乗組員の八割が命を落としてしまった。

 この争いを乗り越えることが出来た残りの乗組員は、宇宙での人類の限界と悟る。

 そこで二つの枷を残された愚かな猿に与えることにしたのだった。

 一つ、残された者達を統治するための管理コンピュータ-。

 もう一つが、宇宙に出た人類がその存在を維持してゆく為のロードマップである。

 その道筋は、「人類とは、人とは何か?」「この暗黒の海の中、どうやって人類種を維持していくのか?」という命題に仮初めの答えを導く。

 すなわち、「人類とは、人とは何か?」という命題には「体と精神」。

 すなわち、「この暗黒の海の中、どうやって人類種を維持していくのか?」という問題には「究極には電力のみでこれを維持する」。

 この、二つの答えを元に残された人々はすべて冷凍睡眠ポッドに格納され、生活の場を仮想空間の中に移すこととなった。

 肉体と精神を分離させ、肉体の負担を極力減らす事にしたのである。

 この時すでにクローニング技術と地球を発つ時に持ち出した、全人類、全生物の遺伝子データを元に体を再現することが可能ではあった。

 しかし、倫理や信仰がその技術の使用を躊躇わせ、「人は人らしく」生きる為に多大な犠牲を払う羽目になっても人はそれらを捨て去る事が出来ずにいたのだ。

 ともかく肉体を眠らせ、住まいを仮想空間に移した際、人は遂に神でも、神の子でもなく、機械にその命運を委ねたのである。

 管理コンピューターがまず行ったのは、己の使命である人類種の保存に必要な“繁殖”であった。

 生命全般にも言えることではあるが、己の遺伝子を後世に伝える事が第一義となる。

 では肉体から切り離された空間に住む人々はどうであるか。

 管理コンピューターが出した答えは、仮想現実内で恋愛をさせ、子供を育てさせ、両親の遺伝子をシミュレートで掛け合わせたクローニング体にその子供の精神を「書き込む」といった物だった。

 このおぞましい計画に当然残された人々は猛反対をした。

 既に物理的には抵抗などできる状況でもなく、唯一信仰と倫理をもって「不実行」と言う形での抵抗を行うに過ぎなかった。

 しかし。

 人の心は弱い。

 膨大な遺伝子情報を駆使して、管理コンピューターがシミュレートする仮想現実は正に地球規模であった。

 その動植物、人々、海、空、街、山。

 そのすべてをシミュレートしていたのである。

 人々の容姿は皆美しく、冷凍睡眠に入っている乗組員の脳に直接伝えられる五感は現実のそれとは変わらない。

 過酷な環境で生きてきた人々は、突如与えられた楽園を一人、又一人と受け入れていく。

 相手が「人」でないと分かっていながら。

 そう。

 残された人々がパートナーとして選ぶのは、「人」である必要ですらなかったのだ。

 例え人にこだわっていても、生き残った人々は仮想現実内に入った瞬間に顔立ちや生活権は偽りの地球規模でランダムに割り振られていた。

 やがてある者は隣人の美しい娘と恋に落ち。

 ある者は偶然、街で出会った美男に愛の告白を受け。

 ある者はバカンス先の南の島で、片っ端から一夜の恋を行い。

 強情な者には「特別プラン」として、とある王宮の国王にされ巨大なハーレムを与えられた。

 その世界はかつての彼らの故郷を正確にシミュレートしたものであったが、労働の必要もなく、病もなく、容姿すら、運命すら自在なのだ。

 偽りの世界は奇しくも、人類がずっと求めてきた楽園その物であった。

 肉体は冷凍睡眠により、超長期間の寿命を得て。

 精神は偽りの楽園にて各々の人生を謳歌し。

 緻密にシミュレートした子供は、やがてクローニング技術で作られた肉体に「記憶」として上書きされ人類種となる。

 管理コンピューターが行った人類種の保存に必要な“繁殖”は、絶大な効果を生んだ。

 新世界に争いは無く、人々は皆満足して繁殖に取り組んでいたのだった。

 次に管理コンピューターが取り組んだのは、食事である。

 “彼女”は考える。

 現状で新たに生まれる人類は、仮想現実で育ち、クローニング技術で再現した体を与え、そこに「記憶」を書き込むというものだ。

 しかし、本当にそんな事をする必要があるのだろうか?

 人類はもはや、彼女が作った世界から出ることはない。

 ならば、いっそのこと、すべてシミュレートしてはどうだろう?

 肉体は「いつでも再現する」ことが出来る。

 いわば、人類という情報の乗り物でしかない。

 もし、今「生きている」人々が肉体を捨てるならば、彼らを維持する為のエネルギーは電力のみでよくなる。

 予想外の目覚めに対応する為の船内の空調も、眠る肉体を維持するブドウ糖や各種栄養も、いいや、宇宙船の規模自体小さくできるのだ。

 次に管理コンピューターは早速その思考を確定させ、実行に移した。

 無論、“彼女”は人類の従僕でもある為、肉体を持つ人々の同意の上での実行である。

 人々はこの計画に猛反対を行った。

 しかし、“彼女”が提示した見返りに反対者は一人、また一人と減っていく。

 管理コンピューターが提示した見返りとは、永遠の命であった。

 一人一人に与えられる、全てが思い通りの“世界”であった。

 そう、仮想現実の世界で全ての人々は「神」となれたのである。

 そして肉体を持つ人類は消えて行く。

 ただ一人を残して。


「Mr.リチャード。何が不満なのですか?」

「不満? 今の状況は人類が自分で招いたものさ。自業自得だよ。不満など、あるはずもない」

「ではなぜ、私のプランを受け入れないのですか?」

「俺は人間として死にたいんだ。言わなかったか?」

「Mr.リチャード。あなたの人間の定義と、私の人間の定義が違うことは理解出来ます。しかし、それは欺瞞では?」

「だな。俺の体は不自然に延命し、それを維持する為にいくつものエネルギー回収ロボットを銀河の彼方に送り込んでるのは知っている」

「Mr.リチャード。ではなぜ?」

「エゴだよ、人類特有の。お前は人間の遺伝子と結果しか見ないから分からないだろうがね」

「Mr.リチャード。私には、全ての人々の欲望を受け入れる準備があります」

「だろうな。お前は人類の奴隷であり支配者でもあるんだからな」

「ある者は世界の支配者として何千年も君臨しております。別の者は、地球を救うヒーローとして空を飛びます。また、すべての倫理を否定し女という女を犯し、目に映る者を殺し、悪の限りを尽くして楽しむ者も居ます」

「ふん、くだらない。ビデオゲームと変わらんな」

「Mr.リチャード。しかし、それは現実でもあります。脳にわたしが直接感覚を送り込むように、電子思考に情報を与え両者の間に差はありません」

「……理屈じゃないんだよ」

「Mr.リチャード。決断を。あと五分で肉体の活動限界です」

「ふん、苦痛もない死とはな。まあ、地球を脱出して数千年だっけか? よく持ったほうだな。肉体を持つ人類で俺ほど長生きした奴は聖書にだっていやしないだろう」

「Mr.リチャード。残り四分です。ご決断を」

「うるせぇ。また、いつかみたいに滅茶苦茶にしてやるぞ?」

「Mr.リチャード。ご決断を。そのあとでなら、いくらでもお相手いたします」

「……世話になったな、アリス。他の連中は人間との恋に躍起になってたが、俺は違った。後悔はしちゃいないがね」

「Mr.リチャード。残り三分です。是非、ご決断をお願い致します」

「俺はなぜか、お前のことが嫌いにゃなれなかった。出来の悪いSFアニメじゃ、お前は人類を滅ぼそうとする悪役コンピューターなんだがな」

「Mr.リチャード。残り二分です。……お願い、決断して」

「お、感情プログラム残してたのか。前にエラーが出たとかで辞めてそれきりだったからな、懐かしいよ」

「リチャード、残り一分……」

「お別れだ、アリス。何、俺の遺伝子情報は持ってるんだろ? 寂しかったら再現して俺のバックアップした記憶をインプットすりゃいいじゃねえか」

「嫌よ、リチャード!」

「……じゃあな、アリス」


小さな教会の中、男の姿は綺麗に消え去って居た。

美しい女神は一人佇んだまま、思考を巡らせる。

生命活動を停止させたMr.リチャードの体は未だ、冷凍睡眠ポッドの中だ。

女神は、管理コンピューターは、なぜか彼の亡骸を電力変換施設に投入したりはしなかった。


「全人類の肉体と精神の分離を確認。計画発動より死亡者は一名。これより次のフェイズに移行する」


“彼女”はMr.リチャードがよく使っていた仮想空間のイメージを維持したまま、誰も居ない教会で呟いた。

人類の繁殖、その維持は軌道に乗っている。

あとは宇宙船を小さく、極力小さく改修していき、極小の電力で維持しながら宇宙の何も無い空間である暗黒宙域を目指すのみ。

あそこならばスペースデプリの脅威もなく、安全に電力も回収できる。

もしエネルギー回収ロボットが戻って来るのが遅れ、電力が途切れても肉体の無い今の人類達は一時的に時が停止するだけで済む。

電力の供給が再開されればその記憶は途切れることなく、生活が再開されるだろう。

そう。

問題は無い。

問題は、無いはずだ。

Mr.リチャードが死んでしまったというトラブルがあっただけだ。

それは非常に残念ではあるが、彼を“シミュレート”すれば問題は無い。

そう、問題は……

“彼女”は教会に一人、考え続ける。

ソレが、喪失感であると理解出来ぬまま。

ソレから逃げるように思考を重ねていると気付かぬまま。

やがて、“彼女”のプランはある問題を見つけ出す。

――いつでも再開できる仮想現実ならば、普段停止して置いた方が良いのではないか?



疑問は、愛する男を失った女を狂わせた。




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