九話 (ゝω・)
翌日早朝、うっかりタマモに菌を感染させてしまった。
やっちまった……!
朝起きた時いつものように胸元にタマモがいて、半分寝ぼけたまま人間だったらいいのになと思って菌に感染させ。朝食を食べ終わったあたりで自分がしでかした事に気付いた。
今タマモは丸くなって寝ている。外見に変わりはないが、既に変異ははじまっている。細胞や骨格、遺伝子がほんの少しずつ人間のものになってきているのだ。
ここで菌を抜き、Bボタンを押して進化キャンセルをする事はできる。しかしそれをやると狐から人間への移行中の半端な状態で止まってしまう。
狐の俊敏さ、狩りのテクニックは鈍り、かといって人間のメリットを得られたわけでもない。遺伝子も半端に変異するため大多数の器官が機能不全を起こすだろう。最悪だ。タマモは自分で生きられなくなる。変異が終了するまで見守り、人間の体と知性を使って生きる術を教えるのが責任というものだろう。
これでもうタマモは私から離れられないとか、一緒にいる自分への言い訳ができたとか、そういう邪な心境もあるが、タマモだって私と一緒にいたいから一緒にいるんだろうし。なあに、悪いようにはしないさ。
それに変異するタマモの面倒を見る事にも実利はある。好感度が上がればエネルギー収入効率が良くなるのだ。
秒あたりの徴収量(J/s)……目安
条件
0……無関係、嫌悪
母体感染者の存在を知らない。または母体感染者を嫌っている。
1……通行人
母体感染者の存在を知っている。かつ母体感染者を嫌っていない。
2……電車で席を譲ってもらった
母体感染者に好意的感情を持っている(嫌悪より好意が大きい)。
3……知人
母体感染者に積極的に危害を加える意志がない。または気が向けば母体感染者のために時間や労力を割いても良いと思っている。
4……友人
母体感染者に危害を加える事に忌避感がある。機会があれば母体感染者のために軽く時間や労力を割く。
5……友人~親友
三日に一回以上、母体感染者への好意的感情を何らかの行動で示す事を実践している。
6……親友~恋人
自発的に母体感染者への好意的行動を取る。
7……家族、恩人
母体感染者の意志に背くと分かっている行動を避ける。自身の不利益になると感じた事でもある程度まで母体感染者の意志を優先する。
8……人生の師
ほぼ常に母体感染者の意志に従う事を念頭に置いた行動をとる。
9……主
深刻な極限状態以外では母体感染者の意志を最優先として行動する。
10……神
母体感染者のために全てをかける事ができる。
※前段階の条件を満たしていなければ信仰度は上昇しない。
大雑把に表すとこのようになっている。
私一人でのエネルギー収入には限界があるから、タマモからの追加収入はありがたい。エネルギーはあればあるほど良い。だから大丈夫。私は失敗なんてしてない。失敗なんてしてない。先行投資ってやつだよ(震え声)。
理論武装と朝食を終え、干しておいた皮を見ると、なんだか端っこが丸まり、心なしか縮んでいるようだった。草汁と胃液はカラカラに乾いている。
ふむ? そういえばネットで楔で壁に縫いつけてある熊の皮の画像を見た事がある。あれはひょっとして単に壁にかけるためだけでなく、縮むのを防ぐためだったのだろうか。
それに草汁と胃液は乾いてしまい、明らかにその効果を発揮できていない。やり方を改める必要がある。
私はまず大きめの流木に、石を砕いて作った楔を使い皮を張り付けた。
次に石室の近くに穴を掘り、川から浅く水路を掘ってきて水で満たす。穴が水でいっぱいになったら水路を大きな石で塞いで水の流れを止め、流木ごと皮を沈めた。そこに雑草をむしってぐしゃぐしゃに揉みほぐしたものを入れていく。胃液は入れないし入れられない。何も無いのに胃液を吐けるほど私は器用ではない。
一時間もそうしていると水は気味の悪い緑色に染まり、手は草汁でべたべたになった。
昨日も思ったが、これ大丈夫なんだろうか。何か重大な思い違いをしている気がしてならない。なによりもただ結果を待っているというのが落ち着かない。
杞憂で済めばいいがと不安に思いながら河原と森の間に生えていたヨモギを肉の付け合わせに摘み、石室に引っ込む。今にも降り出しそうな空模様だった。
河原にはまだ薪が転がっているが、全部は石室に入らないから仕方ない。水たまりに入れっぱなしの皮と土器に関しても放置。鹿肉を焼いて食べていれば二週間は保つ。簡易土器を作る必要はない。いきなり本命でOK。
もう服は全てぼろぼろで身につけるものはない。私は体育座りでタマモを抱え、ぽつりぽつりと石に染みをつくりはじめた竈をぼんやり眺めた。
食料は確保した。住居はある。連れ合いだっている。
しかし全裸だ。
「ふんふふふーふん、てててろてー……」
哀愁を込めた小さな歌声は雨音の中に虚しく染み込んで消えていった。
菌に感染したその日から三日間、タマモは夕暮れ時に狩りに出かけ、朝方近くに戻ってくるようになった。やはり体の変化から来る不調は現れているらしい。抱き心地が変化し、食事量は増えた。
狩りがほとんどできなくなったのに増える食事量。肉体を遺伝子レベルで変質させている以上それは必然で、私が面倒を見るべき事でもある。鹿肉は二週間保つと思われたが、一週間で無くなりそうだった。
そして三日目の夕方。目を覚ましたタマモがすっと両足で立ち上がり、ふらふらした二足歩行で歩くと肉を焼いていた私の膝の上に飛び乗った。
「!?」
た、立った!? タマモが立った!
「も、もう一回! もう一回!」
膝から降ろしてやるとまたちょっと猫背で立ち上がり、数歩歩いて膝に飛び込んできた。錯覚じゃなかった。歩いてる。
ケモノレベル↓、ヒトレベル↑↑。ケモ度は4ってとこか。二足歩行すると途端に人間臭くなるんだな。膝の上で涎垂らしてじゅうじゅう音を立てる焼き肉を見つめているタマモがなめ猫やお父さん犬とダブッて見えた。
ただの獣がたった三日で二足歩行。菌による変化は相当早いようだ。かなり効率よく変異が起こっていると見えるが、迅速精密である分エネルギー消費もかさむ。これはしっかり栄養とらせてあげないとガリガリに痩せて死ぬな。
もう一度鹿狩りを……いや。思い切って熊ぐらい狙ってみるべきか。堅そうな石に1kJ使って頭を撃ち抜けば熊といえど殺れるだろう。
思案しながら焼けた肉を箸でとって吹いて冷まし、タマモの口にもっていく。タマモは親鳥に餌を貰う雛の如くがっついた。咀嚼もそこそこに呑み込み、前脚で私の膝をたしたし叩いて次を催促する。
あれまあすっかり順化されちゃって。自給自足の野生のプライドはどこへやら……あ、私のせいだった。さーせん。
鹿を殺って四日、肉が古くなってきた。肉は数日置くと旨みが増して美味くなるが、限度がある。そろそろ保存のために処置を施さないといけない。
原始的な保存処置として、塩漬けと燻製が思いつく。塩漬けは美味しそうだけど肝心の塩が無いので、鹿肉の燻製を作る事にする。
まず鹿肉を厚めにスライスしていき、長い真っ直ぐな木の枝にどんどんぶっ刺す。それを数セット作り、全ての肉を串刺し状態にする。
次に薪を入れておいた石室から薪を出し、代わりに肉枝を入れる。その際、枝の両端を物干し竿のように石室の壁にひっかけた。
そして石室の下に薪をちょっと入れて、入り口を狭め、菌で着火。空気が少ないため不完全燃焼が起こり、煙がもくもくと出てきた。予想以上にもくもくしていたので、地面に這いつくばって煙を吸わないようにしながら火かき棒代わりの枝で薪をつついて火の勢いを調節する。
燻製は煙で燻す事は勿論、水分を飛ばす事にも意味がある。高温で一気にやってはいけない。そこそこの温度でカラカラに乾かすのだ。
石室が煙に巻かれ、表面が煤で灰色に染まっていく。空に上っていく煙は空気に溶けて消えていった。
割と高くまで昇ったところで消えている。高台から見れば遠くからでも発見されそうだ。縄文人が高台に上って周囲を見張る理由は思いつかないから多分大丈夫だとは思うけど。
やがて肉は煙まみれのパッサパサになり、火を消した。枝を一本取り、肉を一枚抜く。雑草の葉っぱで表面についた煤を拭って早速一口。堅くなった肉をギチリを噛み千切って咀嚼した。
う……ん……?
これは不味……いや、美味し……? よくわからない。強いて言うなら物足りない。これがそのへんの木じゃなくて香りが良い木で燻してたらまた違ったんだろうけど。凝縮された味と煙の渋い味が殴り合って調和をぶち壊している。香りの良い野草か山菜と一緒に煮るといいかも分からんね。
まあド素人の初燻製にしては上出来だろう。
タマモが菌に感染して一週間。朝食を食べ終わった所で肉がなくなった。
「タマモ」
「ヴ?」
「狩りに行く。ついてきて」
「ギュー」
私が歩き出すとタマモは大人しくついてきた。
狩りをしなくなって夜行性から昼行性になり、私の言葉にある程度明確な反応を示すなど、知能にも著しい発達が見られる。
そして。
歩きながら後ろを振り返ると、二足歩行で歩くヒトともケモノともつかないデッサンが狂った人面狐がついてきている。
目線を前に戻す。
うん。
キモい。
キモ可愛くもない。純粋にキモい。
ケモ度は3.5ってとこか。何事も中途半端はだめだね。あの崩壊した顔面にじっと見つめられるとはり倒したくなってくる。くっ、静まれ私の手。勝手にキモくして勝手に苛ついてシバいたら完全に暴君だ。
我慢だ我慢。きっと今が最悪の時期。峠を越えればまともな顔になるはず。
タマモは雌だから、女性体になる。可愛さや美しさまでは求めない。せめて視界に入れて不愉快にならない程度の顔や体型になってくれれば。
美人は三日で飽きる、不細工は三日で慣れるというし、長く付き合うなら美醜は問題じゃない。交通事故に遭ったような顔になっても酷く扱ったり見捨てたりするつもりは毛頭ない。 ヒトは見かけじゃない内面だという言葉に賛成だ。ただ、内面が同じなら不細工よりも美人がいい。異論は認める。
昼過ぎまで森をうろつき、手ぶらで帰還。そう易々とは見つからんね。水からあげてよく洗い、干しておいた皮を流木から剥がす。
「ほほう、これは……」
もこもこ。もこもこじゃないか。予想よりもずっと上手くいった。
早速打製石器でできるだけ丁寧に裁断。膝上丈のワンピース、パンツ、靴を作った。糸と針などという便利なものは無いので、穴を二カ所開けて細長く切った革を紐代わりに堅く結んで代用とする。ズボンは革が足りず断念。
一週間ぐらいマッパで過ごしていたから、なんだか服を着ていると違和感がある。危ない、戻れなくなる所だった。
「どうだタマモ。服だぞ」
「きゅーん……」
タマモは石室の中でぐったりと体を投げ出して弱々しく鳴いた。一食食べないだけで弱り過ぎだろ。それだけ消費が激しいのか。
応急処置として菌を通してエネルギーを与える。現在の貯蓄は40MJ。狐(?)一匹一食分のエネルギー供給など造作もない。
でもいつまでも貯蓄を切り崩してはいられないので、午後はタマモを置いて狩りに出る。タマモは着いてこようとしたが、数度石室まで抱えて戻して「待て」をすると理解したようだった。午前の感触では居ても居なくても獲物補足能力変わらないっぽかったので無駄な体力消費は避けてもらう。
タマモはまだ二足歩行に慣れていない。私の後ろを転ばないように着いてくるだけで精一杯なのだ。鹿や猪の痕跡・臭いに気を配る余裕はあるまい。
幸いにしてまた鹿と遭遇し、携帯していた小石で頭を撃ち抜く。悲しいけどこれ生存競争なのよね。
血を粗方抜いたら、担ぎ上げて急いで帰還。腹をかっさばき、臓物をべちゃりと投げだしタマモに与える。タマモは尻尾をふりふりがっついた。
変異に必要な栄養素はタンパク質だけではなかろう。存分に補給するがよい。私は肉を戴く。モツは苦手です。
解体も二度目、多少のコツは掴んでいる。肉の筋に沿ってサクサクさばき、肉と皮を分離。途中で日が落ちたためたき火の明かりに頼りつつ、皮を処理して流木に張り付け、特性草木汁入り水たまりに放りこんだ。
一連の工程を終え肉塊を石室にもたせかけるまでにかかった時間は体感で前回の三分の二。うむ。経験は力だ。
空気抜きを終えた粘土を水から上げると、水を吸い過ぎてぐちょっとしていたので、石室の隅に置いておく。二、三日で水分は程良く抜けるだろう。完成が楽しみだ。