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六話 紀元前一万年~紀元後三百年ぐらい

 飛んで十一日目、+13000kJ。ようやく目標である十五食分のストックが貯まり、エネルギー貯蓄も三日分を越えた。一回ぐらいなら大怪我しても治せる。熊か猪に襲われてハラワタぶちまけでも多分なんとかなるだろう。

 近場の山菜はほぼ全滅、これ以上食料ストックは増やせない。

 いよいよ人里に向かう事にする。


 まず菌に働きかけて重力と反対ベクトルの力を発生させ、地面を離れてどんどん上空へ上る。急激な気圧変化による不調は菌が勝手に調整してくれたため、寒さに耐えるだけでいい。

 高度三千メートルぐらいまで上がって下を見下ろすと、見覚えのある日本海側と太平洋側の海岸線が判別できた。

 ふむ。近くにあるあの見事な円錐形の山は富士山で、そのあたりのでっかくて長い川は……天竜川だったか? なるほど、現在地は長野県の山裾の森か。東に進めば天竜川に出る。川の近くの民家に助けを求めるかどうにかしよう。もし近くに民家がなくても川を下っていけば確実に町に出る。


 そこまで確認して、眼下に広がる日本列島にそこはかとない違和感を抱く。なんか変だ。何がおかしいんだろう?

 しかし首を傾げている間も浮遊のためにゴリゴリエネルギーが削れていく。疑問は棚上げにして地上に降りた。


 数分間とはいえ遙か上空で冷たい風にさらされ、体は冷え切っている。私はどうせこれが最後だと余った薪を全て使って暖をとった。

 座り込んでたき火に手をかざしながら、ここしばらくの寝床だった落ち葉布団を見る。タマモが落ち葉の中から顔だけ出して寝ていた。


 ぬーん。タマモはどうしよう。

 正直このまま飼いたい。しかし狐を連れて警察か民家に保護を求めるのは図々し過ぎる気がする。子供じゃないんだから保護してもらった挙げ句ペットも飼いたいなんて言えやしない。見た目は子供、というか少女神だけど。


 でもなー。これを逃したらきっと狐を飼う機会なんて当分来ない。寿命は無限だからエネルギー切れで死なない限りいつかもう一度狐に懐かれる時は来るんだろうけど。なんならペットショップで買ってもいいし。

 まあいいや。とりあえず連れて行こう。途中でタマモが縄張りから出るのを嫌がって引き返すかも知れないし、町に下りてやっぱり飼うのは無理そうだったら逃がそう。もっとも今も飼ってるとは言い難い。タマモは一匹でも逞しく生きていける。


「タマモは強い子だもんなー」

「ヴェ? ……きゅくーん」


 たき火を消して落ち葉の中から引っ張り出して両手で抱えると、タマモは顔を上げてびっくりした鳴き声を上げたが、眠そうにもぞもぞすると丸くなって目を閉じた。相変わらず大人しい。されるがままだ。

 時刻は朝。太陽の位置から大雑把に方角を割り出し、山菜籠とタマモを抱えて私は歩き出した。


 上空から見ると現在地から天竜川まではそんなに離れていなかった。歩き続ければ今日中か、長引いても明日の昼には着くと睨んでいる。

 暢気に眠るタマモを抱え、落ち葉の上を歩く歩く。たまに乾いて硬くなった葉や木の枝で足の裏をひっかくのにはもう慣れている。気にしていたら素足で森なんて歩けない。


 時々太陽や木の影が伸びる方向から方角を確かめ、昼食を挟んでひたすら歩く。菌によるエネルギー供給のおかげで疲労がないため休まず移動し、しかし日が暮れても川まで着かなかったので適当に落ち葉を集めてそこに潜って寝た。


 翌朝夜の間どこかに行っていたタマモがいつものように胸元で丸くなっているのにホッとしながら起床。おねむのタマモを抱えてまた歩く。

 一時間も歩かない内に森が開け、川に出た。川幅は十メートルほど。深いところは暗い緑色になっていて、水深は分からない。森と川の間には大小さまざまな石がごろごろした河原がある。

 川沿いなら道路があるかなと期待して周囲を見回すが、残念ながらなかった。もうちょっと下流までいかないとダメかなーと思っていると、上流の反対岸の河原に人影が見えた。

 一瞬ドキリとして、すぐに心の嬉しさがこみ上げる。やった! サバイバル完!


「おー……ぃ!?」


 一歩森から河原へ踏みだして、大声を出しかけた瞬間相手の姿がはっきり分かり、反射的にサッと木の陰に隠れた。心臓がドッドッドッと胸板を乱打しているのが分かる。


 なにあれ。なにあれ。なにあれ。

 槍持ってた。洋服でもジャージでも迷彩服でもなく、貫頭衣だった。黒髪だったけど、沖縄の人とか北海道旅行で見たアイヌ村の人みたいな眉が太くて彫りの深い顔してた。

 いや、え? え? え? 待て待て。一回だけなら見間違いかも知れない。


 姿勢を低くし、木の影からそ~っと顔を出す。

 三人いるヒトは全員男。見間違いではなく最初に見た通りの姿をしている。断じて変わった格好の釣り人ではない。こちらに気づいた様子はない。

 三人は槍を持って河原から浅瀬に入っていく。

 縄文人体験ツアーを楽しんでいるような和気藹々とした雰囲気じゃない。見てよあれ、川に入って槍を突き込みだしたよ。凄く真剣な顔で。


 現代日本では見かけない顔立ちのヒトが、原始人か縄文人のような格好で、原始的な漁をしている。

 これはまさかのタイムスリップ……!?


 そうだ。上空から見た日本列島。思い返せば確かに建物が密集した地域が一切存在せず、森しかなかった。

 そういえば生まれ変わってから一度も空に飛行機が飛んでいるのを見ていない。


 愕然とした。タイムスリップ。そんなファンタジーやSFじゃないんだから。や、光の速さをどうたらした宇宙船がなんたらで時間移動がごにょごにょ、って話を聞いた事ある。物理的に可能なのか? 科学的に可能かは知らないけど。

 しかしどう考えてどう理屈をつけたところで、どう見てもタイムスリップしている。


 焦るな。まずは落ち着いて、状況を把握しよう。タイムスリップした。それはいい。では何年ぐらい戻ったのか?

 服装や槍で突く原始的な漁、現代人と異なる濃い顔立ち(縄文人の特徴)から察するに、今は縄文時代~弥生時代初期と推測される。つまり今は紀元前一万年~紀元後三百年ぐらい。二十一世紀まで、最短千七百年。


 なっがぁぁぁあい!


 地面に突っ伏し、声を上げずに嘆く。放り出されたタマモがわきゃんと小さく鳴いて飛び起きた。

 千七百年!? 馬鹿じゃないの? ねえ馬鹿じゃないの? 年を日に変えても長いのに。

 あと千七百年もテレビなしゲームなし生活保護もなし! 漫画やラーメン、化学繊維製の服の登場にすら百年単位で待たないといけない。本当になんの補助も保証もなく、全くのゼロからはじめないといけない。


 この時代で生きろって? 便利な科学と発達した文化や娯楽に慣れきった現代人にウン十世紀過去で生きろと。

 こんなのってないよ。あんまりだよ。なんだかんだで最終的には近代的生活ができるものだとばかり思ってたのにこの仕打ち。

 ……そうか。つまり宇宙人殿がわざわざこの体にけったいな菌を植え付けたのは、好意的に解釈するなら現代人の精神とあっという間に淘汰されそうな肉体でもこの過酷な時代で生き残れるようにするためだったのか。わざわざご親切にありがとう。でもどうせなら現代に捨てて欲しかった。なんで古代!?


 ぼろぼろ涙を流す私の顔を心配そうにタマモが舐めてくれる。その優しさでまた泣いた。

 感情に任せて泣いて泣いて、自然に涙が収まる。涙と一緒に心の嫌なものが流れ出たのか、だいぶ落ち着いた。とても穏やかな気分だ。


 木の根本から川上を伺うと、三人はまだ槍で川を突いていた。こちらに来る気配はない。

 目を離して体を引っ込め、木の幹に背中を預け足を投げ出して座る。私が落ち着いたのを見たタマモがいそいそと膝の上に乗って丸くなった。顎を撫でてやると嬉しそうに喉を鳴らした。孤立無援のこの世界にも獣ではあるが間違いなく味方がいる、という事実にたまらなく嬉しくなる。

 いい奴だよお前は。お前のおかげで古代日本でも私は一人じゃない。もう何も怖くないよ。


 ぼんやりと頭上を見上げる。そよ風にざわざわと枝葉が揺れていた。こうしていると現代で森林浴にでも来ているだけのような気がしてくる。古代へやってきたなんて嘘みたいだ。

 嘘だと思いたいけれど、嘘だと思ったところでそれが現実になるわけでもない。事実を認め、前を向かなければ。


 さて。

 人里に降りて保護してもらおうという当初の計画は根本からへし折れた。計画を練り直さないといけない。

 でも一体どう練り直せばいいんだろう。現代と古代では勝手が違い過ぎる。どこから手をつければいいのかすら分からない。


 途方に暮れ、漠然と何か役立ちそうな知識を探り、思いついた。心理学や哲学は時代に関係なく人間の指針になってくれる。思い出したのは欲求階層説だ。

 心理学者マズローの欲求階層説によると、人間は低次の欲求を満たす事で高次の欲求を覚えるという。低次から順に、


 生理的欲求(食事、睡眠、排泄)

 安全の欲求(安全性、健康維持、事故防止)

 所属と愛情の欲求(愛情、友情、他者との良い関係)

 自尊の欲求(他者に価値を認められ、尊重される)

 自己実現の欲求(何かを成し遂げる)


 つまり、これを低い方から満たしていけば大体幸せになれる。はず。信じるぞマズロー先生。

 生理的欲求は、とりあえず満たされている。山菜摘みや煮炊きには慣れた。冬が来ればどうか分からないが、当面は大丈夫。

 安全の欲求。これもまあ……大丈夫。そもそもこの体は安全のハードルが低い。エネルギーさえあれば腕がもげようが頭がとれようが全身が砕け散ろうが再生できる。

 要は食べてればOK。生理的欲求を満たす事がそのまま安全の欲求を満たす事に繋がる。でも痛いのは嫌だから砕け散るのは勘弁願いたい。

 所属と愛情の欲求、は。


「…………」


 膝の上のタマモを見る。所属と愛情……?

 飼育と愛玩なら満たしてると思うけど。


 こそっと顔を木の陰から出し、川上を見ると三人はいなくなっていた。

 例えば私があのヒト達の中になんらかの形で所属したとして、幸せになれるのだろうか。寂しくはないだろうけど、言葉通じないだろうし、この神顔見てどういう対応されるか分からないし。初見で妖怪白髪女と認定されたら親交を築くのに苦労しそうだ。何かわかりやすい手土産でも持っていけば……

 ……あれ? 自然と受け入れられる為に頑張る事を前提に考えてた。

 なるほど。ちょっと納得した。やっぱり私は人の輪の中に入りたいんだ。相手が縄文人でも。


 とりあえず彼らと接触し、友好関係を築く事を第一目標にしよう。うむ。

 では具体的にどうするかは……

 ……あー。だめだ、頭の回転が鈍ってきた。明日考えよう。今日は初日に勝るとも劣らない衝撃を受けた。新しく方針を立てただけで十分。急いで一気にあれこれ決めてもろくな事にならない。

 きっと明日は明日の風が吹く。

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