五話 藍、おまいだったのか……
次の日、生まれ変わって六日目。
昨日は一食しか食べなかったので、-9800kJになっている。二日半食べてないようなものだ。通りでなんか力が抜けるわけだよ。
ワラビとゼンマイ一食で得られるのは300kJ。毎食腹がはちきれるほど食べても補給が消費に追いつかず餓死する理不尽。ワラビゼンマイよりもっと水分が多そうなフキはもっと効率が悪いだろう。
なのでセリと同じく乾燥させる事にする。
昨日の余りのぜんまいをもっさもっさ食べながら、フキ、ワラビ、ゼンマイを片っ端から煮て灰汁抜きをする。灰汁が抜けたら竈の石の上に並べ、火の熱で水分を蒸発させる。
火が強すぎると焼け焦げそうなので、弱すぎず強すぎずで二時間ほど。山菜は見る影もなくしおしおのカリカリになっていた。
やはり水分量が多く、ゼンマイとワラビは重量にして十五分の一ぐらいに。フキにいたっては三十分の一になった。ほとんど水じゃないか。
山菜を乾かす間に若木の枝で編んでおいた籠にカラカラになった山菜を入れていく。二食分乾かしたあたりで昼になったので、一食分食べてみる。
どれも独特の風味が凝縮され、味が濃くて、くどくて、煙くて。ぶっちゃけ不味い。そもそも主菜に食べるものでもない。体にも悪そうだ。
我慢して食べて水でニガニガする口をすすぎ、また山菜の乾燥作業に移る。
四食分ストックを作り、日が沈んだ頃。単調な作業に舟をこぎはじめていた私は視界の端に動くものを捕らえて意識を覚醒させた。
生まれ変わってこっち、木立を時折吹き抜ける強い風に動く木の枝を何度動物の気配と勘違いしたか知れない。その度にびくついてびくついて。
また錯覚か。それとも今度こそ本当に腹を空かせた野獣さんか。来るならこい、こっちには火がある。熱湯ぶっかけてやんよ。
身構えながら目を向けると、狐がいた。
つぶらな瞳、狐色の毛皮。腹は白く、小柄だ。どことなく幼げな顔つきをしている。狐は木のそばに立ってじっとこちらを見つめていたかと思うと、軽く口を開いて一声鳴いた。
「をぉーん」
「ど、どうも」
コンコンかと思ってたけど全然そんな事なかった。誰だ狐がコンコン鳴くなんて言い出した奴は。ほど遠いぞ。強いて言うならコォーン。
相手が狐ならそう身構える必要はない。人間にいきなり襲い掛かってくるような動物じゃないし。
しばらく見つめあっていると狐がとことこ歩いて近寄ってきた。たき火を遠回りに避けて、私の横二メートルほど離れた位置で止まる。近くで見ると耳と鼻をぴくぴく動かしているのが分かった。
狐は雑食性で、賢く、好奇心旺盛な動物だ。大方二足歩行の妙な生き物が妙な事をしているのに興味を持って近づいてきたんだろう。
試しに箸でゼンマイを一本とり、吹いて冷まして手に乗せ、差し出してみた。狐は一連の行動を目で追っていたが、動きはない。
二本に増やしても動きはない。
「三本か。三本欲しいのか。いやしんぼさんめ」
ぶつくさ言いながら三本に増やしてみるとやっと近づいてきた。私の手に鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いでいる。
「うひっ」
変な声が出る。生暖かい舌で手をゼンマイごと舐められた。害無しと判断したのか、あぐあぐとゼンマイを食べる狐。手を引っ込めてもまだあぐあぐやっているので、悪戯心が沸いた。
絶対逃げられるだろうなーと思いながら手を伸ばし。
狐を持ち上げ。
膝に乗せて。
手を回して、優しく抱きしめる。
あ、あれぇ? 抱っこできちゃったぞ。
狐は何事も無かったように咀嚼し終え、飲み込んで、大口をあけて欠伸をした。
いいのかお前。警戒心はどうしたお前。こんな無防備で大丈夫かお前。もこもこだなお前。でもちょっと臭うぞお前。あったかいなお前。
仕方ないので撫で回す事にした。
「よーしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし」
顎の下から腹までまんべんなくワシャワシャしてやると、狐は嫌がるそぶりも見せず気持ちよさそうに目を閉じた。
その安心しきった顔にきゅんとする。
「か~わいーなーもう。よし! お前の名前は今日からタマモだ! 偉大な化け狐の名前だぞー」
「…………」
ガン無視。名前なんてどうでもいいからもっと掻いてといわんばかりに頭を私の腹に押しつけてくるタマモ。
この度を越えた警戒心の無さ、やっぱり人間ではないと分かるのだろうか。私は見た目は顔以外人間と変わらないから、独特のフェロモンか匂いでも出ているのかも知れない。
……ところで。
唐突だが「菌」にも菌らしく感染力がある。
「菌」は人間に空気感染し、増殖する性質を持つ。あまりにも微少で特異な構造をしているため、免疫はまったく働かない。
菌は感染者が持つ母体感染者(私)への信仰・崇拝・尊敬・愛情・友情といった好意的意思を感知し、その程度に応じてエネルギーを吸い上げ、貯め込む。徴収量は0~10J/s。最大の10J/sで一日864kJ。
貯め込んだエネルギーを消費する権限は母体感染者にしかないので、人間の感染者は一方的に搾取される事になる。
搾取といっても最大で一日おにぎり一個分ぐらいのエネルギーだから例え搾取するとしてもそんなに気に病む事もないと思っているし、知名度が高まれば莫大なエネルギーを得られはするがキリスなんとかやイスラなんちゃらといった宗教が幅を利かせる中で「私が神だ! 崇め奉れ!」とかやるつもりはなく、アイドルになって「よろしくね★」とかやるつもりもない。
この体で目立たず暮らす事は無理があるから諦めているが、積極的に目立って菌をばらまいてエネルギーを吸い上げる気もない。そのあたりも含めて人里に降りてから考えようと思っている。
そんな感じで人間に蔓延する危険せ……もとい可能性を持った菌だが、基本的に人類にしか感染しない。しかし母体感染者の意思があれば人類以外の生物にも感染させる事ができる。クジラでもカラスでもテントウムシでも。タマモでも。
タマモに感染させた場合、菌は本来人類に感染するものなので、タマモから他の狐に感染が広まる事はない。そして本来人類に感染するものであるが故に、感染した生物を人間のように変化させる。
エネルギーを菌が住み着きエネルギーを徴収するには、人間の体の方が都合が良いらしい。従って菌は人間以外に感染した時、宿主を自らにとって都合の良い体に無理矢理変えてしまうのだ。
そしてその変化では正確にホモ・サピエンスに変わるのではなく、元の動物をベースにした菌にとって住みやすいホモ・サピエンスの亜種ともいうべき生物になる。
何が言いたいか三行で纏めよう。
タマモに
菌を感染させると
狐系ケモミミ人間になる。
全世界一億人のケモナースタンディングオベーション。やったよキャスター、三次元も捨てたもんじゃないんだね!
でも今ここでタマモに菌を感染させても、原因を知らない人間にとっては新しいUMAが一匹増えるだけなんだよね。純粋な狐だった頃と勝手がまるで違う体のせいで狩りもできずのたれ死に。あるいは捕獲されて研究施設で飼い殺し。動物園で見世物。暗い未来しか見えない。
現実は非情である。流石三次元、容赦がない。
「ごめんタマモ。すまない……すまない……!」
理不尽な現実を嘆きながら謝ったが、タマモは私のふとももに顎を乗せて我関せずと寝息を立てていた。
七日目、昨日の体に悪そうな味の乾燥山菜が絶大な効果を発揮し、-5100kJまで持ち直した。
朝起きると私の懐にタマモが潜り込んでいた。まるで私が母狐であるかのように安心しきった顔で寝ている。守りたい、この寝顔。
しばらくタマモの寝顔に癒されてから、起こさないようにそっと落ち葉布団から抜け出す。タマモは迷惑そうに唸ったが、寝続けた。夜行性だもんねお前は。
朝食をとり、ワラビとゼンマイを切らしたので山菜乱獲に出かける。
近場の山菜という山菜を採り尽くして戻り、またひたすら煮て乾かす作業に移る。暇なので山菜籠の補強をしたり意味も無く小枝を折ったりして時間を潰した。テレビもラジオも携帯もスマフォも本も無く、「やれる事がない」という貴重で苦痛な体験をするはめになっている。今までいかに娯楽に溢れた生活をしていたかが身にしみてよく分かった。
夕日が沈んだあたりでタマモが起き出して、私を一瞥するとふら~っと森の奥に消えた。巣穴に帰ったのか、狩りに出かけたのかは分からない。でもできれば帰ってきて欲しい。ひとりぼっちは寂しい。一緒にいてくれよ。
あたりが真っ暗闇になり、夕食を食べ終え、たき火で本日最終セットの山菜を乾かしながら驚くほどの煌めきが広がる星空を見上げていると、タマモが帰ってきた。ぐったりと動かないネズミを自慢げにくわえて。
タマモは悠々とお気に入りらしい私の膝の上に陣取り、ゆっくり獲物を食べる。口の端から垂れる血と骨を砕く音に引いた。ちょ、やめてよグロいグロい。
いやでも。タマモはちっさいのにもう自分で狩りができるのだ。立派な森のハンター。
「よーしよし、偉いぞタマモ」
耳の後ろを掻いてやるとまんざらでもなさそうな顔をした。
やがてタマモが食べ終わり構って欲しそうに体をすりつけてきたので、芸を仕込んでみる事にした。話しかけ、お手をさせたり、座らせたり。
「いいか、私が『おすわり』って言ったらこうするんだ」
「…………」
タマモはそっぽをむいた!
「『お手』。『お手』だタマモ。ほら私と一緒にやってみよう。『お手』」
「…………」
タマモはめいわくそうにしている!
「わかった、じゃあ『伏せ』やってみよう。こう。これが『伏せ』。こら、こっち見なさい。私の真似するだけでいいから。ほら『伏せ』」
「…………」
タマモにしつけはこうかがないようだ……
残念ながら全て徒労に終わった。時間をかければできそうとかそういう次元じゃない。おっと思う反応すらなかった。こりゃ駄目だわ。
タマモとひとしきり遊んだら、たき火に水をかけて消し、就寝。私が寝たと見るとタマモはまたふらふらと夜の森に消えていった。