三話 縄文人「ね、簡単でしょう?」
翌朝、起床。一瞬状況が把握できず戸惑ったが、すぐに思い出す。分かっていたけど夢じゃなかった。
落ち葉布団から這いだして朝食のセリを食べる。うーん、不味い! もう一口!
昨晩食べたセリは無事消化されたようだが、菌はエネルギーを貯蓄していなかった。これは別におかしくはない。
この体の一日の基礎代謝、というかエネルギー収支の採算をとるために必要な熱量が4000kJ。昨日のセリオンリー一食で得られたエネルギーは250kJだったようだ。
収支は-3750kJ。菌が貯蓄するのは余剰エネルギーだから、マイナスなのにチャージされるはずもない。
お腹いっぱい食べても痩せる一方という理不尽。ああ食物繊維が豊富。健康的だね、泣けてくるよ。
それでも食べないよりはマシなのでもっさもっさとセリを食べ終え、寝ている間に髪に絡みついた落ち葉を手慰みに取りながら、短期的な指針を練る。
エネルギーを貯めるには、別の食料が必要だ。乾燥させて水分を飛ばし、一食のカロリーを増やす方法はあるっちゃあるが、体積を五分の一にしてようやく採算がとれるレベルだ。効率がよいとは言えない。それに沢に自生している分を食べ尽くしてしまったらもう後が無い。
髪をいじるのをやめ、カサカサと沢縁を這ってセリの群生地分布を確認する。ふむ。半分が毒セリとして、生で十食分ぐらいか。乾燥させて体積を五分の一にすると二食分。
……二食分!? 少なっ!
ここがどこであれ、いくらなんでも100km移動すれば人の生活圏に出るだろう。人間の徒歩移動速度は時速4km。悪路と地面の勾配、少女の脚力を考慮して、時速3km。明るい時間帯を全て移動に費やしたとして12時間。一日に36km移動できる。
100kmの移動に三日かかり、用意できる食料は二食分。無理。途中で力尽きる。
それに一日4000kJ必要というのは激しい運動をしなかった場合であって、丸一日歩き続ければ消費ペースは上がる。
怪我をすれば治癒にエネルギーを消費するし、大雨で動けない日もあるかも知れない。
疲れて休憩する事もあるだろう。菌が働いていれば疲労はしないが。
諸々考慮して、五日分。十五食は欲しい。足りない。
どう足掻いてもセリだけでは足りない。フキやゼンマイ、ワラビを煮て食べる必要がある。
煮炊きに必要なのは火と容器。火は舞錐式でOK。器はどうしようも……いや、あった。器も自作すればいい。原始的に行こう。縄文土器だ。
沢があるという事は、水の流れがあるという事。水の流れは土や石を削り、運び、堆積させる。沢の近くにちょっとした粘土層が見つかる公算は高い。粘土があれば土器を作れる。なにも売り物にしようというわけではないのだから、素人でもしばらく保つぐらいの土器は作れるだろう。
よし。そうと決まれば早速粘土層を探……す前に服を作ろう。いつまでも全裸でいたら変な性癖に目覚めてしまいそうだ。
麻も綿も絹もあるわけないので、服はフキの葉っぱで作る事にした。
特に大きなフキの葉を六枚をとり、芯の部分を抜く。三本をちまちま三つ編みにして、できた三つ編み二本を結んで腰を一周できる程度の長さの紐にする。
フキの葉を切ったり折ったりして前掛け風とマント風の二枚を作り、頭からかけて腰を紐で回して留める。膝上丈変則ワンピース風の服になった。下着も同様につくる。
着心地は悪い。ごわごわしていて柔軟性が無く湿っぽい。でも贅沢は言えない。我慢しよう。ホラ、葉っぱの服って妖精みたいだしさ。
「ん?」
妖精といえば。髪や体格はそれっぽいが、顔はどうなんだろう。まだ確認していなかった。
手で顔をべたべた触って確認する。
耳が二つついている。眉毛と睫毛あり。目玉は二つ。鼻発見。唇おっけー。
パーツは人間っぽいが、さて。
触っているだけでは細かいところはよく分からないので、沢の中でも流れの無い水面を鏡代わりに覗きこみ、確かめる。
「おっふ……」
神がいた。
神のように可愛らしいとか美しいとか、そういう意味ではない。いやそういう意味も半分ぐらい含んでいるが。
深く澄んだ碧眼に白い肌、整った造形。そういう可愛らしさや美しさは別にして、なんというか、こう、性別「神」とでもいうような顔なのだ。
人間は男女の顔を一目で区別できるが、男女の顔に目玉の数とか、角の有無とか、そういう分かり易い目印があるわけではない。顔全体の造形から漠然と男か女か判断している。感覚としてはそれに近い。
女顔である事は確かだ。ただ神顔でもある。どんな顔か説明しろと言われても困るし、説明しても分からないだろう。強いて言えば神々しい。
この顔では人前に出れない。だって一目で人間じゃないって分かるもんよう。パーツを個々で見れば間違いなく人間なのに、まとめて見ると神になる。
宇宙人はなんでわざわざこんな顔に……あ、違う逆転の発想だ。私を魔改造した宇宙人はみんなこういう顔なのか。または宇宙人の目には地球人の顔がこう映っているとか。ありそうだ。
どうしよう。ベールかフードを被るとか? 根本的解決になってないけど。このパターンだと血液検査されたら人間じゃないって出そうだ。指紋も……指紋はあるのか。くそう、顔隠して人里に降りて生活するのには無理がある。
人間の顔してれば記憶喪失か捨て子設定で押し切れたのに。これでは人前に出た時にどんなリアクションが返ってくるか想像もつかない。変わった子供と見られるだけで済むかも知れないし、崇められるかも知れないし、研究施設に投げ込まれるかも知れないし、悲鳴を上げて逃げられるかも知れない。
ぬぬぬぬぬ。でもなあ。
自分の服を見る。粗末でなんとも頼りないフキの葉服だ。
寝床を見る。単なる落ち葉の山だ。つつくと落ち葉と一緒に隠れていたダンゴムシが転がり落ちた。
食料は栄養に乏しく美味くもない山菜頼り。家どころか屋根も壁もない。娯楽もない。
こんな所で一人で生きていくのは無理だ。やっぱり人里に降りるという予定は変えられない。吉と出るか凶と出るかが運任せだとしても。
水面に映る、以前と比べてまるで原型を留めていない、仮面のように感じられる自分の顔を見ながらしんみりする。なにやってんだろうな私は。死にたく無いから打てる手を打てるだけ打って、その結果こうしている。それは分かっているし、自分の判断や行動は理に適ったものだとも自負している。
でもね、なんというかね、突然の辞令で海外に単身赴任する事になったサラリーマンの気持ちを三倍強化したようなね。
寂しさと、不安と、理不尽への憤りと、新生活への意気込みと、未知への浮ついた気持ちと……
……まあいい。どうせやる事は変わらない。とにかく今は動こう。働こう。そのうち今の生活と体が自然だと思えるようになる。
私は立ち上がり、粘土層探索に出かけた。
沢というものは大小さまざまで、季節によって枯れたり現れたり、雨の日だけ出現したり、一端地中に潜って下流でまた出てきたり、途中で地面にしみこんで消えたりするものも多い。
沢を上流へ辿る事三十分ほど。粘土層は思いの外あっさり見つかった。
地面が盛り上がった場所を沢が貫き、流れに削られて露出し高いところで二メートルほどの崖になっていた。その崖の断面に灰色の粘土が覗いている。
じゃぶじゃぶと足を濡らして沢に入り、つるつるした石で滑らないように慎重に歩いて崖の前に立つ。崖を疎らに覆う地衣類を手ではがし、爪で引っかいて粘土を少し手にとる。湿ったそれを指で潰すと、ぐにゃりと変形して指紋の跡がついた。
ふむ。使えそうだ。たぶん。
土器を作るためには量が必要だが、爪で削っていては何日もかかる。道具を使おうと足下の沢に沈む石から尖ったものを探した。
が、十分ほど探してみたが見つからない。
ま、まあ尖った石がごろごろしてたら今頃足は血だらけだ。文句は言うまい。
仕方ないので先人の知恵、もとい原人の知恵を借りる事にした。
沢から手頃な大きさの石を拾い上げ、平たい大きな石を沢辺に置き、その上に一回り小さな角張った石を置く。そしてなんとか持ち上がる大きさの石を両手で持ち上げる。ちょっと足下がぐらついた。ぬぬぬ。バランスをとって、狙いをつけて……
「セイッ!」
雄々しくかけ声を出し、気合いを込めて叩き落とす。
ガコンと堅い音がして、二つの石に挟まれた角張った石は目論見通り砕けた。その中から尖った欠片を選んでナイフ代わりにする。
即席石器を粘土層に突き刺すと、貧弱な腕力でも予想以上に簡単に削れた。打製石器、侮れない。
三十分ほどかけて片手で抱え込めるサイズに削り出す。それを抱え、ついでに石器も持ってセリとフキの自生地まで戻った。
沢辺に粘土塊を下ろし、一息つく。太陽が上に上っていたので昼食をとる事にした。といってもセリをむしってそのまま食べるだけだけど。
根っこを見なくても葉の微妙な違いや匂いで識別できる事に気づいたので、チャチャッと毒セリを除けてセリだけ貪り喰う。相変わらず不味いが、ちょっと慣れてきた。独特の風味があって美味……くはないけど、とてもユニークだと思います。
食べるだけ食べ、すぐに薪探しに出かける。火を熾すにも土器を焼くにも煮炊きをするにも薪は必須だ。幸いここは人の手の入っていない原生林。大風で折れた枝や立ち枯れた木がいたる所にあり、薪には事欠かない。
土器作りにはいくつか工程がある。
まず粘土を採取したら、それをよく練り、十分水気を含ませた上で日陰で一週間ほど放置する。そうする事で粘土の中の空気が抜ける。この工程を省くと焼いた時に空気が膨張し、ひび割れたり欠けたりする。
次に空気が抜けた粘土を土器の形に成形し、更に一週間ほど日陰で自然乾燥する。これは確か熱で急激に水分を抜くと変形するとかなんとかそういう理由だった気がする。
最後に焼く。焼成温度は高い方が良いが、釜や高熱を出せる燃料なんぞ用意するつもりはない。野焼きだ。
後は灰を被せてゆっくり温度を下げればできあがり。
中学の時の夏休みの自由研究で土器を焼いたおかげで工程はよく覚えている。人生なにが幸いするのか分からないものだ。
しかし今回は時間に余裕がないので、空気抜きを省略し、乾燥も短縮する。まあ焼いた時に粉々に砕け散る事もあるまい。ちょっと欠けたりひび割れたりしても粘土を詰めてまた焼けばいい。雑な造りだろうがなんだろうが使えればそれでよかろうなのだ。
などと考えつつ、薪集めに精を出す。短い腕でもてる量は限られているので、拠点に何度も戻って薪の山をせっせと高くした。手頃な蔓は見つからなかったので、柔らかい若木の細枝を何度も折り曲げて更に柔らかくし、蔓代わりにする。
日暮れまでの半日で、拠点周辺の薪は大体集まった。これだけあれば土器を焼くにも煮炊きするにも十分だろう。私の身長ほどに積み上がった薪の山に満足する。
しかし嫌な事もあった。
手のひらが、痛い。
大人より子供の方が、男より女の方が皮膚は柔らかい。それを忘れ生まれ変わる前と同じ感覚で無造作に素手で木の枝を折ったり拾ったりしていたら、あっという間に擦り傷だらけになってしまった。痛いだけでなく痒さもある。痛痒い。
こんなになる前に薪拾いを中止すれば良かったのだが、どうせ最終的に集める量は変わらない。
それに、すり傷は菌の働きで治るが、人間の治癒と違い菌の治癒は「元の状態に戻す」ものだ。何度擦り傷を作っても皮膚は厚くならず、傷つき続ける。
薪拾いを数回に分けて、傷つく→菌で回復(エネルギー消費)→傷つく→菌で回復→傷つく、とアホな事をやるよりも痛みを我慢して一気にやってしまった方が賢い。今はエネルギー不足で菌働いてないけど。
ひりひりする手のひらに顔をしかめながらセリをむしり、食べる。
夕食後は暗くなって手元が見えなくなる前に火を熾す準備を始めた。
落ち葉が積もった森の中で火を使うのだから、怖いのは火事だ。森が火に包まれたら100%焼け死ぬ。
すぐに消火できるように沢の近くに竈をつくる事にした。燃えやすいカサカサした落ち葉をどかし、その下の湿った腐葉土を露出させる。更に延焼を防ぐために沢から石を持ってきて円形に積んだ。これでよし。
チャチな竈を作成したら、発火装置を作る。
薪の中から平べったい板っぽいものを選び、打製で抉るように削って真ん中に穴を空ける。板の両端に若木で作った蔓を結び、堅い棒を穴に通す。棒には錘として石を蔓で縛り付けた。
で、これを柔らかい木に当てて。全力で! 板を! 上下させる!
少女の筋力は情けなくなるほど貧弱で、全力を込めても思ったように棒は回転しなかったが、それでも四十秒ほどでくすぶりはじめ、更に三十秒でパッと赤い小さな火が出た。
つ、ついた! ほんとについたよ! 軽く感動!
えーとこの種火を大きくするために火がつきやすいものを当てるんだ。揉んで粉にした枯れ葉を当て……ウワァァァ消えたァァァ! 粉の量が多かった!
それから汗を垂らしながら試行錯誤する事三回、種火を大きくする事に成功する。火熾し開始から五分、竈に無事火が入った。疲れた……
数分休憩したら、沢に生えているセリを片っ端からむしった。山菜を残さず採り尽くすのはその場所の山菜を絶滅させる後先考えない愚行であり、マナー違反であるが、こちとら生死がかかっているのだ。見逃して欲しい。セリは珍しい植物でもないし。
採ったセリをよく洗って汚れを落とし、竈の石の上に並べていく。火の熱で乾燥させ、体積を減らすのだ。
沢のセリを全て並べ終えた時には辺りは真っ暗闇になっていた。竈の火だけが光源だ。やっぱり火があると安心感が違うね。今なら野犬一匹ぐらいなら追っ払える気がする。
火にあたりながら粘土塊を膝に起き、水をつけながら揉みほぐしていく。最初は頑固に形を変えようとしなかった塊も、少しずつ水が染み込むにつれて崩れだす。粘土に混じった根っこを除けながらぐにぐにぺたぺたと粘土を練る。堅い部分を潰しながら滑らかになるように丁寧に丁寧に。
手のひらの油分が粘土に吸われ、薪拾いでついたひっかき傷とあいまってパサパサひりひりする。我慢我慢。
一時間ほど練っていい感じになったので、早速成形。形状は円筒。底面積を広く。
成形は特筆すべき事もなく、普通に終わった。模様も取っ手もないただの円筒だから手間取る方がおかしい。
できた土器を木の根本にそっと置く。
やる事をやったらたき火を消し、さっさと寝た。