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十五話 神界-神門-神綱-神目-神科-神属-神種-アマテラス

※神や信仰に対する攻撃的表現が含まれますが、特定の宗教や信仰を否定するものではありません。

 問題は、秋口に起きた。


 秋は実りの季節である。山の木々に実が色づき、獣は肥える。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋など、秋を表す言葉は色々ある。

 秋は空気が乾燥しはじめる時期でもある。暑い季節から寒くなりはじめ、季節の変わり目。風邪を引くのも無理なからぬ事。


 縄文時代の風邪は現代と比べて洒落にならないほど重い。栄養をあまりとれないので、体力が少ない。生活環境が不衛生。薬がない。暖房が不十分。諸々が重なり、単なる風邪でも悪化したり長引いたりする。

 風邪の症状が酷いと、時に肺炎を併発する。肺炎はヤバい。何がヤバいって死亡率がヤバい。確か現代日本の原因別死亡率で三位か四位ではなかっただろうか。現代ですらそうなのだから、縄文時代では死病に等しい。


 私は目の前に伏せる子供を見る。まだ幼い、五、六歳の男の子だ。タテ穴住居に敷かれた毛皮の上に仰向けに寝て、真っ青な顔で苦しそうに咳をしている。全身から汗が玉のように浮き出ていた。


 ある日集落を訪れた際熊皮男に悲壮な顔で案内され、着いた先の住居で待っていたのは今にも死にそうな少年だった。ゴホゴホと弱々しく咳きこんでは、粘ついて赤っぽい痰を吐き出す。

 住居には熊皮男と、少年と私しかいなかった。思えばここ数日集落の空気が重かった。彼の病が原因だったらしい。


 呆然と少年を見下ろしていると、足下に重みを感じた。見れば熊皮男が私の足にすがりついている。もごもごと何かを唱え、涙が流れ落ちる顔は少年とよく似ていた。

 直感する。少年は熊皮男の息子だ。

 私も馬鹿ではない。ここまで手がかりが揃っていれば分かる。熊皮男は私に祈っているのだ。

 息子を救ってくれと。

 超越者にそうするように、ひれ伏し、足下にすがりついて。


 私は衝撃を受けた。

 熊皮男にとって、私はそういう存在だったのだ。奇妙な異邦人ではなく、共に悲しむ仲間でもなく。祈り、すがる、神のような。

 いや。神のような、ではなく、神そのものなのだろう。少なくとも熊皮男にとっては。


 ひざまづかれたり魚を献上されたりしておいて気付かなかった訳ではない。神格化されているな、とは思っていた。

 今更ではある。しかし、ただ崇められるだけではなく、奇跡を求めて縋られた、という部分が私にとっては衝撃的だった。これまでは私が私の都合で一方的に押しつけていたが、今はじめて相手から求められているのだ。


 私は遙か進んだ科学の産物に感染しているだけであって、神ではない。神ではないが、なるほど私は熊皮男が思う神のような能力がある。現在貯蓄エネルギーは潤沢にある。菌を使えば熊皮男の息子は快癒するだろう。

 ヒトには決してできない方法で、ヒトを死の淵からすくい上げる。神の所行だ。

 ここで少年を癒せば、私は神になれる。


 唇を噛む。気に入らない。ああ、全くもって気に入らない。


 私は神が嫌いだ。


 神は人間を堕落させ、高見の見物を決め込む悪党、というのが私の認識だ。神は私に祈れば幸せになれると嘯き、そのクセ何もしない世界最大の詐欺師である。いつの時代も人間を救うのも罰するのも神ではなく人間だった。


 有史以来神の名の下でどれほど殺戮が、腐敗が、不和が、裏切りが、停滞が、理不尽があっただろう。古今東西のどんな悪党よりも神は多くの不幸をまき散らしてきた。

 勿論、神に救われた者、あるいはそう思っている者も数多くいるだろう。しかし私に言わせてみればそんなものは一万人を殺した殺人鬼が餓えて死にそうになっていた乞食にパンをくれてやったようなもので、自慢話にもならない。よしんば一万人殺して一万人救ったとしても、そいつは救世主とはほど遠い。


 ここで私が一人救う。それは奇跡だ。私は神になる。奇跡を目撃した者は私を崇めるだろう。

 そして次に誰かが死に瀕した時。災害が起きた時。彼らは祈る。

 神よ、お救い下さい、と。


 馬鹿か。そんな事をほざく者は羽虫にも劣る。


 ブレーズ・パスカルは言った。

「人は自然界で最も弱い葦のような存在であるが、『考える』ことができるという点で偉大である」

「人は考える葦である」

 と。

 どうしようもなさそうな困難に直面した時、考える事を放棄して神にすがる。それはもう人ではない。ただの葦だ。


 私には知識があり、知恵がある。私が無知であったなら、森に放り出されて生きる努力も考える事も放棄し神に祈る事しかしなかったなら、いくら超科学的な肉体を持っていても今頃生きてはいない。

 誰でもない自分の意思で考え、知識を知恵でもって使いこなし、生き延びた。私はそれを誇りに思っている。


 熊皮男はどうだ? 今まさに知恵を捨て思考を捨て、主体性すら捨てて神に祈っているではないか。

 私はここで熊皮男の息子を救う事ができる。人一人の命を救う。立派だ。しかし代償に一人の人間(熊皮男)が神に祈り思考を停止する事を救いとする人間となり果ててしまう。少年もそうなるだろう。


 私は熊皮男に言ってやりたかった。私にすがるな。最後の最後まで自分の力で息子を救う努力をしろと。

 無駄に思えても。もう駄目だと思っても。神に祈る前に、微かな可能性に賭けて、熊皮男は自身の有らん限りの能力を尽くして息子を救う努力をするべきだ。

 でも、言葉が通じない。熊皮男は地べたに這いつくばり、私の足にすがりついたまま涙で顔をぐしゃぐしゃにして口だけを動かしている。

 とても哀れで、とても醜い熊皮男を私は黙って見下ろす。


 駄目なんだよ。私は神になれるけど、神になりたくないんだ。

 祈る事しかしないお前は救えない。神に祈る事が許される者がいるとしたら、それは最大限に努力し、なお届かなかった者達だけだ。お前はそうじゃない。

 祈る熊皮男は罪深くても少年に罪はない。しかし少年を救い、熊皮男を救う事はできない。


 しかし……


 思考を冷たくする私の頭の片隅で囁き声がする。

 所詮、他人事だもんな。ほとんど不老不死の肉体があるんだから、これからきっと幾度となくこういう場面に遭遇する。見捨てた方が長期的に見れば人類のためになる。お前は正しい。

 また別の隅から囁き声がする。

 一方的に与えて、エネルギーを貰うだけ貰って。縋られたら見捨てる? 随分身勝手な話だな。人間を都合の良いペットか家畜だと思っているんじゃないか?


「…………」


 私は悩んだ。

 少年を救わない。これは正しい。理論的には。

 少年を救う。これも正しい。倫理的には。

 どちらも正しい二択。これほど厄介なものもない。


 前世の世界で、人間はいつだって自分で自分を救ってきた。神に祈るだけの非生産的な白痴共に足を引っ張られながらも、知恵をつけ科学を発展させてきた。

 できればこの世界は信仰という名の思考停止に毒される事なく発展していって欲しいと思う。

 そのためにも私が宗教の発生源になるわけにはいかない。私がここで神にならなくてもいずれ世界各地で神が湧き出すだろうから、先延ばしにしかならないけれど。


 紀元前七千年。現代まで残る主要な宗教も神話もまだ存在しない、まっさらな時代。世界にまだ神はいない。それを汚すなんてとても……

 ……とても……

 ……あれ?

 この世界には神がいない? え? マジで? 宗教ないの?


 紀元前七千年ってーと四大文明はどれも成立していない。文字がない、国がない。宗教もない。集落の縄文人達も呪術や信仰とは無縁そうだった。

 今ここでアマテラス教をぶち上げても商売敵がいない。やりたい放題じゃないか。やりたい放題じゃないか!


 そう。例えば「おい! 祈ってる暇があったら科学や医学を発展させろ!」みたいなすんげー教義を掲げる宗教でも、それがグローバルスタンダードになる可能性を秘めている。

 逆に考えるんだ。宗教が広まる前に宗教を広めるんだ。毒をもって毒を制す。


 宗教の発生と拡大は絶対に避けられない。人類の足を引っ張る系の宗教が広まる前に、私が無難で無害で発展の邪魔にならない宗教を広めてしまえばいいのだ。

 なにせ神が実在して、実際に奇跡を起こす宗教だ。一度広まったら最後、フワッとした神や教義を掲げた宗教が生えてもすぐ潰れる事は目に見えている。世界はアマテラス教一強状態! あると思います。


 おお。

 おお!


 神になり、信仰を広めれば、死ぬ方が難しいほどのエネルギーが流れ込む。その莫大なエネルギーは私の安全を保証すると共に、ヒトを救う力にもなる。

 信仰と共にエネルギーを得て、そのエネルギーで人を救う。人間は私を中継して自分で自分を救う事になるが、その裁量は私に任せられる。

 人間に頼られず、縋られず、しかし信仰され。死に物狂いで努力しても本当にどうしようもなくなった時、少しだけそっと手を差し伸べる。そうして人間に神に頼らず自分の足で歩く事を覚えさせる。

 全力を尽くした努力は無駄にならず必ず何かしらの報いがあると分かれば、人間は一層努力するだろう。


 考え、努力して、発展して。私の知る現代に追いつき、追い越して、その先へ。いつか私の菌を発見し、解析し、再現できる日も来るかも知れない。

 楽しみであり、ちょっと怖くもある。でも祈っているだけでは絶対に辿りつけないものだ。

 ヒトを真に導き、救い、自立させ、神のその先へ送り出す。そんな神なら、私はなりたい。





 人間よ、努力せよ。


 人間よ、考えよ。


 最善を尽くしなお届かなかった者に、神(私)は救いを与えるだろう。





 私は新世界の神になる。

 その決意と共に、私は祈る事しかしなかったの熊皮男の息子を救わない事にした。











 救わないといっても何もしないわけではない。菌を使った奇跡を起こさないだけだ。

 病気になったら加持祈祷、仏に祈る、シャーマンに悪霊を出してもらう、というのは近代までポピュラーな「治療法」と認識されていた。縄文時代も然りだろう。まずはその認識を壊し、祈る、縋るというのは治療法ではないという事を理解させなければならない。

 ここで私が何もせず立ち去ると、祈りが足りなかったとか、供物が必要だったとか、そういう解釈をされてしまう恐れがある。だから私が手本を示して自分(人間)ができる努力、というものの基礎を教える。

 私は熊皮男に手伝わせ、少年の汗を拭き、水を飲ませ、木の実を砕いてどろどろに煮た消化の良い粥を与え、毛皮を体にかけて暖かくした。

 肺炎がこういった風邪と同じ対処法で治る見込みがある病なのか、私は知らない。この程度で治るなら現代での原因別死亡率で高位を占めるわけがないから、十中八九無駄な悪あがきに終わるだろう。でも、菌を使わない範囲でできる限りの事はした。


 熊皮男は私が働くのを見て、息子は助かると早合点したらしい。治療の合間に涙ながらに息子の手を握りしめ、私に何度も頭を下げていた。息子の方もかすれた声で私に礼らしい言葉を言った。

 心が痛かった。とても助かる見込みは薄いなんて言えない。言葉が通じたとしても。


 夕方、タマモがそろそろ帰ろうと顔を出した。私は事情を説明し、先に帰らせた。タマモにできる事はないし、この少年が死んだ時、集落の私に対する好感情が反転して悪感情になるかも知れない。集落の住民に束になって攻撃されたら私はとにかくタマモは無事では済まない。タマモは私が危険だと知るとぐずったが、なんとか納得して帰ってくれた。


 熊皮男は飲み込みがよく、すぐにやる事を覚えた。私は手助けをやめ、少年を膝枕する。やつれた頬をそっと撫でながら、静かに寄り添った。


 日が落ちて暗くなり、住居の中央の穴で焚かれたたき火の明かりが少年を照らす。少年の咳きはますます苦しげに、弱々しくなっていた。


 熊皮男が不安になってきたらしく、私を見る。私は無言で見つめ返した。


 季節は初秋。夜は冷え込む。夜気が少年を蝕まないよう、熊皮男は自分の毛皮を少年に被せた。少年は父に薄く微笑み、目を閉じてか細い寝息を立てはじめる。


 私は眠る少年を起こさないように手をとり、脈を診た。今にも止まりそうなほど弱い。男がまた不安そうに私を見た。私は無言で少年の手を父に握らせた。


 夜は更け、どこからかフクロウの鳴き声が聞こえる。父は息子の手を祈るように握り、小さく震えていた。私は頑張れ、と小さな声で言い、父とは反対側の、少年の小さな手を握った。憔悴しきった少年の顔が少し和らいだ気がした。


 虫の音も絶えた夜半過ぎ、手から感じる拍動が断続的になってきた。父も息子の生命の火が消えようとしている事を悟ったのだろう。涙も枯れた悲壮な顔で、幼い息子の土気色の顔をじっと見ていた。


 そして東の空が白んできた時。少年の心臓は止まっていた。








 長い、長い、夜だった。

 声もなくへなへなと脱力した父を哀れみながら、私は少年の頭を膝から降ろした。

 結局、助からなかった。助けなかったともいうが。

 予期していた事だ。思ったより悲しみはない。


 父は息子を救うために努力した。しかしそれは私の教えた作業をこなしただけだ。創意工夫を凝らしたとは言えない。いきなりそこまで求めるのは酷ではあるが、救済には値しなかった。

 もっとも、神の指示以外の事をしてはならないとでも思ったのかも知れない。十分考えられる事だ。


 しかし今回の事で神の指示通りにしても駄目な時があると痛感しただろう。一人の命と引き替えに学んだ事をどう生かすか。それは彼次第。

 我ながら上から目線だなーと思うが、横から目線で神はやってられないしやってもいけないとも思う。下手な同情は判断ミスの原因になる。でも相手の気持ちを理解できなくても判断ミスの原因になるから難しいところだ。


 私は外に出て、森に入った。近頃の陶器ブームで近場の薪はとりつくされていたため、少々遠出して薪を収集。集落に戻ると熊皮男の住居に人が集まり、悲しげな空気が漂っていた。

 彼らは私を見ると黙って道を開けた。意外な事に彼らから流れ込むエネルギーは減少していない。救わなかったのに、嫌われていなかった。生き返らせてくれとも縋られない。

 思えば古今東西、神が人を生き返らせた神話はそう無い。むしろ神の方がちょっとした怪我や病気やうっかりで死ぬ。死とはそういうものなのだ。


 私は里の端の空き地に薪を積み、少し離れた場所に掘ってきた胡桃の苗を置いた。火葬の準備だ。

 仰々しい葬式はやらないしやらせない。せっかくなのでとことん効率的に行く。

 御香典だの花籠だの出費を強要してわざわざ喪服を用意して、何日もかけて死体を送る。私に言わせれば正気じゃない。そういう手間や金は生きてる時にかけてやれ、生きてる時に。死んでからじゃ意味ないんだよ馬鹿ちん。


 とはいえ流石に死亡後すぐに燃やしてしまうのはどうかと思ったので、夜まで待った。縄文人に死体を長期間とり置く習慣は無いらしい。夜に私が住居に入り、遺体抱き抱えて運んでも文句は言わなかった。

 少年の遺体を積み上げた薪の中心に置く。私は菌を使って薪に熱を与え、火をつけた。独りでに燃え上がったように見えたのだろう、周りで見ていた住人達が驚きの声を上げる。

 死体は燃やしてしまうに限る。土葬して疫病が発生したら洒落にならない。


 最初、火葬を見た住人達に動揺が走っていた。火葬の習慣が無かったらしい。しかし私が努めて堂々としていると動揺は収まり、煙が空に消えていくのを厳粛な面もちで見ていた。

 やがて火は消え、灰の中に白骨が残る。ぼろぼろで、ほとんど形を留めていなかった。この時代の栄養状態が伺える。

 私は集落の端、森との境界付近に穴を掘り、白骨と灰を埋めた。その上に用意しておいた胡桃の苗を植える。苗は遺骨と遺灰の養分を吸い上げ、いずれ大きな実をたくさんつけるだろう。


 人間の死体は栄養豊富だ。沖縄では異様に大きく育った作物の下を掘ると必ず沖縄戦の遺体が埋まっていたという。

 死体を墓に入れるのではなく、果樹の養分とする。私なりに考えた死者から生者への贈り物だ。

 生前がどんな悪人でも善人でも、死後は分け隔てなく生きる者への恵みとなる。物質的かつ精神的な良い埋葬の仕方だと私は思う。


 埋葬を終えた私は一日振りに石室に戻った。川を渡ったと思ったら駆け寄ってきたタマモに飛びつかれ、押し倒された。


「アマテラス!」


 タマモは半泣きになっていた。私の体をぺたぺたと触り、怪我がないか確かめる。

 そうだった。タマモには危ないから帰れと言い聞かせていたんだった。私が無事か心配だったのだろう。


「ごめん、心配かけた」

「うー……」


 タマモは私をぎゅーっと抱きしめた。苦笑して頭を撫でる。娘に甘えられているようだ。

 菌による変異のせいだろう、タマモは学習能力が高い。しかしまだまだ子供だ。もっと構ってやるべきか。

 神様稼業をする上でタマモにもやってもらいたい事がある。ゆっくりと育てていこう。





やっと神様開始(´・ω・)

ここまでがプロローグみたいなもんです

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