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十四話 ~秋

 翌日、猪肉が尽きた。夏になって勢いを増した野草や山菜があるし、縄文人からの収入もあるから飢える事こそ無いだろうが、やはりタンパク質か炭水化物が欲しい。縄文人の間で悪質な風邪が流行って全滅とか、大地震で倒壊した建物の下敷きに大人数が死んでしまうとか、不測の事態というものは来ないと思っていたり忘れていたりする時にこそ起きるものだ。用心するに越した事はない。

 獣狩りは獲物が見つかるとは限らず、またあまり狩り過ぎて生態系を壊してしまうのも心配だ。

 そこで魚をとる事にした。梅雨の間は増水して流れが早く、水も濁っていたためできなかったが、今ならできる。


 私に感染している菌は体内に存在する。呼気と共に外にばらまかれる菌はヒトに接触しない限り十数秒で自然消滅するため、体外に行使する時は意識的に追加で菌を放出する。

 菌は意識的に動かす事ができるが、感染源から離れると急激に精度が落ちる。二メートルも離れればほとんど操作を受け付けない。だから獣をしとめる時に菌を直接作用させずにわざわざ小石を射出しているのだ。


 魚はあまり近づくと逃げてしまうので、やはり小石を射出してしとめる事になる。

 小石弾は目測で発射するのだが、見えてさえいれば思った通りの場所に正確に射出される。水面近くにいる動きの鈍い魚を狙えば容易くとれるだろう。

 川岸に立って水の中を覗き、手頃な魚に向けて小指の爪の先ほどの小石を100Jで撃つ。魚は頭を貫かれ、赤い血流しながらをゆっくり下流に流されていく。


 ……あれ? ぷかーっと浮かんでこないのか。やばいやばい。

 ざぶざぶと川に入り、即死してぴくりとも動かない魚をキャッチ。黒に近い赤茶色の魚だ。胸ビレの後ろが黄色っぽい。なんだろう、名前はわからない。

 私が見分けられる淡水魚なんてメダカとナマズとドジョウとコイと金魚ぐらいだ。釣りの趣味はなかったから、川魚はさっぱり分からぬ。イワナとかウグイとかアユとかそのあたりじゃないですかね。毒はなさそうな顔してる。半分吹き飛んだ顔だけど。


 一人二匹、合計四匹しとめ、石室に戻る。キラキラした目で見てくるタマモをあしらいながら腹を裂いてワタを抜き、鱗を剥ぎ、頭から尻尾まで木で串刺しに。たき火を囲むように斜めに傾けて木を地面に刺し、焼く。

 すぐにあたりに魚の焼ける良い匂いが漂いはじめた。タマモは尻尾をわっさわっさ振りながら涎を垂らし、焼いている魚の向きを変える時にさりげなく自分の近くに刺し替えた。

 尻尾が焦げてきたところでタマモに「よし」を出す。大喜びで魚にかぶりついたタマモは、あまりの熱さにひゃうんと悲鳴を上げていた。


 慌てん坊の狐さんが水を入れた壷に顔を突っ込んでいる隙に自分の分の魚を二匹確保。よく吹いて冷まし、ぱりっと焼けた皮ごと一口。

 若干臭みがあるが、美味い。塩や醤油が無いため魚本来の飾らない淡白な味わいがよく分かった。

 しかし塩や醤油をかければもっと美味しくなるのに、と思える味でもあった。味噌で煮込んでも良さそうだ。刺身にして酢でシメるのも想像するだけで涎が出る。

 調味料が、欲しいです……


 もやっとした気持ちになりながら完食。タマモと一緒に今日も集落へ。

 やってくる時間は毎日同じなので、住民も学習したらしい。私達が集落に着くと住民達は全員表に出てそわそわしていた。

 好奇の視線を浴びながら釜を開く。陶器を取り出して灰を払い、その白い威容を掲げると、住人達はオオーッとどよめいた。


 例によって熊皮男がノコノコやってきたので、深鍋を進呈。小鉢は物欲しそうにしていた女の子にくれてやり、壺は目についたおばさんに渡した。

 三人は神から神器を授かったような喜びようだった。オーバーだなもう。

 貰えなかった住民達が物欲しげに三人の陶器に群がってぺちゃくちゃ喋っている。私はまた熊皮男を手招きして呼び寄せ、陶器作成セットを押しつけて座らせた。

 驚き戸惑っている熊皮男に私は微笑む。昨日見てただろ?


 や れ 。


 陶器作りを神の御業とか精霊の奇跡と認識されたら困るんだよ。技術を広めるために目の前で実演したんだから。

 山本五十六は言っている。


「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。

 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」


 たかだか二十年ぐらいの薄っぺらい人生経験しかない私にとって、激動の時代に軍を率いた彼の言葉は重い。

 言葉は通じないから、実演し、やらせて、見守るぐらいしかできない。しかしそれが大切なのだと信ずる。


 熊皮男はまごまごと陶器作りを始めた。石を砕き、粉にして。粘土水に混ぜて、かきまわす。これでいいのか、と不安そうに見てきたので、笑顔を作って頷いた。熊皮男はほっとした様子で次の作業に移っていく。

 彼は一度見ただけの手順をよく覚えていた。私の顔色を伺いつつ、もたくさとはしているが間違いもなく手順を消化していく。


 第一次接触で真っ先に毛皮を拾ったのも、恭順? を示したのも彼だった。適応力、判断力、学習力が高い。

 彼がこの集落の長なのだろうか? 一人だけ毛皮身につけてたし。でも集落をうろついたタマモの報告によると、全部の住居に毛皮の鹿か猪の寝床があったから、別に毛皮を持っていてもステータスにはならないのかも知れない。よく分からない。

 今までがどうであったにせよ、私と積極的に接する彼は集落での尊敬を集めている気配がするし、私としても知能が優れた者を窓口にした方が縄文人と交流し易い。


 熊皮男が釜に火を入れて陶器を焼きはじめる。タマモはまた森に消えていった。それをを集落の子供達がコソコソ尾けていく。悪意あって尾行している訳ではなさそうだったので見逃した。

 三時間ほど焼いたところで熊皮男の肩を叩き、釜を閉じさせる。


「お疲れ」

「!?」


 やりきった顔で汗を拭った熊皮男に声をかけると、もの凄く驚かれた。そういえば直接声かけるのははじめてだった。愚民共に開く口はない! というスタンスだと思われていた可能性も無きにしもあらず。


「××××、×××××××」


 神妙な面もちで何やら言ってきたが、分からない。とりあえず曖昧に微笑んで誤魔化し、子供達の尾行を撒いて戻って来たタマモと一緒に帰った。








 翌日から釜に行列ができるようになった。目論見は上手くいったようで、住民達はこぞって陶器を作り出した。

 釉薬の原料に無作為に拾ってきた石を使うので失敗する者も多かったが、土器作りに関してははっきり言って私よりも縄文人の方が数段上手い。なんといっても年期が違う。すぐに色とりどりの陶器が集落に溢れるようになった。

 私がつくった釜一号だけでは生産が追いつかず、住人達は独自に河原から石を運んできて、釜二号、三号を増設。一ヶ月もすると毎日のように釜から煙が上がり、なにやら陶芸の里のようになってくる。

 流石日本人、研究熱心だ。江戸末期に黒船の乗員が持ってきた動く汽車の模型に驚く前に仕組みを知りたがり、その研究意欲にかえって乗員が驚いたという逸話もある。まあ縄文人は二十一世紀の現代人とはちょっと人種が違うんだけども。


 旧式の土器は貝塚付近にまとめて埋められたり捨てられたりしていた。時代の移り変わりを感じる。幾つか気に入ったものはこっそり回収しておいた。土器を見てると現代にいた頃は欠片もなかった考古学的情熱が燃えるんだよね。


 陶器が広まったら、漁も広めた。

 縄文人は麻で服を作っている。身振り手振りで麻が採れる植物を教えてもらい、服ではなく網を作る。縄文人達がひたすら槍で突く原始的な漁をしている横でタマモと一緒に投網や定置網、追い込み漁を実演した。

 槍とは比較にならない量の魚を水揚げすると、それを見た縄文人達はギョッとしていた。魚だけに。


 水面に近い場所を泳ぐ魚や大型の魚を狙うなら槍も悪くはない。現代でも夜に明かりを灯して魚をおびき寄せ、銛で突く漁法は生き残っている。しかし小~中型で中~深層を泳ぐ魚なら断然網がいい。

 網作りは服を作るよりも簡単だ。縄文人達もすぐに真似をして、食卓には魚が多く並ぶようになった。


 ちなみに試しに麻服も作ってみたが、作りが雑なためか固い繊維がチクチクと肌を刺激してとても着れたものではなかった。普通の人なら着ている内に慣れる程度のチクチクでも、肌が弱い私にとっては鬼門だ。がっでむ。


 陶器と新しい漁法を伝え、目に見えて生活を向上させたため集落の住人の親愛度も鰻登りだった。

 親愛度4~8、平均5。それが約五十人で一日21.6MJ。

 私の一日の基礎代謝が4MJなので、何も食べなくてもかなりのペースでエネルギーが貯まっていく。水を飲んだり気が向いたら軽食をとるぐらいはするが。


 夏真っ盛りの特に日差しが強い日、私は集落への移住を決意する。

 毎日の往復が面倒だし、冬になったら雪が積もって簡単には行き来できなくなる。雨の日に訪問しようと思ったら濡れ鼠になるのを覚悟しなければならないのも問題だ。

 タマモも移住に賛成だった。集落との交流を始めた当初はケモ耳とふさふさの尻尾に興味津々の子供達に追い回され嫌そうにしていたが、網漁を教えてからは頻繁に焼き魚を献上されるようになったため、味を占めたらしい。


 移住にあたり必要になるのは住居だ。この時代、住居と言えばタテ穴式。

 タテ穴式住居は地面を一メートルほど掘り、屋根を被せた住居だ。床は地面がむき出しで、隙間だらけ。虫が入ってくるし、隙間風や雨漏りは当たり前。夏の夜は蚊に悩まされる。

 もっとも私は水辺で寝起きしているのに蚊に血を吸われた事はない。蚊にとって不味そうな匂いでもするのだろうか。

 とにかく私にとってタテ穴式住居は論外。現代建築なんて贅沢は言わない。床張りと囲炉裏ぐらいなら素人でもなんとかできる、はず。縄文人にそんな建築技術はもちろんないから、全て自分で建てる事に。


 まず大前提として土地が要る。これは割とどこでもいい。この時代はこの土地は誰それのもの、という概念がまだ無いから、小道のド真ん中を占領したりしない限り大丈夫。

 次に木材。これも難しくない。森をうろついてまっすぐ育った手頃な木を見つけたら、幹に抱きつき、菌の効果範囲に納める。あとは菌を使ってスパンと切断。チョロいもんよ。

 ズズンと重々しい音を立てて落ち葉の上に横たわった木の枝を落とし、タテに切れ込みを入れる。背割りというヤツだ。そしてそのまま放置。


 木材の乾燥は一ヶ月~一年かかる。背割りを入れて短縮。さらに煙で燻して短縮。半年もあれば十分、な、はず。

 煙で燻すと、乾燥が進むと共に虫除けにもなり、木が長持ちするらしい。雪国の昔話に出てくるような家の囲炉裏の上の屋根がむき出しなのは、囲炉裏の煙で屋根を燻すためなのだそうな。

 夏真っ盛りから半年。乾燥終了は雪解けあたりか。丁度いい。冬に凍った木材が解凍されれば一層水が抜けるだろう。グルメショーウィン○ウも凍結と解凍を繰り返してカラカラになってたし。

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