ダンシング インザ レイン
雷雨の森のなか馬車を疾駆させる。
御者を務める痩身の青年――執事のドルはぼやくように声をかけた。
「お嬢。ここは迂回するのをお勧めするっす」
「誰がなんと言おうと近道よ。絶対近道」
車内からは彼の小さな御主人様――黒いドレスの少女――シャーラ・エストニア嬢の強い口調が飛んでくる。
「はいはい畏まりましたっと」
彼女はよほど舞踏会が楽しみなのだろう。
ちらりと盗み見たその顔は、いつもの家庭教師からバックレてけだるそうにケーキを頬張っている時とは違っていた。
脱輪の理由は明白だ。
地方の人間であれば誰もが遠回りする荒れ果てた道を走ったせいだ。
その指示を出したのは勿論シャーラ自身。
「なんで馬車を壊しちゃうのよ。ばか執事っ」
だがシャーラは馬車から下りると、車輪の前で屈みこんでいるドルの背中を思い切り踏んづけた。
「ちょっと。お嬢、暴力反対っす」
「馬鹿執事ののーたりんばかっ」
シャーラはいつものように執事のドルに責任を擦りつけることにした。
それが間違っているとは頭でわかっていても、習慣として身についてしまっているから仕方がない。
面倒なことはドルに任せきり。
気に入らなければすぐに八つ当たり。
もう十年もそうやって生きてきてしまった。
「もういい。ここからは歩くんだから」
「雨のなかっすよ?」
ドルが呆れた声を上げる。
「舞踏会が始まっちゃうんだから」
シャーラは逃げるように、歩き出した。こんな人間が主人ではそのうち執事に愛想を尽かされてしまうだろう。
主人であるシャーラは文句を言いつづけながらも、結局森のなかの強行軍を小一時間程続けている。
それ程、舞踏会への意気込みの強いのだろう。
普段の彼女からは考えられない行動力だった。
「全く。せっかくのドレスも泥だらけ。着替えちゃんと持ってきたでしょうね」
「仰せのとおりトランクケースに一式」
「濡れてないでしょうね?」
「まあなんとか」
「絶っっ対に濡らしちゃ駄目なんだからね」
「ダンスってそんなに面白いもんすかねえ」
「ふんだっ。だめ執事のあんたにはわからないわよ」
シャーラは、拗ねたような顔をちらりと見せるとべえと舌を出した。
シャーラがそうまでして舞踏会に参加したかったのには理由があった。
執事であるドルに見せたかったのだ。
ひとつくらい彼に甘えずに何かできるところを。
証明したかったのだ。
もうわがままを言うだけの小さな子供でなく立派な淑女であることを。
ただそれだけの事。
たが彼女にとって、それはとても大事な事。
だから誰に見られても笑われないことだけを考えてダンスの練習を続けてきた。
――でも結局は何もかも無駄に終わってしまった。
「ごめん。もういいよドル。ゲームオーバーだよ」
「……っす」
雨の音に紛れて遠くからお城の鐘が鳴り響いていた。
それは舞踏会の始まりを告げる音だ。
この距離から徒歩ではもう辿り着いた頃には終わってしまうだろう。
所詮自分はその程度の人間だったというわけだ。
「あーあせっかくたくさん練習したのになあ。ステップなら誰にも負けないくらい綺麗に刻めるようになったのになあ」
シャーラははにかんでみせた。
残念ではあるけれどそれほど気にはしていない素振り。
今日が土砂降りの雨の日で本当に良かったと思ったと彼女は思った。
目からこぼれる熱いものは止めたくても止められなかったからだ。
「……じゃあさここで踊らないっす?」
ドルは馬鹿なことを言っていると自分でも理解していた。
ここは舞踏会場でも何でもない。
ただの森だ。
主人であるシャーラが望んでいたことがこんな場所でも叶うなんて毛頭思っちゃいない。
「こんだけ泥だらけだし雨の中で踊るのはきっと気持ちがいいかも」
けれども今主人がが落ち込んでいて、それを元気づけられる人間がいるとすれば他でもない自分しかいない。
何故ならば自分こそが彼女の執事だからだ。
ドルは黙って泥だらけの地面に片膝をつくと、手を差し出して、彼女をまっすぐに見上げた。
「俺がお相手します」
「……ばか執事。ちゃんとリードしてよね」
彼女はまだ涙を浮かべていたけれども、にいっとはにかんでみせるとドルの手を掴んだ。
「お嬢っ、また俺の足踏んだっ!」
「うるさいっ。わざとよわざと!」
森の中で踊る二人。
雨は一向に上がる様子を見せなかったが彼らの気持ちは晴れ晴れとしていた。