第六話
「かあさん」
遺体を揺り起こそうとする小さな手を取って、
立ち上がらせ。
「そのひとは母さまではありません」
正妻はスウリンに、嘘をつく。
「じゃあ、あの男のひとも、とうさんとは、ちがうの?」
倒れ伏した族長を指差して訊く、スウリン。
「違いますとも」
正妻は、嘘をつき通す。
「おばちゃんは、だれ?」
「なんですか、おばちゃんとは失礼な。
躾のなっていない子ね。
やはりあの女の子供だわ、憎らしいったら」
そう言いながらも正妻の両手は、
幼女のほっぺたを包み、あやすように撫でる。
「いらっしゃい」
スウリンの手を引いて、秘密の抜け道をたどる。
壁を隔てた向こう側。
あちらこちらで火の手があがり、悲鳴があがる。
きなくさい煙が、抜け道にまで忍び込み。
幼女はすぐに、息が切れ。
正妻は幼女を抱きかかえて、走る。
走りながら正妻は、みずからの嫉妬が館を焼き、
国を滅ぼすさまに、恐れおののく。
絹商人に化けた敵国の間者に、たばかられた。
悪心に、つけこまれた。
踊り子を亡き者にしてさしあげましょう、
という言葉に、乗せられて。
胸騒ぎを覚え、
踊り子の部屋へ足を踏み入れれば、時すでに遅く。
族長までも。
さらに、今となっては。
国ごと、滅ぼす羽目に。
どこで、なにを間違えて、こうなったのか。
族長は何故わたくしを愛してくださらなかったのか。
何故わたくしでなく、あの小娘を。
それは。
族長が、本当に欲しかったものを、
あの娘は惜しげもなく、与え。
わたくしは。
たとえば飢えた者は食物を欲するのに、
わたくしは飢えに苦しむ族長へ、
宝石を、あるいは書物を、
押し付けていたようなものだった。
族長は、脱ぎ去ることを望んだのに。
わたくしは、着飾ることに、熱中した。
真に浅はかで愚かだったのは、
踊り子でなく、わたくし。
生家の誉れ、知性と教養、
最高級の装身具、莫大な結納金、
同性と組んだ徒党。
それらで武装していないと、
族長の顔をまともに見られないほどの、臆病者。
むろん、それらがすべて悪だったのではない。
使い方を、誤った。
鋏を凶器として、使ったようなもの。
許されない、あやまち。
「さあ、ここからは一人で行くのよ」
行き止まりにしか見えない隠し扉を開けて、
正妻はスウリンを、外へ。
「まっすぐ駆けて行きなさい。後ろを振り向かないで。
あなたの父さまと母さまは、この先にいるわ。
行って! 早く!
早く行かないと、はぐれてしまいますよ!」
脅されて、スウリンは一目散に駆けてゆく。
正妻は隠し扉を閉ざし、追っ手を待ち受けた。
追っ手が迫ったときには、
わざと行き止まりに迷い込み、焦った風を装った。
この先、自分がどうなるか、わからない。
虜囚となるか、すぐ殺されるか、それとも。
死んだほうがましな目に、あうのか。
どうなろうと、甘んじて受けよう。
この罪に相応しい、罰を。
もう、いい。
誇りや、尊厳や、大切なものは全部。
あの子に、託したのだから。
スウリン、希望の光。
あらゆる災厄が詰まった箱を開けた愚かな女でも。
最後の希望の光は、世に解き放つことができたから。