第四話
「まったく、理解に苦しむ。
族長の一体どこがいいのだ。
このようなむさくるしい、ヒゲ面のオヤジなど」
サーシャは族長本人の前で、
ずけずけと踊り子に訊ねる。
「庭へ出ろ」
族長は、わざと厳しい顔をして、
サーシャに木刀を投げつけ、
みずからも木刀を持って、立ち上がる。
サーシャはにやりと笑い、悠然と受けて立つ。
踊り子は呆れた様子で肩をすくめ、
我が子をあやすため、鈴つきの玩具を取り上げる。
時々こうして族長とサーシャは木刀を交える。
サーシャが踊り子の住まいに居つくようになり、
腹を割って、話をして以来。
「何故わたしを抱かなかったのだ」
サーシャが問えば、
「これでも部族の長だ。
寝首をかかれるわけにはいかぬ。
うるわしき姫将軍との甘美な一夜とひきかえに、
命を失っては元も子もない。
そのつもりだったのであろう?
妙に積極的だったのが、薄気味悪かったぞ」
族長の返答に、サーシャは苦笑。
もしも、妊娠を伝えていたら。
族長は、もしかしたら。
もしかしたら。
いや、詮無いこと。
あの頃の族長と、今の族長とは、違う。
あの当時、踊り子は、いなかった。
族長は、踊り子と出会って、変化した。
眠っていた一面を、揺り起こされた。
踊り子と出会う前の族長は、
もっと非情で、冷酷だった。
こんなふうに剣舞を楽しむなど、思いも寄らぬ。
ましてや、その最中に、
「やはりそなたは刺客であったのだな。
この腕前、間違いない。
誘いに乗らないでいて正解であった」
きわどい軽口を、叩くなど。
そしてサーシャが、それに応じ、
高笑いを、響かせるなど。
踊り子は言う。
「わたくしは踊ることと、
愛することしかできない女です」
踊ることと、愛すること。
そのふたつで踊り子は、この場所を、
サーシャにとっては、
華やかだが牢獄でしかなかったこの場所を、
ほのあたたかい楽園に、変えた。
険悪だった族長とサーシャの間に、
友情めいた絆まで、芽生えさせた。
「そなたが女で、よかったと思う」
ひとしきり汗を流した後、
冷酒を酌み交しながら、
族長はサーシャに、しみじみと言った。
「もしもそなたが男であったなら、
今頃は恋敵として決闘をしていたであろう」
サーシャは笑って受け流したが、内心は。
もしも自分が男であったなら、
たとえ去勢され宦官となってでも、
この女に仕え、守りたがったであろう、と思った。
踊ることと、愛すること。
そのふたつをもって、他を捨てて、
ひとりの男の心と身体と魂を慰めるために、
すすんで鳥籠へ入った、その潔く美しい決意を。
「うれしいわ。
女友達ができるなんて、思ってなかったもの」
踊り子は、友をひとり持つことすら、
あきらめていたのだった。
この、欲のなさ。
もとから欲は少ないほうでは、あったのだろう。
しかし、この欲のなさは天性に加え、
さらに精進を重ねたものに相違ない。
食欲にひきずられて、
過食に走ったりしないように。
族長の寵愛をかさに着て、
奢ったふるまいをしないように。
厳しく、みずからを律している。
そこからくる優しさは、強さに他ならぬ。
姫将軍はその強さを尊敬した。
踊り子は、ただ可愛らしいだけではない。
族長も、きっとわかっている。
その強さに癒され、愛しさを募らせているのだ。
そして踊り子は、
姫将軍サーシャの理想を生きている。
相思相愛の男のもとで、愛児を産み育て。
サーシャが望み、叶えられなかった、夢。
自分が望んで得られなかったものを持って、
日々を生きている、踊り子。
時折、嫉妬の念が湧き上がる。
だから正妻の気持も、わかる。
それでも、サーシャは踊り子の側に立つ。
嫉妬を克服し、踊り子を守っていると、
自尊心が、保てるからだ。
自尊心。
もう、とうの昔に失ったと思い込んでいたもの。
自分にも、まだ踊り子のように、
みずからを律する力があると、体感できる幸福。
あまつさえ、踊り子は、泣いてくれた。
サーシャが子供をあきらめた話をしたときに。
さすがに族長には、そこまで話せなかったが。
女同士の気安さから、踊り子には話したのだ。
踊り子は、みずからの投影。
スウリンは、産めなかった我が子の投影。
身体を欲したりはしないけれど、
わたしは彼女を愛している。
身体を欲する必要は、ない。
彼女はわたしの、分身なのだから。