第三話
時を置かずして踊り子は身ごもり、
玉のような女の子を、産んだ。
スウリンと名づけた。
希望の光、という意味。
噂は、後宮にも届き。
正妻は側女を一人、偵察に差し向けた。
気配を殺して、近づいたのに。
どういうわけか赤子は気づき。
来訪者を指さし、機嫌よく、
きゃっきゃと声を上げて笑った。
踊り子は赤子の視線を追い、
来訪者に微笑を向けて、手招いた。
偵察者は、しぶしぶ姿を現し、
促されるままに踊り子の横に座り、
ともに赤子を見下ろした。
「……可愛いな」
ぽろりと本音が口をつく。
踊り子の頬に、笑みがひろがる。
その頬には、ひとすじの淡紅色の線が。
「跡が、残ってしまったな」
正室の悋気に触れて、扇で痛打された、傷痕。
あの場にいながら、傍観していた罪悪感が、
今さらながら、込み上げる。
「許せ」
思わず踊り子の頬に手をのばし、
傷痕に触れ、詫びる。
と、踊り子は不意に、くすくすと笑い始めた。
「なにが可笑しいのだ」
戸惑って、問いただす。
「男のひとみたいな物言いを、なさるのね」
「ああ」
来訪者もまた苦笑しつつ、事情を説明。
「わたしは女戦士だったのだ。
昔は、姫将軍と呼ばれていた」
過去の栄光。
故郷は族長に攻め込まれ、降伏。
服従の証として差し出されたのは、
ありったけの財宝と、凛々しく麗しい姫将軍。
姫将軍には、相愛の相手がいた。
直属の、部下。
民の安泰と、おのれの色恋とは、
到底、秤にかけられるものではなかった。
是非も、ない。
だが、誰も知らなかったが、
姫将軍はこのとき、身ごもっていた。
姫将軍は、我が子を生かすため、
族長を罠にかけようとした。
抱かれようと、あらゆる努力を。
族長の子として産み、生き延びさせるために。
しかし、族長は。なにを思ったか、
姫将軍に手をつけようとは、しなかった。
結局。
子供は、あきらめた。
抱かれもしないのに妊娠したら、
それはもう不義の子と、誰の目にも、あきらか。
断腸の想いで別れた恋人も、
みずからを生贄に差し出してまで守り抜いた民をも、
一瞬で、滅ぼすことになろう。
誰にも、知られず。
小さな命を、消し去った。
もしも、産めていたなら。
あの子も、このように、愛らしかったろうか。
のばした指先を、
赤子は、ぎゅっと掴んでくれた。
思いがけない、力の強さ。命の、強さ。
涙が、こぼれた。
踊り子が、自分の袖口で、
それを拭ってくれた。
「……すまない」
いいのよ、というふうに微笑む踊り子。
姫将軍と踊り子の間に、スウリンを通じて、絆が。
そのとき、族長が部屋へ。
族長は姫将軍を見て、さっと顔色を変えた。
警戒心。
族長と姫将軍の間に走った緊張を知ってか知らずか、
踊り子は族長へ。
「スウリンを見にいらしたのよ」
屈託なく、説明。
「可愛いって、言ってくださったわ」
スウリンも、すこぶる機嫌よく、
姫将軍の指を握りしめて、笑っている。
「……そうか」
族長は、緊張を解いた。
以来。
姫将軍サーシャは後宮へ戻らず。
踊り子の侍女となり、
スウリンの守役となり、
母子の、護衛となった。
以後、踊り子が暮らすこの一郭から、
一度も外へ、出ることなく。