第二話
廊下を曲がり切ったところで、夢龍は睡蓮に追いついた。
夢龍に左手首を掴まれて、睡蓮は立ち止まった。
ふたりとも、息があがっていた。
睡蓮は、夢龍を振り返らない。
うつむいて、泣きじゃくる。
疾走して乱れる呼吸、上下する背中、嗚咽で震える肩、そこに降りかかる金髪。
とらえた手首から伝わる体温、折れそうに細い骨、なめらかな肌の感触。
そして、恋焦がれる女が間近で放つ、芳香。
興奮した睡蓮からは、麝香の匂いが立ち昇る。
夢龍はくらくらと眩暈を覚え、身を投げるような勢いで、睡蓮にすがりつく。
「睡蓮……ッ!」
「……あっ……」
背後から抱きすくめられて、睡蓮は驚き、怯えて身じろいだが。
たくましい男の腕の檻からは、簡単に抜け出せない。
ほどなく睡蓮は、抵抗をやめた。
自分に想いを寄せてくれる男のぬくもりに、屈したのだった。
ああ、このひとは。
なんて、暖かいのだろう。
睡蓮は、うっとりと瞳を閉じた。
夢龍は、その耳元に熱くささやいた。
「睡蓮、きみが本当は、誰を好きでも、おれは、構わない」
睡蓮は、ハッとして、今とじたばかりの瞼を上げた。
「きみが、たとえ、たとえば……銀月を、愛していたとしても、おれは……頼む、おれを選んでくれ、おれは、きみが誰を好きでも、きみを愛してる。きみが欲しい、他の女じゃ駄目だ、どうしても必要なんだ。だから……」
睡蓮の瞳から涙がこぼれた。
それは夢龍の手の甲へ、落ちた。
夢龍は睡蓮のあごを持ち上げて、自分のほうを向かせた。
夢龍は睡蓮に、ゆっくりと顔を近づける。
睡蓮は、彼がなにをしようとしているか察したけれど、抗わなかった。
むしろ、待ち受けた。
その瞬間を。
しかし、ふたりの唇が重なろうとした刹那。
「若様、どうかもう、そのあたりでご勘弁を」
護衛の男が、夢龍の肩を掴んで、阻止。
もう一人の護衛が、その隙に睡蓮を引き離す。
「この娘は、娼妓とは違いますので」
夢龍と、そう大差ない体格で、その背に睡蓮を庇って。
睡蓮と夢龍が部屋を飛び出した、そのとき。
女将が密かに目配せをして、彼らに後を追わせたのだった。
彼らは役目を、心得ていた。
そして今、毅然として、それを遂行した。
「……わかったよ、悪かった」
夢龍は、おとなしく引き下がった、が。
「睡蓮、いま言ったこと、本気だから!」
屈強な二人の男に挟まれて立ち去る睡蓮の背中に、叫ぶ。
睡蓮は、夢龍を振り返った。
立ち止まりはしなかったけれど。
護衛の男たちが、それを許さなかったのだ。
夢龍と睡蓮は、傍目には、引き裂かれる恋人たちのようにも見えた。
真実は、どうあれ。




