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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅡ(りょう担当)
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第三話

 悲しくて、悔しくて、何の力もない自分が・・・・。

 銀月は涙の流れるにまかせて、昼の喧騒がする雑踏をどこまでも走った。

 母のいない屋敷になどなんの未練もない。

 けれど、母が天に召された今、自分を気遣ってくれる人間がこの世にひとりもいなくなってしまった。

 

 銀月は璃安中心部を通り抜け、下町に入っても、どこまでも走り続ける。

 張り裂けんばかりの鼓動で心臓が壊れ、そのまま息が止まってしまってもよかった。

 この世でたった一人、銀月が愛した人が。

 この世でたった一人、銀月を愛してくれた人が消えてしまったのだから。

 そんな自分になんじょう、生きる意味があろうか。

 

 銀月だとてわかっていた。

 もう、母が長くないことも。

 いずれひとり取り残されることも。

 だから、その日が来ることを覚悟していたつもりだった。

 それでも  ――――――  。

 いざ、母が亡くなってみるとわかる。

 自分に何の覚悟もできていなかったことが。

 

 (ああ、そうだ!)


 唐突にひらめく。 

 なんのことはない。

 自分も母の後を追ってしまえばいいのだ。

 早春の今、タリム川は天山(てんしゃん)山脈の雪解け水をロプノールへたっぷりと注いでいるだろうから。


(いこう。ロプノール湖へ)


 そう決心した銀月がくるりと振り返ったときだった。 

 子犬の様に温かいものが銀月の懐に飛び込んできたのは。

 

『父さん!父さん!父さん!』


 犬の仔だと思われた金の髪の少女は、紫の両目にたっぷりと涙を溜めていて。  

 銀月の胸に痛いほどしがみつき、「父さん」と何度も繰り返す。

 ああ、もしかしたら、この子も父親を亡くしたのだろうか?

 自分と同じように・・・・。

 

『どうしたの・・・・?』

 

 だから、銀月は自分が死のうとしていたことも忘れ、思わず声をかけていた。

 彼女の様子が銀月と同じほどに悲痛だったから。

 けれど、彼女はまるで、父親をというより、一生を捧げた恋人に置いていかれたようにむせび泣いていた。


(まさか、こんな小さな子が・・・・)


 すぐさま、否定してみたものの、声を殺して泣く彼女の顔はまさに女で。

 母がふとした瞬間に浮かべた表情と同じもの。

 あんな冷たい夫であっても、母は心から父を慕っていた。

 父と明華の仲睦まじい様子を見つめる時の母は悔しいとか腹立たしいというより、己の力不足をこそ責めていた。


(・・・・まさかな)


 こんな小さな子供が“自分の力不足を責める”なんてこと、あるわけがなし。

 銀月は心の中で、盛大にかぶりを振った。

 汚れた泥のなかで美しい花を咲かせる(はちす)の花、といった態でいられる、母の如き人間はかなり稀なのだ。

 

 銀月がもう一度、『どうしたの?』と声をかけると、少女はおそるおそる顔をあげ、けれど、すぐに落胆したといったふう。

 おそらく、彼女は自分を受け止めたのが父親であればいいと、心底、願っていたのだろう。


 けれど、銀月はこの少女に不思議な縁を感じていた。

 母を亡くした日に出逢った、どことなく母を感じさせる少女。

 だから、銀月が三度(みたび)目にかけた声は少女へのいたわりに満ちていた。


『きみの名は・・・・?』

 

 少女はようやく銀月に視線をあわせると、ふるふると小さくかぶりを振る。

 

『きみのお父さん、死んじゃったの?』

 

 銀月の問いに、少女は大きくかぶりを振り、もう堪えきれないのだといった態で、声をあげて泣きじゃくる。


(ああ、そうか!)


 この界隈には妓楼が軒を連ねている。

 少女はおそらく・・・・生活苦にあえぐ父親に売られたのだろう。

 いや、彼女は妙に品がいい。落ちぶれた貴族が止むを得ず、といったところかもしれない。

 銀月はこの小さな少女の上に落ちてくるこれからの苦難を思わずにはいられなかった。

 だから、ふと気づいた時には彼女の背中に手を回し、ゆっくりと撫でさすっていた。少しでも、彼女の心の痛みが和らぐように・・・・。


 ―――――― どのくらいそうしていたのか。

 彼女の嗚咽が少し収まったのを潮に銀月は、おそるおそる声をかけてみた。


『あのね。わたしの母上も先ほどお亡くなりになったんだ・・・・』


 すると、少女はぴくりと顔を上げ、涙に濡れた顔で、じっと銀月を見つめた。

そして、そこに自身と同じ深い悲しみを見つけたのだろう、ようよう口を開いた。

 

『お兄ちゃんもお母さんが死んじゃったの?』


『ああ・・・・』


 吐息を吐くように銀月は答え ―――――― 。


『かわいそう・・・・』


 そう言われたとたん、とたん悲しみが込み上げてきて、銀月は少女を抱きしめたまま、一緒においおい泣きだしてしまった。

 まるで、小さな子供に戻ったみたいに。

 二人は通りを行く人々の好奇の視線も気づかずに、連理の枝の如くへばりついたまま、しばらく泣き続けた。

 銀月と少女は道の真ん中でひとしきり泣くと、ふいに顔を見合わせ、少しだけ照れて笑った。

 

やがて、運命の恋に落ちる二人の間に、最初に芽生えたものは恋心ではなく、親を同じ日になくしたという連帯感だった ――――――  。


『ねぇ、きみ・・・・』


どうしてか、銀月はどこか母の面影を宿した少女とこのまま別れてしまいたくなくて、自身でも思わぬ言葉を口にしていた。


『もし、きみに名前がないなら、わたしがつけてもいいかな?』


 銀月の提案に少女はしばらく考え込んでいたが、

『どういう名前をつけてくれるの?』と、おそろしく真剣な顔で訊ねてきた。

 

『ああ。「睡蓮」というのはどうかな?

 きみの瞳は睡蓮の花と同じ色だからね。

 それに・・・・睡蓮は亡くなったわたしの母上がとても好きだった花なんだ』


『睡蓮・・・・』


 少女は口の中で、「睡蓮」と何度も繰り返す。

 やがて、思い切ったように顔を上げると、

『睡蓮・・・・。とってもいい名前だと思う』と、小さな声で答えた。


『よかった・・・・』


 銀月はそういいしな、ほっと息を吐き、思いのほか自分が緊張していたことに気づいた。

 こんな、小さな少女に受け入れてもらえるかどうかがこんなに気にかかるなんて、我ながらどうにかしてしまったみたいだ。


『お兄ちゃん、素敵な名前をありがとう』


 “睡蓮”はそう言いしな、銀月を励ますように少しだけ笑い、ぺこりと頭を下げた。そして、小さな手で銀月の手を握り締めてくる。


 ああ、この子はなんて・・・・。

 自分だとて、父に置いていかれて辛いだろうに、こんなふうに誰かを気遣えるなど。

 銀月は睡蓮を遠い西国の天園にいるという神のお使いのようだと思った。

 そうだ!おそらく、彼女は自分を心配した母が寄越してくれた天使に違いない。


『睡蓮。いいかい?  

 わたしたちははもうひとりじゃない。

 わたしはきみの名づけ親で、きみはわたしの名づけ子だから。

 これからはわたしがきみの一番、近くにいよう。

 神に誓ってそう、約束するよ』


 銀月は自分が睡蓮と名づけた少女を抱き上げると、紫の瞳を真摯に覗き込んた。

 それは銀月が初めて、誰かを切実に守りたい願った瞬間であった。 

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