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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅡ(りょう担当)
10/66

第二話

 タリム盆地。

 広大なタクラマカン砂漠の東のはずれには彷徨える湖・ロプノール。

 ロプノールのほとりに栄えているのは蔡の国。

 首都は「璃安」である。

 その璃安中心部にある大きな邸宅に女がひとり、寝台に臥せっていた。

 長いこと病んでいるため、すっかりやつれてはいたが、女の儚い少女のような美貌はけして衰えていない。

 そして、その傍らにはひとりの少年。

 顔の相似からおそらく、二人は母子と思われる。

 少年は今にも泣き出しそうに母を見つめ、その腕にひしと縋った。


 ―――――― 女の最期の瞬間(とき)がそこまで迫っていた。


 だというのに、何故、彼女の傍らにいるのが息子だけなのか。

 何故、医者の姿ばかりか、召使いの姿さえないのか。

 そして、何故、屋敷の主は妻の臨終だというのに姿を見せないのか。

 そのうえ、病人を陽の当らない北向きの棟に住まわせるとは。

 養生に相応しい場所とはけしていえないだろうに。

 ましてや、彼女はこの家の太々(*4)。

 しかも、主・李水月リ・スウォルの正妻なのだから。

 

 けれど、彼女、劉月梅(リュウ・ウォルメ)(よわい)十五の幼さで、この家に正妻として嫁いで来たとき。すでに水月には妾・明華(ミョンファ)がいて。屋敷のすべては彼女によって牛耳られていた。

 月梅が李家に嫁した晩も。花婿である水月は彼女の元を訪れず。

 代わって新床にやってきたのは明華。

 彼女は単衣姿の月梅を、新参の召し使いに対するがごとく上から見下ろすと。

 

『待ち人は来ませんわ、少姐(シャオチェ*5)!

 わたくしと水月はすでに子をなした仲なんですもの。

 どんなに出自がよかろうと、あなたはお飾りの妻。

 これからも、水月の面倒はわたくしにお任せくださいませ。

 あなたはただ、ここにいて、生きていてくださればいいの。

 いいえ。半年が過ぎれば死んでくださってもかまいませんわ!』


 そう、(まなじり)を吊り上げて言いはなった。

 月梅は何が何やらわからずしばらく唖然とする。

 けれど、ようやく事の次第が呑み込めると、あまりの呪言(まがごと)の連続に身体がブルブルと震えだす。 

 月梅だとて女。

 未来の夫に淡い憧れを抱いていた。

 例えば、夫の背は高いだろうか。

 その胸は広いのだろうか。

 そして、彼は月梅の名を優しく呼ぶだろうか、などと。


 けれど、そんな少女めいた憧れも明華の言により、一瞬にして泡と消え果てた。

 少女はつと、自身の身体をかき抱く。

 恐れからでもなく、怯えからでもなく。

 同じ人間が他にここまで負の感情を向けられることに対して。

 いきなり、真冬の池に突き落とされたような心地で。

  

 明華はそんな月梅の様を鼻先でふふんと笑うと、

『覚えておいておかれませ』と、捨て台詞を残し、踵を返した。


 そして、それからは朝から晩まで話す相手さえなく。

 ただ、ただ、人形のように北棟でひとり、暮した。

 花婿である水月と(まみ)えたのも一月以上も経ってから。

 初めて顔をあわせた夫はまるで、義務だとでもいうように月梅をあわただしく抱くと、すぐに母屋に引き上げていった。

 明華が待つ自室へと ―――――――  。

 

 夫の背中を見送った月梅は思い知らされないではいられなかった。

 屋敷の女主人の座も、水月の寵愛もすべて明華のものであり。

 県正(*4)の姪という血筋も、夥しい結納の品も。嫁した彼女を「孤独」という檻から解き放ちはしないのだと。

 そして、その孤独は、銀月が生まれるまでずっと続いた。

 

 けれど、嫁して一年が経った頃、月梅は銀月を授かった。

 月梅は名を呼べば、振り返ってくれる存在を与えてくれた神にどんなに感謝したことか。

 と同時に、総領息子を産んだ月梅に対する明華の壮絶な仕打ちが始まる。

 嫁してから、日に二度の食事しか与えられてこなかった月梅だが、銀月を産むとそれさえもぱったり途絶えた。

 

(ああ、彼女は本当に、わたくしに死んで欲しいんだわ)

 

 それでも、乳の出の悪い自分の乳房に必死に吸いつく銀月を見れば、哀しんでばかりもいられなかった。

 ここで自分が負けてしまえば、この子も運命を共にすることになる。

 

(それだけは絶対にいや!)


 月梅は装身具や着物を少しずつ売り払い、自身と銀月の口腔をしのいだ。

 幸い、実家から連れて来た端女だけは月梅の味方だったから。

 彼女に持ち物を少しずつ売り払ってもらい、食物と換えた。

 そして、子供の成長は早く  ――――――  。 

 昨日、歩いたと思えば、今日は自分の名を呼び。毎日がめまぐるしく、そして、幸せだった。

 傍らにいる、丸くてとても温かなもの。

 宝物なんて陳腐な言葉では言い表せないほど。

 銀月は真実、月梅の全てだった。 


 真冬、炭櫃のない部屋で、二人抱き合って暖をとり。

 真夏、池で水浴びをする銀月のはしゃぐ声を聞き。

 春夏秋冬・・・・月梅は銀月の成長だけを楽しみに生きた。

 時折、明華というとびきり冷たい風にさらされはしたけれど・・・・。


 けれど、生来、身体が丈夫ではなかった月梅は砂山が長い年月、風に攫われ、姿を失くすように次第に床に臥せりがちとなっていき。

 銀月が十四の年には、寝台から起き上がることすらできなくなっていた。

嫁してからの、長期間の心労が彼女を肺病へと追いやったのだ。

 

 月梅は最後の力を振り絞って、我が子の頬を撫で。 


『幸せだったわ。神様のくださったぶんだけ・・・・。

 あなたのお父様の元へ嫁いで、あなたを授かって。

 だからお願いよ、銀月。お父様を恨まないで差し上げてちょうだい!』と、いい遺し、息絶えた。

  

『媽々(マーマ)・・・・!』


 銀月が絶叫する。

 母の骨が浮き、すっかり小さくなった手を握り締めて。

 

 璃安に柳絮が一斉に舞った日 ――――――  。

 銀月の母・劉月梅は三十年にも満たない短い生涯を終えたのだ。

 儚げな本当に柳絮のようだった(ひと)

 県正の血筋であり、李家の太々であるというのに、けして驕らず争いを好まなかった。

 父の妾、明華とは反対に・・・・。


 『バカやろう~~~~~~~~~!!!!!』


 経机に箱枕を叩きつけて銀月は叫んだ。

 自分達親子に無関心で、冷たい父に対して。

 妾のくせに驕り高ぶった明華に。 

 そして、一番腹立たしいのは子供でなんの力もない自分だ。

 銀月は椅子を振り上げ、室内の調度全てを粉々に叩き壊してから、屋敷を飛び出した。


(二度と、こんな屋敷、帰るもんか!)


 その言葉だけを心の中で、何度も繰り返しながら。



*4:太々(タイタイ) その家の正夫人

 中国では女性の地位はとても低く、正夫人以外は使用人とされた。

 なので、このお話の中での妾・明華は使用人ということになります。


*5:少姐シャオチェ

 お嬢さんの意。

 この場合、妾・明華は月梅を「劉太々」と呼ばねばならないので、月梅にとって最高

の侮辱の言葉となる。


 *6:県正

 今でいう県知事。この時代、一地方の「司法・行政・立法」の全ての権を握っていた。

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