【白でも黒でもない】14
朝陽が帰宅したのは暗くなってからだった。白色乗用車を呼ばずに公園から徒歩で家に向かったのだ。小さい体で歩くのは、かなり時間がかかる。
家のすぐそばにあるので嫌でも視界に入る中央公社を眺めて溜息を吐き、自宅マンションのエレベーターに乗る。
遅くなってしまったので藍美から怒られるかもしれないな、と思いながら玄関の扉に手をかける。
朝陽の手が止まった。
中から叫び声が聞こえるのだ。すぐに聴覚感度を上げる。聞こえてくるのは藍美の声のようだ。朝陽は急いで玄関の扉を開ける。
「この、最低男! 浮気者!」
藍美の背中が見えた。リビングの入り口で叫んでいる。
「うるせえな。浮気じゃねえよ。挿入てねえっつうの」
直輝の投げやりな声が聞こえる。朝陽はその場に立ち尽くす。
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題だよ。っていうかそもそも挿入られるようには出来てねえんだわ。こんだけ人間そっくりなのになあ鈴」
直輝の隣には鈴がいるらしい。鈴は「申し訳ありません直輝様」と言った。藍美が息を呑む音が聞こえた。怒りのあまり背中は震えている。
「そういう問題じゃないでしょ。不潔よ」
藍美が叫ぶ。
「だったら」直輝の声は乱れる様子がない。
「お前が相手してくれりゃ良かったんだよ。お前だって治験場に来る前には抱いてくれ抱いてくれってうるさかった癖によ。不妊治療が嫌だったのか、母親っていう肩書が欲しかったのか知らないけど、あんときのお前は必死だったわ。今思うと笑えるよな」
直輝は実際に「ははは」と笑って見せた。
朝陽は身体が硬直するのが分かった。何故か以前の相棒に殴られた記憶がよぎる。
「俺はお前に感謝される覚えはあっても、怒られる筋合いはない。だってお前、俺と結婚しなけりゃここに来ることも出来なかったし、妊娠も出来ない出来損ないだっただろ。ちょっと見た目が良かったから、俺の目に止まれただけよかったな。感謝しろよ」
藍美はすぐに「最低!」と言い返した。
「あんた本当、最低よね。私の見た目にしか興味がないことくらい、分かってたわよ。だけどね、こっちだって計算外! あんたが社長の馬鹿息子でなければ価値なんてないのよ。それなのにあっさりとんでもない失敗して親に勘当されてこんな治験場まで飛ばされて。みっともない。出来損ないはあんたでしょ」
藍美は叫び終えると、呼吸を整えた。はあはあと荒く呼吸をする度に肩が揺れるのが見えた。
「お前、俺の金好き勝手使ってた癖によくそんなことが言えるな」
直輝は声を少しだけ低くした。
「そもそもあなた」
藍美も低い声を出す。
「朝陽のこと、可愛いと思ったことある?」
直輝は「はっ」と鼻で笑った。
「可愛いわけないだろ。血も繋がってない機械片なんて。外見だけ俺とかお前に似てくるのも、気持ち悪いとしか思わなかったよ」
「なんてこと」
藍美は両手を口元に当てて、ひっと息を呑んだ。
「だってそうだろ。ついでに言うと、お前との関係も見てて哀れだったね。なんて滑稽なおままごとだろうってな」
直輝は「ははははは」と甲高い声で笑った。藍美はわなわなと震えている。
「全部嘘くさいんだよ。腹を痛めたわけでもない機械に尽くすふりして自分に酔ってるお前も、そう設定されてるから俺とお前を無条件に親だと信じ込んで接してくる朝陽も」
藍美は震える声で「朝陽の悪口を言うのはやめて」と言った。
「朝陽に罪はないでしょ」
藍美の訴えを聞いて、直輝はまた「ふっ」と笑った。
「そうかな。茶番に付き合う朝陽も悪いんじゃないか。だから藍美がどんどん酔っていく。朝陽は子供のふりをしているだけで、お前よりよっぽど優れた頭脳を持っているはずなんだよ。なのになんで弱者のふりをする? 俺らに守って貰わないといけない非力な自分を演じるんだ? 傲慢な態度だと思わないか?」
直輝はふん、と鼻で笑った。朝陽はぐ、と身体に力を込めた。
「それに、お前ももう飽きてるんだろ。母親ごっこに。だから毎晩毎晩遊び歩いてるんだろう。さぞかし格好良い男がいるんだろうな。もう寝たのか?」
藍美は何も言わない。直輝は畳みかける。
「だけど残念だったな。この治験場じゃ治験者同士の恋愛は禁止らしいぞ。お前は馬鹿だから、規約なんてきちんと目を通してないだろう。万が一人間の男を落としたとしても、治験場外退去になって可愛い可愛い朝陽ちゃんとは離れ離れだ。むしろそれを望んでるのか? だとしたら相当な策士だなお前は」
ははは、と直輝が高笑いした。藍美は「なんで」と言った。
「なんで朝陽は駄目で、鈴はいいのよ。鈴だって機械でしょ。あんたの可愛い可愛い鈴ちゃんは、朝陽とどう違うって言うのよ」
藍美は叫んだ。直輝は「うるせえなあ」と耳に手を当ててから「全然違うよ」と答えた。
「鈴、朝陽より圧倒的に知能レベルが低いぞ。明らかに会話のテンポが悪いときがあるだろ。お前、気付いてないのか」
「レベルが低い方がいいってこと?」
「そうだ。鈴には打算がない。ここでこう返しとけばいいんだろ、っていう擦れた部分が全然ない。ただ主人に尽くそうとする。職務に忠実なんだ。女特有の計算高さもなけりゃ、機械の傲慢さもない。泣けてくるぐらい可愛いだろ」
一度言葉を切って、直輝は続ける。
「少なくとも、藍美と朝陽よりよっぽど可愛い」
藍美は「出て行く」と呟いた。
「こんなとこ、出て行く」
そう言って藍美は振り返り、廊下脇の自室へ戻ろうとした。
「朝陽」と目を丸くし、「帰ってたの」と言った。朝陽の返事を待たずに「出て行くからね。朝陽も支度しなさい」と厳しい声で言いつけ、部屋の中に入った。
藍美の背中に隠れていた直輝と鈴と目が合う。
「達者で暮らせよ」
直輝は朝陽を馬鹿にするように笑い、傍にいる鈴を抱き寄せた。その胸元に顔を埋める。
「朝陽!」
藍美の叫び声で朝陽ははっとなり、直輝から目を逸らして自室へ走る。
机の上に並んだぬいぐるみを二体手に取ると、いつも使っているリュックに片方を詰めた。
入りきらない青いぬいぐるみを抱きかかえ、自室を出る。直輝はにやにやと朝陽を見ていた。




