【白でも黒でもない】8
野々村が専用個室で仕事をしていると、入り口の扉が急に開いた。
「所長」
「お疲れ様。いや立ち上がる必要はないよ。おもてなしもいらない。今凄く甘いものが食べたい気分だけれど。ああ失礼。今のは独り言だ」
野々村は「はいはい」と立ち上がり、冷蔵庫から徳用袋のチョコレートを取り出し、倖田に渡した。
「質より量ってわけか。いや私に文句を言う資格はない。部下の好意は素直に受け取るとしよう」
倖田はチョコレートの袋にがさがさと手を入れながら、野々村の方へと歩く。
途中野々村の脇に控える卵型の機械の頭を撫で「今日も可愛いな」と言った。卵型の機械はちかちかとピンク色に光って倖田に返事をした。
空いているパイプ椅子に腰掛けて「さて。そろそろ本題に入ろうかな」と言い、チョコレートを口に入れた。
「悪くないね」
「それで」
野々村は倖田の方を向いて座り、話の続きを催促した。
「どうしたんですか」
「家藤藍美が、頻繁に外出しているのを把握しているかな?」
「ええ。まあ」
野々村は頷いた。先日、藍美本人から「朝陽が少し大きくなってきたんで、外出する機会が増えたんですよね」と申告を受けてもいた。
「そこの、美容師機械が非常にお気に入りらしいね」
「そうなんですか」
野々村は配属している美容師機械を思い浮かべた。
男女一体ずつの配置で、三十代前後の外見を採用していたはずだ。
「毎回プレゼントを貰うと報告は上がっていたけれど、特に問題視はしていなかった。だから見逃していた。そうだね野々村くん?」
からかうような口調に、野々村は嫌味を言われているのかもしれないと気付いた。
毎日大量に届く報告書は、野々村一人ではさばき切れていない。
助手機械が重要項目を逐一野々村に報告してはいるが、補い切れてはいないようだった。
「そうですね。見逃していました」
野々村は頷いた。倖田は「そうだろうとも」と返した。その口元は笑っている。
「で、さっき、美容師機械から報告が上がっているよね? 藍美がメッセージカードを残して行ったと」
野々村は目の前のパソコンを操作して新着の報告書一覧から倖田が話している美容師機械の名前を探した。未読フォルダの中に該当報告書を見つけて開く。
「これですね」
添付された画像を開く。小さな紙にピンク色の文字が躍っている。
「さあこれはなんだと思う?」
倖田は嬉しそうな声を出して野々村の後ろからパソコンの画面をのぞき込む。英数字が並んでいて、最後に『気が向いたら連絡ください』と書かれている。
「ちっちっちっ……」
倖田が指を振る。
野々村は少し考えて「何かの暗号ですか」と口にした。
「暗号。そう、言い得て妙だ。これは恋の暗号。解いてもらうのを待っている」
倖田は天井を向いて目を閉じた。左手を左胸に当てて、固まっている。
「所長。大丈夫ですか」
野々村が声をかけると「まったくノリが悪い」と言い、元の体勢に戻った。
「これは藍美の、メッセージアプリのアカウントIDだ。つまり個人的に連絡しましょ、っていうお誘いなんだよ。これで野暮で唐変木な野々村くんにも理解出来たかな」
「唐変木って実際に口にする人、初めて見ました」
「君の初めてを貰えて嬉しいよ」
ウインクをした倖田を無視して、野々村は報告書に目を通す。
「返事をしていいかどうか、指示を待っていますね」
治験場内の通信は、すべて記録されている。外部に情報が漏れないよう、内容によっては通信も制限される。当然藍美のメッセージアプリのやりとりも、その対象である。
「返事してみて、って指示しようと思ってるんだよね」
野々村が目を丸くする。
「しかし、それは」
「まあ、いいじゃない。藍美もお気に入りの機械とお話出来るし、機械も治験者と業務外接触をすることで成長する部分もあるだろう。藍美がメッセージの先に何を望んでいるのか、興味があるんだ。面白そうじゃないか」
野々村は「そうですか」と返事をした。倖田がそうだと言うのなら、そうなのだろう。
「だからちょっと、注意して見ておいて欲しい。言うまでもないだろうけど、報告書の見落としは厳禁だ。たとえどんなに忙しくてもね」
野々村は真顔で「もちろん」と返した。
倖田は「頼むよ」と言い、チョコレートの袋を持ったまま、野々村の専用個室を出て行った。
野々村は卵型の助手機械にチョコレートの補充をしておくように指示を出した。




