【あなたと私】24
樹が帰って来たとき、このみはすべてを知っていた。樹の過去も、追いかけて行った悠真と樹がどんな会話を交わしたかも。
「ただいま」
殴られて変形した頬を撫でながら、樹は言った。
「おかえり」
このみは樹の正面に立ち、背中に手をまわして樹を抱き締めた。それから、身体をゆっくりと離す。
「もう、帰って来てくれないかと思った」
このみが悪戯っぽく笑うと、樹は「振られたんだ」と肩をすくめて言った。
「仕方ないから帰って来た」
このみは「じゃあ仕方ないね」と言ってくすくすと笑った。樹も息を吐きだしながら「ふ」と笑った。
ダイニングの椅子に向かい合って座り、しばらく互いに何も言わなかった。無言の空気は、特に苦痛ではない。
「これ」
樹がポケットから取り出したのは、三センチ四方の紙袋だった。
「お土産」
このみは「ありがとう」と言って受け取り、袋を開けた。中には少しだけ白濁した透明な石がついたイヤリングが入っていた。
「おお」
このみはイヤリングを手のひらの上に乗せた。角度を変えると、イヤリングは光の反射で表情を変える。
「可愛いー! 嬉しい!」
イヤリングをぎゅっと握り締め、嬉しい感情を噛み締めた。樹は優しく微笑んで、このみを見つめる。
「このみ、俺は」
樹は一度言葉を切った。
「楓子に、選んで貰えなかった」
このみは頷いた。
悠真が家を出た直後、倖田から映像の干渉番号が送られてきた。添付されていたのは、樹が樹になる前の相棒との記録だった。
このみは誰もいない部屋で相棒達のことを見ていたし、樹のこれまでを知った。
倖田は本当に番号と資料を送って来ただけで、理由を述べることはなかった。
「そうみたいだね」
このみは笑顔を作って見せた。樹の顔から悲しい笑顔が消えて、辛く苦しそうな表情になる。
「俺は結局なんの為にいたんだ。調子に乗って期待して、本当に駄目な機械だ」
暴走して樹に攻撃を続けた悠真に、樹が止むを得ず反撃をしようとしたとき、楓子が止めた。
「やめて! あたしの悠真に乱暴しないで!」
樹はその言葉を聞いて、振りかざしていた右手を下げた。
言語処理能力が下がり「楓子を返せ」としか言わずにひたすら樹に殴り掛かっていた悠真を抱き締めて、楓子は「悠真、ごめんね。あたしが悪かったよ」と泣いた。
楓子は自治機関から到着した機械に中央公社に連れていかれた。
去り際に楓子は「ごめんね。悠真にはあたししかいないみたいだから」と樹に言った。
樹は黙って楓子の肩を借りて歩く悠真の背中を見送ったのだ。
「樹は駄目な機械じゃないよ。私の大事な相棒だもん」
「でも俺は最低な機械だよ。相棒の悠真を裏切ろうとした。」
このみは唇を噛み締める樹をしばらく見つめた。
「私はあんまり偉そうなこといえないけど」
このみの言葉に、樹は少しだけ視線を上げた。
「相棒失格かどうか決めるのは、樹じゃなくて楓子だと思うけどな。自己評価ってあてにならないものらしいから」
樹は「ふ」と笑った。
「お前は本当にお人好しだな。俺のせいでお前ももう楓子の友達になれないぞ。相棒解消だ」
このみは「そうだねえ」と呑気な声を出した。
「もう友達だとは思って貰えてないかもね」
こちらは友達をやめたつもりはないが、楓子はきっともうこのみと会いたくないであろうことは想像に難くない。
「じゃあ、代わりに樹が私の友達になって」
「は?」
樹は驚いた顔をした。
樹の人工知能内は、このみには分からない。分からなくてもいい。
このみは構わず続ける。
「私は友達が欲しいの! 役に立つとか、そういうんじゃなくて、いざというときに世界を一緒に救う友達が!」
拳を握り、力説した。それから肩を丸めて小さくなり「駄目?」と上目遣いで尋ねる。
樹はすぐに返事をしなかった。しばらく真顔でこのみを見てから、「はあ」と溜息を吐いて冷たく返した。
「重い」
「え?」
「俺は恐竜時代にも他の惑星にも地底にも天上にも行かないぞ」
「え! なんで!」
このみは驚いた。樹はこのみの大好きな漫画の長編シリーズの話を知っている。このみからあらすじや設定を伝えたことはなかったのに。
「お前があんまり好きだって言うから、ちょっと借りた」
樹は視線の先をこのみの部屋に向けた。このみは「読んだの?」と興奮して立ち上がり「面白かったでしょ!」と言った。
「まあまあ、かな」
樹はそっぽを向いて頭をぽりぽりと掻いた。
このみは「じゃあさ、じゃあ」とテーブルに手を付いて身を乗り出した。
「世界救うのは諦めよう!」
「諦めるのかよ」
「あれはあの子達にしか出来ないからね」
「そりゃそうだ」
樹は呆れたいつもの顔で笑っている。
「ねえだから私と友達になって。喧嘩して仲直りして一緒にアイスクリームとか分け合おうよ」
「面倒臭いなお前」
「お願いします!」
このみは目を閉じて樹に右手を差し出した。樹は聞こえるように溜息を吐き、その手を握った。
「樹……!」
このみが目を輝かせると、樹は「勘違いすんな」と言った。
「喧嘩も仲直りもアイスクリームの分け合いっこもしない。世界も救わない。でもときどき思い出すくらいのことはしてやる」
このみは「ありがとうございます!」と頭を下げた。
「お前はいちいち大袈裟なんだよ」と樹は笑った。
それから二人は荷造りをして、楓子と悠真が中央公社から戻る前に家を出た。
悠真は記憶消去と再記録を受け、楓子との生活をやり直すことになった。
緊急警報に基づいて暴力行為を行った記憶は、人工知能に多大な負荷をかけてしまうのでやむを得ない。楓子はすぐに了承し、とにかく悠真とやり直したいと語ったと言う。
倖田研究所に戻ってからは、このみと樹が会えることはなかった。
このみはすぐに外見を変えられ、新たな治験者の相棒となる任務を言い渡された。
新たな外見を得る際に、記憶の消去について尋ねられた。望むのであれば、前治験者との記録を消去することも可能だという。
このみは即座に断った。うまくいかなかったとはいえ、このみであった日々はこのみにとって失いたくない大切なものであるからだ。
治験者の待つ面談室までの廊下を歩き、扉の前で立ち止まる。深呼吸をして、左耳に付けた小さなイヤリングに触れる。気合を入れて、扉に手をかけた。




