【朝が来る】4
絵里は洋二の歩幅に合わせて歩いた。追い越さず、遅れもせず、常に横に並ぶ位置を保つ。
洋二はきょろきょろと周囲を見渡して落ち着かない。
聴覚感度を上げて心音を聴く。明らかに拍動が早い。緊張しているようだ。
倖田研究所では、人間に仕える機械を相棒と呼んでいる。
絵里はこれまで人工知能の習熟の為に複数の職に就いてきたが、相棒になるのは初めてだった。
人間の行動の一つ一つが、予想行動集にない反応ばかりだった。咄嗟の判断が何度も求められた。今後の為に、洋二の緊張時の心拍数や行動を記録した。平時と比較する情報となる。
倖田研究所の入るビル、中央公社を出てから十分ほど経っていた。あと五分ほどで洋二と絵里の家に到着する。
家のすぐ傍にある商店街で、洋二の歩く速度が緩んだ。
機械がそれぞれ売り込みをしている。客はほとんどいなかった。
この島で働いているのは全て機械だ。説明を受けた洋二は興味深そうに機械を見たが、立ち止まることはなかった。
島の南側のエリアは戸建て住宅の立ち並ぶ家族用住宅街だが、ほとんどの家は空き家だった。家族用住宅街に限らず、この島の住居のほとんどは空き家だ。治験者の受け入れは始まったばかりだ。
青い屋根の家の前で、絵里は立ち止まった。
ポケットに入っている鍵を取り出し、玄関を開ける。家具も家電も設置済みだ。靴箱の中には絵里の靴が数足既に用意されている。
洋二が深呼吸をしたので「どうしました?」と尋ねた。
「ええと、新築の匂いって、こういうもんなんだね」
洋二が照れ臭そうに笑ったので、絵里も表情パターンを笑みにして応じた。洋二の心音は、少しずつ落ち着いて来たようだ。
家の間取りを洋二に把握させる為、各部屋を覗いた。寝室にベッドが一つしかないことに洋二は驚いていたが、絵里が「嫌ですか?」と問うと勢いよく首を横に振った。
「事前説明の通り、同居支援には生活介助、情緒支援、それに性的支援も含まれます」
絵里は洋二の表情変化を確認し、理解が追いついていないと判断して説明を補足しなかった。現時点での理解は必須ではない。
絵里は洋二の妻として設計された相棒機械だ。洋二の性処理も業務範囲に含まれる。
家具と家電は揃っているが、冷蔵庫の中には何も入っていないし、洋二の着替えもない。洋二の手持ちの荷物の中にも、ボロボロのスウェットが一組しかないのだと言う。絵里は買い物に行くことにした。洋二にそう伝えると、「一緒に行く」と言った。
家の前から白色乗用車に乗り、島の北側にある商業施設に向かった。
窓の外を興味深そうに見つめる洋二に、治験場独自のルールを少しだけ説明した。同居支援の詳細は中央公社の福祉基準に準拠している、と絵里は付け加えた。
「白い車はタクシーで、紺色はバスです。緊急車両は赤色で、それ以外は私用車です」
「へええ」
「ちなみにこの治験場では機械以外の運転が禁じられているので、洋二さんが希望された場合も私用車を運転するのは私です。島外の免許の有無を問いません」
「ええと、大丈夫。俺、免許持ってない。以前持ってたんだけど、取り消しになったから」
「そうですか」
「ええと、ということは」
洋二は身を乗り出して、白色乗用車を運転する人間型機械の横顔を覗き込んだ。
「この運転手も機械なの?」
洋二はじろじろと角度を変えて、運転手のことを観察する。運転手は「はい」とだけ返事を返した。絵里が説明を引き継ぐ。
「ええ。人間のお相手をする機械は皆、外見を人間に寄せてあります。この治験場では人間と機械が違和感なく共存することを目指している為です。少しでも人間が不愉快にならないようにとの配慮なのだと聞いています」
「すげえ。全然機械っぽくないね」
洋二の頬が紅潮し、声のトーンが上がった。その様子をログに残しながら絵里は「ただし」と付け足した。
「人間と同居する相棒機械に比べると人工知能の成長度合が低いです。所掌業務以外の質問や要望に関してはお応え出来ませんので、注意してくださいね」
「ええと。成長すると、絵里、さんみたいに完璧になるってこと?」
絵里は洋二を見て、表情選択を笑顔にした。
「絵里、でいいですよ」と言うと、洋二は絵里から目を逸らし、視線を泳がせた。心拍数が上がっているのを絵里の聴覚が捉える。反応動作は誤差許容範囲内と判断した。
白色乗用車を降りる時、運転席と後部座席の間の端末にカードを差し込んだ。初回外出は治験中の経費扱いだ。料金は倖田研究所宛てに請求されることになる。
カードを抜き、先に降りた洋二を見る。洋二は運転席のドアから、運転手に声をかけた。
「あの、ええと」
言いながらごそごそと尻ポケットを漁り、財布を取り出す。
「これ、チップ。少ないけど」
「洋二さん、別にそんな」
洋二の方に足を進めながら声をかけたが、洋二は首を横に振り、反応出来ずにいる運転手の手に何かを握らせた。
「ええと、俺の自己満足だから。ありがとう。運転、上手だったよ。仕事、頑張ってね」
早口で告げて、洋二はそそくさと商業施設の方へ行ってしまった。絵里は「待ってください」と洋二を追いかけた。運転手の方を振り返る。
運転手は先ほど握らされた五百円玉を、じっと見つめていた。




