【朝が来る】16
「女性関係のトラブルの末に口論となり──」
アナウンサーが読み上げる内容が、洋二の頭の中に染み込んでいく。
そんなトラブルがあったなんて、全く知らなかった。
「洋二さん? どうしました?」
食器を洗い終えた絵里が、洋二の隣に座った。返事がないのを不審に思ったのか、身体を前に屈め、洋二の顔を覗き込む。
「つ、捕まったんだって」
「何がですか?」
「あの、俺のことクビにした親方を殺した犯人」
「え」
絵里はテレビに視線を移す。しかしアナウンサーはもう別の話題を報じていた。
「なんか、なんか、さあ」
自治機関で受けた事情聴取を思いだした。洋二を疑っていたあの機械は、この結末をどう受け止めたのだろう。あの威圧的な声と態度。洋二は未だにあのときのことを、鮮明に思い出せる。
ずきん、と頭が痛んだ。先ほどまで沈黙していた頭痛の種が、一気に発芽してしまったかのように激しく洋二を揺さぶる。目を閉じ、頭を押さえた。
「洋二さん?」
絵里が恐る恐る、といったように洋二の肩に手を触れた。洋二は思わずその手を振り払った。
「触るな!」
叫ぶとまた、余計頭が痛くなった。
野々村に言われた言葉が蘇る。「速やかに罪を償うことをお勧めしますよ」。彼もまた、洋二を信じてはくれていなかった。
やってもいない事件のせいで、洋二はこれほど心を痛めている。誰もそのことに興味なんてない。
「大丈夫ですか?」
絵里の声がした。返事をしようとして、顔を上げた。洋二の頭の中で、ぶつっ、という音がして、酷い眩暈に襲われた。洋二は立っていられなくなり、膝からどさりと崩れ、倒れた。
洋二が目を開けると、薄暗かった。目を動かそうとしただけで頭が痛む。ずきん、と痛む頭を抱え、思わずまた目を閉じた。
「洋二さん」
洋二はゆっくりと目を開く。横から覗き込む絵里の顔が見える。泣きそうな顔をしているように見えた。
「医療機関に」
「いい。……誰にも何も決めつけられたくない」
洋二は即座に否定した。それから「あの、さあ」と絵里に話しかける。絵里は「はい」と返事をした。
「俺、俺って、どうしてこんなに駄目なんだろう。なんか、いっつも、うまくいかないんだ」
「洋二さん」
「俺、ね、頑張ってるつもりだったんだ。でも、俺、誰にも認めて貰えなくて、俺の成功を願ってるやつなんていなくて」
意識が朦朧として、目が閉じていく。それでも洋二は話をやめない。
「でも、俺、やり直そうと思ったんだよ。あの、絵里と、一緒に、頑張ろうって思ったんだよ」
洋二の目尻から涙が流れる。こめかみをつたって、下に落ちた。
「絵里」
「はい」
「ごめん」
「俺、最後に絵里と暮らせて、幸せだった」
「洋二さん」
「あの、迷惑ばっかりかけて、ごめん、な」
絵里が洋二に抱き付いた。洋二は目を開けて、最後に絵里の姿を視界にとらえようとした。そのときまた、洋二の頭の中で、ぶつっ、という音がした。
洋二の視界が真っ赤に染まった。それから一瞬で、真っ暗になった。目を開けているのに、眼球の情報が全く目に入ってこない。ただ頭が割れるように痛い。そして、体に力が入らない。
「絵里……! 絵里、そ、こにいる、か」
洋二はからからの口をどうにか動かして、囁くほどの声で絵里を呼んだ。ほんの小さな声だったけれど、絵里は正確に聞き取り「はい、ここに」と答えた。
「もっ、と、そ、ば……に……」
洋二は絵里の方に手を伸ばす。暗い世界は暗いままで、頭は割れるように痛い。
絵里は洋二の手を握り「ここにいますよ。洋二さん。聞こえていますか」と言った。
返事をしたいのに、声が出ない。ただ、安心した。洋二はもう一人ではないのだ。胸の奥がじわりと暖かくなった。
「迷惑をかけたのは、私の方です。私が相棒でなければ、洋二さんはもっと幸せだったかもしれません」
違う。そうじゃない。洋二は絵里に伝えたかった。
「あ、う……」
言葉にならない言葉を、洋二は発した。今自分が何を言おうとしたかも、よく分からない。頭が痛い。とにかく苦しい。
「私も、洋二さんと暮らせて良かったです。本当は、もっと一緒にいたかった」
洋二が口元を動かして、何かを伝えようとした。
世界が真っ赤になった。そして、洋二の世界は終わった。




