【朝が来る】13
口から心臓が出そうなほど緊張した。身体がアルコールを欲しているのが分かった。じわじわと冷や汗が滲み、背中はもうびっしょりと濡れていた。
「なんの御用でしょうか」
面談室に現れた野々村は、いつも通り愛想笑いの一つも浮かべず、洋二を迎えた。
洋二は口を何度かぱくぱくと動かしたあと、ようやく「あの」と言葉を発した。
「あの、ええと、その、ですね」
「なんの御用でしょうか」
要領を得ない洋二の言葉を聞き、野々村はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「ええと、あの、絵里のことなんですが」
「はい」
「あの、ここに、戻ってきていませんか」
言ってから、洋二はしまったと思った。
もしも倖田研究所に戻ってきていなかったら、という可能性を今まで全く考えていなかった。しかし、幸い野々村は「いますよ」と返事をした。ひとまず洋二は胸を撫でおろした。
「あの、俺、絵里さんにとんでもないことをしてしまって、謝りたくて、その」
洋二が続く言葉を探して目を左右に泳がせていると野々村は「とんでもないこと」と繰り返した。
「それはうちの大事な機械に暴力を振るったことですか。それとも研究用に調整された相棒機械を、家事道具や性処理具のように使い潰したことですか。話を信じようともせず、自分の都合だけを押し付け続けたことですか」
洋二は何も言えず、黙ってしまった。
「謝って、どうするのですか。謝ればあなたのしたことが消えてなくなるとでも?」
野々村の口調は平坦で、表情も変わらない。洋二をじっと見つめ、話の続きを促した。
「ええと、そ、その、ぜ、全部です」
呟くように、洋二は言った。
「で、でも、絵里がいないと駄目なんです。自分勝手なのは分かってます。でも、あの、絵里を返して貰えませんか」
洋二は「お願いします」と頭を下げた。
「うちの機械はあなたの所有物ではありません」と野々村は口を開いた。
「あなたはあくまで治験者であり、うちの機械はあなたの相棒です。返す返さないの話の出来る道具ではありません。本人の意思であなたのもとに戻りたくないのなら、僕はそれを尊重します」
洋二の頭の奥で、あの頭痛の種がまた疼きだした。痛みをこらえて「でも」と食い下がる。
「ええと、ならせめてもう一度、あの、話だけでもさせてください」
「話をして、どうするのです。脅すのですか。人間の役に立ちたいという機械の根幹の部分に訴えて、また言うことを聞かせるのですか」
「あの、ええと、そうじゃなくて」
洋二は一度言葉を切り、必死に考えた。自分は、絵里に会って、どうしたいのだ。何をするつもりなのだ。野々村の視線を感じながら、目を閉じて考える。
「あ、謝りたくて」
「謝る?」
「も、もし許して貰えないのなら、仕方ないです。あの、そうなれば俺は解雇、ですよね?」
「まあ、そうなりますね」
野々村はあっさりと認めた。
「そ、そしたらもう二度と会えなくなるから、駄目だったら仕方ないですから、一回だけ、あの、チャンスを貰えませんか」
野々村が腕を組んで洋二を見る。洋二は「あ、会いたいんです。お願いします」と頭を下げ、額を机にこすりつけた。
野々村の白衣の胸ポケットで、スマートフォンの通知音がした。スマートフォンを取り出した野々村は画面を一瞥すると「分かりました」と返事をした。
「この部屋にはカメラがありますから」と言いながら立ち上がり、「見られて困ることはしないでくださいね」と言い残して部屋を去った。
十分ほど待っていると、部屋の扉がノックされた。洋二が緊張して視線を送ると、扉は静かに開いた。そこに立っていたのは、絵里だった。
「え、絵里」
絵里は何も言わず、先ほど野々村が座っていた椅子に腰掛けた。
「あの、その、本当にすまない」
洋二は頭を下げた。絵里は何も言わずにじっと洋二を見ている。
「お、俺、調子に乗っちゃって。今まであんなに俺のこと大事にしてくれる人間っていなかったから。あの、嬉しくて、甘えちゃって。だからって殴ったり蹴ったりして、いいわけないのに。ほ、本当にごめん」
絵里の沈黙が怖くて、洋二は必死に喋り続ける。
「ゆ、許して貰えないなら仕方ないんだけど、あの、俺は本当に、絵里が好きなんだ。俺には絵里じゃなきゃ駄目なんだ。い、一緒に居て幸せだったんだ。本当だよ。俺、俺、馬鹿だからあんまり言葉にするの上手じゃないけど、その」
洋二は顔を上げ、絵里の目を見た。
「あの、絵里が俺の手を取ってくれたとき、俺は絵里に会う為に生まれてきたのかもしれないって、思った。大袈裟かもしれないけど、でも、その、俺は絵里と一緒に居たいんだ。だから、ええと、か、か」
最後の言葉に詰まる。そんな自分が腹立たしい。深呼吸をして、もう一度口を開く。
「帰って来てくれないかな。もう絶対に、殴ったりしない。え、絵里のこと絶対に大事にする。頼むよ」
洋二は言い終えて、俯いた。絵里の顔を見るのが怖かった。拒絶されたらどうしようと、心臓が激しく鳴っている。頭の芯までその拍動に支配され、全身が揺れる。
「本当ですか」
絵里は小さな声で、洋二に尋ねた。
「本当に、もう一度、私とやり直そうと思いますか?」
私という言い方が、胸の奥にひっかかった。洋二は顔をぶんぶんと縦に振った。少し眩暈がしたが、構っている余裕はない。
「え、絵里じゃないと駄目なんだ。俺は」
絵里は頷き「それなら」と言った。
「私のお願いも聞いてくれますか?」
「な、なんでも聞くよ」
絵里は一度微かに視線を泳がせてから、洋二の目を見て口を開いた。
「私に、洋二さんの過去を聞かせてくれませんか。私はもっと洋二さんのことを知りたいです」
洋二の目頭が熱くなった。
「あんまり、面白くないよ」
「それでもいいんです。洋二さんしか知らないことを、私だけに教えてください」
洋二の視界が滲む。
「うん、うん。本当にごめんな。ごめん」
本格的に泣いてしまった洋二の横に寄り添い、絵里はその背中をゆっくりと撫でた。




