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【朝が来る】10

 洋二の暴力は、日常的なものに変わっていった。

 最初は頬、次は頭、そして腹。どこを殴られるのか、絵里は高確率で予測出来るようになった。

 絵里が優しい態度を取っても、何も言わずなくても、洋二は何かにつけて文句を言い、最終的には絵里を殴る。

 絵里はどうにか洋二との関係を修復したいのだが、どうも洋二の思考の根幹にある人間不信がその邪魔をするようだ。

 何度も「どうせ俺のことなんか」と口走る。洋二は苦しんでいるのだ。絵里は洋二の精神的動揺を改善させる必要があると判断した。

 洋二のこれまでの行動パターンや発言内容を幾度も精査し、絵里は一つの仮説にたどり着いた。

 洋二は絵里に甘えているのだ。

 酒の力を借り、それでようやく本音を言えるようになって、これまでうまくいかなかった人生の理不尽さを絵里にぶつけているのだ。

 洋二には絵里がいないと駄目だ。絵里は洋二にとってなくてはならない存在になったのだ。その証拠に、洋二は暴力を振るった後は、人が変わったように絵里に優しくなる。気遣う言葉をかけ、許しを請う。

「俺のこと、嫌いになっただろ?」と上目遣いで問い、絵里が否定するとほっとした顔をする。

 洋二は自分に嫌われたくないと思っている。自分の存在意義は、まだ失われていない。

 絵里は自分の判断や行動は間違っていないと判断した。


「それで自分の身を差し出しているわけか。うーん感動的だ。素晴らしい相棒(パートナー)愛だな」

 倖田は芝居がかった口調で言った後、手の甲で涙を拭うふりをした。もちろん倖田の目には涙など浮かんでいない。

「治験者自身も体調を崩しているわけだし、あとは待つだけ。万が一壊れても、人工知能さえ無事ならば新しい機体(ボディ)に移せば済む。そう考えた上で献身的な解決策を実践しているということか。なるほどねえ」

 倖田は「面白い」と呟き、嬉しそうに笑った。

 絵里は反論せず、黙って倖田の話を聞いた。

「確かにあのままではきっと長くないだろう。野々村からもそう報告を受けている。治験者()は健康に相棒(パートナー)と長生きすることよりも、欲望のままに儚く散ることを選んだんだな。きっと聡明な君のことだから、医療機関に行くようにと勧めてはみたんだろう? そして断られた。そうだな?」

 絵里は「はい」と返事をした。

 洋二の体調があまり芳しくないことはもちろん絵里も理解している。現状を本人に自覚させようと、医療機関での検査を勧めたこともあった。しかし洋二は首を縦に振ることはなく、慢性的な頭痛と倦怠感を、アルコールで抑えられると信じているようだった。

「もちろん危険域に入れば介入する。だが軽度の衝突まで止めれば、この治験は成立しない。君も分かっているはずだ」

 倖田は早口で続ける。

「まあ、所長(わたし)の立場から言わせて貰えば、自分が手塩にかけて作り上げた可愛い可愛い機械(ロボット)が、愚かな治験者如きに危害を加えられていることが気に入らない。暴力というのは、あまりにも原始的な交流手段(コミュニケーション)だ。なんとも野蛮だね」

 絵里は何も言わず、倖田の目から視線を外した。そして話しながら動き続ける倖田の手元を見た。

「暴力で支配しようとする治験者がいる、という情報(データ)はもう十分だ。そろそろ次のステップに進もうか」

 人差し指を立て、頬に付けた。そしてウインクをして、倖田は続ける。

「過去の傷に(とら)われて、暴力を振るうことでしか自分を表現出来ない治験者を、相棒機械(パートナーロボット)はどのようにして救うことが出来たのか。感動の結末を期待しているよ」


 白色乗用車(タクシー)に乗っている間、洋二は静かだった。何も言わず家に入り、後に続く絵里が玄関の扉を閉めたところで、急に表情を変えた。

「お、お前、俺に暴力を振るわれてるって、告げ口しただろう!」

 言いながら絵里を突き飛ばした。絵里は玄関の扉に背中を打ち付けた。

「いえ。していません」

「だ、だったらなんであんな注意を受けなきゃいけないんだ! 倖田研究所(うち)の大事な機械(ロボット)に手を出さないでくださいとかなんとか抜かしやがって! お、お前は俺の女房なんだろ! だったら俺のもんだろ!」

 洋二は足を上げ、絵里を蹴った。腹部のあたりに当てた足に、洋二はぐぐぐ、と力を入れた。扉と洋二の足に挟まれて、絵里の腹部が圧迫される。

「私は、何も」

 絵里が否定すると、洋二は足を下ろして絵里の頬を殴った。

「う、嘘吐き! お前は俺じゃなくて研究所員(あいつら)を庇うのか!」

 洋二が叫び、また拳が飛んでくる。

 倖田の顔が浮かんだ。

 次のステップに進むには、今のままではいけないのかもしれない。

 絵里は洋二の拳を手のひらで受け止めた。

 洋二が戸惑った一瞬の隙に、玄関の扉を開け、外に逃げ出した。

 そうする必要があると判断した。

 最大出力で疾走した。

 後ろから洋二の声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。


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