第8話 モテ期到来!?
朝の光が、店を照らしていた。
「よいしょっ」
ミナが、元気に箒を動かしている。
尻尾が、リズミカルに揺れていた。
「ユージ、ここも拭いた?」
「ああ、さっきな」
「えへへ、あたしも手伝う!」
ミナが、雑巾を持ってくる。
その時――
カランッ
「おはようございますにゃ♡」
リーネが、優雅に入ってくる。
「あ、猫」
「おはようございますにゃ、犬さん」
「だから狼!」
ミナの耳が、ぴんと立つ。
「まあまあ、二人とも」
俺が、間に入る。
「リーネも、準備手伝ってくれるか?」
「もちろんですにゃ♡」
この数日で、すっかり手伝いが板に付いたリーネが、微笑む。
そして――丁寧に、カウンターを拭き始めた。
お客が来てくれているので、ミナとリーネにもそれなりの手当を払うことが出来る。
正直、この世界の常識には疎いし、施術にだけ専念できるのはありがたいかぎりだ。
「……綺麗好きだな」
「猫ですからにゃ」
リーネが、くすっと笑う。
その仕草が――なんとも、優雅だった。
開店時刻。
――カランッ
「おはようございます!」
――客が、入ってきた。
カランッ、カランッ。
また、客が来る。
「今日も、多いな……」
俺は、店内を見渡した。
すでに――五人ほど、待っている。
店内に待機用の椅子を並べてくれたのはミナのアイディアだ。
俺は、前の世界でも店はやっていたが、そもそもお客が来なかったのでウェイティングスペースの概念がなかった。
――いってて情けなくなってくるな。
「ユージさん、頑張ってくださいにゃ♡」
リーネが、俺の腕に――抱きついてきた。
柔らかい感触が――
「え……ちょ……」
心臓が、バクバク鳴る。
「応援してますにゃ♡」
潤んだ瞳で、見上げてくる。
(まずい……これは……)
顔が、熱くなる。
(42歳のおじさんが、こんな……)
「ちょっと!」
ミナが、リーネを引き剥がす。
「ユージに触るな!」
「あら、独占欲ですかにゃ?」
「う、うるさい!」
ミナの顔が、真っ赤になる。
「お、お客さん、お待たせしました……」
俺は、慌てて施術台に向かった。
(……賑やかだな、本当に)
施術が、始まる。
ベッドに座っているのは、狐族の女性だ。
どこかで見たことがあると思ったら――近所の酒場の看板娘だった。
妖艶な雰囲気と、艶やかな笑顔が印象的な人だ。
「服は脱がなくていいんですか?」
「ええ、少し特殊な技術ですので、そのままで大丈夫ですよ」
霊体を直接触るのだから、服の有無は関係ない。
そういう意味でも、この施術は気楽かも知れない。
受ける側もする側も、ね?
「それでは、横になって、楽にしてくださいね」
「はい」
「失礼します」
俺は目を閉じ、霊体視覚に集中した。
意識を研ぎ澄ます――
手を、女性の背中に当てる。
ビリッ
指先に魔力の感触が走る。
女性の身体に重なるように、青白く輝く霊体が浮かび上がった。
狐族特有の、妖艶な魔力の流れ――
だが、深く、深く疲れていた。
「……これは、かなり溜まってますね」
「はい……もう、何ヶ月も……身体が重くて……」
女性の声が、辛そうだ。
「大丈夫。必ず、楽にしますから」
「按圧法と摩法を組み合わせます」
俺は、霊体の深い傷に圧をかけ、ゆっくりと撫でるように手を動かす。
霊体を癒やすことで、肉体も癒やされる。
優しく、優しく――
「……んっ」
女性の身体が、小さく震えた。
「あ……ああ……」
「大丈夫ですか?」
「これ……何ですか……温かい……気持ちいい……っ」
女性の声が、甘く震えている。
頬が、ほんのり赤く染まる。
俺は、さらに深く――霊体の層を丁寧にほぐしていく。
「ああっ……!」
女性の身体が、ビクンと跳ねた。
「す、すみません……! でも、止めないで……ください……っ」
その声は、懇願するように甘かった。
「わかりました。最後まで、しっかり癒やします」
光が、溢れ始めた。
女性の霊体から、疲労が――消えていく。
「あ……ああああ……! んっ……!」
女性は施術台の縁を掴み、身体を震わせた。
大きな尻尾がふわふわと揺れる。
「すごい……! 身体が……軽い……!」
「よかった」
「何ヶ月も……悩んでたのに……!」
女性の目から、涙が溢れてきた。大きな尻尾がふぁさふぁさ揺れる。
「本当に……本当にありがとうございます……!」
女性が、俺の手を――ぎゅっと握りしめた。
「先生……素敵……♡」
潤んだ瞳で、見上げてくる。
さすが酒場の看板娘――色気たっぷりの微笑みだ。
「あ、ああ……どういたしまして」
俺が、慌てて手を引こうとすると――
「ねえ、先生……私、毎晩酒場にいるんです……」
女性が、さらに身を寄せて囁く。
「今度、飲みに来てくださいね? お酒……お相手しますから♡」
「え、ええ……機会があれば……」
「先生の手……すごく気持ち良かった……また、触られたいです♡」
ウインクしながら、指を絡めてくる。
「あ、ありがとう、ございます……」
顔が、熱くなる。
「ふふ……楽しみにしてますね♡ 毎晩、待ってます♡」
女性が、名残惜しそうに――ゆっくりと手を離す。
腰を振るように――妖艶に、店を出ていった。
その様子を――
「……むーーーーー」
ミナが、ものすごく頬を膨らませて見ていた。
耳が、ぺたんと寝ている。
「あらあら……商売上手ですにゃ」
リーネも、くすくすと笑っている。
その涙を見て――いや、今は別の感情が渦巻いているが――
俺の胸も、温かくなった。
(……ああ、これだ)
(これが、俺の求めていたものだ)
……本当に、これでいいのか?
次の客。
また次の客。
一人一人――丁寧に、癒やしていく。
「ありがとう、先生!」
「本当に助かりました!」
「また来ます!」
客たちが――笑顔で帰っていく。
その笑顔を見るたびに――
胸が、温かくなった。
気づけば――昼を過ぎていた。
「ユージさん、お水ですにゃ♡」
リーネが、コップを差し出す。
「ありがとう」
俺が、コップを受け取ろうとした時――
リーネの手が、俺の手に重なった。
「……っ」
柔らかい手。
「リーネも、応援してますにゃ♡」
微笑みながら、俺の手を握る。
(……やばい)
心臓が、跳ねる。
「ちょっと、リーネ!」
ミナが、リーネの手を払いのける。
「ユージ、タオル!」
ミナが、タオルを押し付けてくる。
「あ、ああ……ありがとう」
「えへへ」
ミナが、得意げに笑う。
「次の方、こちらへどうぞですにゃ」
リーネが、客を案内する。
「あ、ちょっと待って! あたしが案内する!」
ミナが、リーネを押しのける。
「あら、犬さんは強引ですにゃ」
「猫のくせに!」
二人が、にらみ合う。
「……二人とも、落ち着いて」
俺が、苦笑いする。
客たちも、笑っている。
「仲がいいんですね、看板娘さんたち」
「え……ああ、まあ……」
(仲がいい……のか、これ?)
俺は、首を傾げた。
施術が、続く。
夕方。
最後の客を見送って――
「……ふう」
俺は、椅子に座り込んだ。
「お疲れ様!」
ミナが、駆け寄ってくる。
「ユージさん、お疲れ様ですにゃ♡」
リーネも、微笑む。
「……今日も、ありがとうな」
「えへへ」
「どういたしましてですにゃ」
その時――
「ユージ……」
ミナが、不満そうに頬を膨らませた。
「なんだ?」
「あのね……最近、ユージ……」
ミナが、俯く。
「他の女の子ばっかり、構ってる気がする……」
「え……」
「リーネとか……お客さんとか……」
ミナの尻尾が、しょんぼりと垂れている。
「……あたし、最初にユージに会ったのに」
「ミナ……」
俺は、ミナの頭を撫でた。
「ごめんな。気づかなくて」
「……っ」
ミナの目が、潤んでいる。
「でも、ミナがいなかったら――俺、ここまで来れなかったよ」
「……ほんと?」
「ああ。ミナは、俺の一番大事な……」
言葉を探す。
「……仲間だ」
「……っ」
ミナの目から、涙が溢れた。
「えへへ……ユージ、ずるい……」
「ごめんな」
ミナが、俺に抱きついてきた。
「……大好き、ユージ」
「……ありがとう」
俺は、ミナの背中を優しく叩いた。
温かい。
ミナの体温が、伝わってくる。
「あら、独占ですかにゃ?」
リーネが、くすっと笑う。
「そうだよ! 独占!」
ミナが、顔を上げる。
「だって、あたしが最初なんだから!」
「でも、リーネもユージさんのこと、大好きですにゃ♡」
「なっ……!」
ミナの顔が、真っ赤になる。
「あ、あんた……!」
「冗談ですにゃ」
リーネが、舌を出す。
「……冗談じゃないかもしれませんけどにゃ」
「もー!」
ミナが、リーネに飛びかかる。
「まあまあ、落ち着いて」
俺が、二人を引き離す。
「……二人とも、ありがとうな」
「え?」
「二人がいるから、俺は頑張れる」
「……っ」
「だから、これからも――よろしく」
俺は、微笑んだ。
「「……はい♡」」
二人が、同時に笑った。
夜。
店の掃除を終えて――
「ユージ、お疲れ様」
ミナが、俺の隣に座る。
「リーネもお疲れ様ですにゃ」
リーネが、反対側に座った。
三人で、店の前に並んで座る。
空には――満天の星。
「……綺麗だな」
「うん」
「そうですにゃ」
風が、優しく吹いている。
「……今日も、いい日だったな」
俺が、呟く。
「うん。すごく、楽しかった」
ミナが、笑う。
「リーネも、楽しかったですにゃ」
リーネが、微笑む。
「明日も、頑張ろうな」
「「はい♡」」
二人の声が、重なる。
看板が、ゆらゆらと揺れている。
『ユージ堂』の文字が――月明かりに浮かんでいた。
(……こんな日々が、ずっと続けばいい)
そう思った。
ミナが、俺の肩に寄りかかってくる。
「……ユージ、あったかい」
「そうか?」
「うん」
リーネも、反対側から寄りかかってきた。
「リーネも、あったかいですにゃ」
「……重いぞ、二人とも」
「えー」
「いいじゃないですかにゃ」
二人が、笑う。
(……まあ、いいか)
俺も、笑った。
温かい。
幸せだ。
この時間が――ずっと続けばいい。
この時の俺は、まだ知らなかった――
この賑やかな日々が、ほんの序章に過ぎないことを。
<第8話 終>
【次回予告】
ユージ堂に、ちいさな波が立った。
「リーネ、ほんと器用だな」――その一言が、ミナの胸を刺す。
すれ違う心。伝えられない想い。
静かな湖のほとりで、ユージは知る。
“癒やす手”は、心の傷にも届くのだと――。
――次回
第9話「すれ違う心」
おじさん、初めて“恋の痛み”をほぐす。




