第37話 崩壊と飛翔(中)
ラグナの背が、迷宮の通路を滑るように進んでいく。
紅い翼が広がり、風が巻く。
だが飛び上がるには天井が低い。
この階層は、地を滑る飛行しかできない。
ミナが振り向いて叫ぶ。
「ラグナ、スピードもっといける!? 後ろ、なんかヤバい音してるよ!!」
リーネがすぐさま補足する。
「地脈が完全にズレてるにゃ! この階層、沈みながら歪んでる!」
セレスが俺を支えつつ、顔色を失う。
「ユージさん……迷宮の魔力が……急速に薄れて……」
そのときだ。
――ズンッ!
大地が跳ねた。
巨大な何かが下から押し上げたような衝撃が走る。
「なっ……!?」
「落ち着け、掴まっていろ!」
ラグナが吠える。
次の瞬間――
通路の左右の壁が、同時に内側へ沈んだ。
ガララララァァァ――ッ!!!
「うそ、道が……!」
ミナが声を裏返す。
左右から崩れた岩壁が、まるで絞られた布のように狭まり、
いくつかの分岐や広間が完全に潰されていく。
逃げ場を奪うように、
来た道までもが沈んでいく。
セレスが息を呑む。
「か……帰り道が……全部、閉じて……」
リーネの声が震える。
「これ、もう……一本道しか残ってないにゃ……!」
そう、一本の通路だけが残った。
進む方向――出口へ向かう道だけ。
(……完全に、逃げ道を固定されたな)
まるで迷宮そのものが、
俺たちを外へ追い出そうとしているみたいだ。
ラグナも状況を察したようだ。
「戻る道はもうない……このまま進むぞ!」
「任せる!」
俺が叫ぶと、ラグナは力強く地を蹴った。
通路の天井が、わずかにきしむ。
ピシ……ッ。
再び細かな音。
だがさっきまでと違い、
これが大きくなるという直感が背筋を冷やす。
ミナが奥歯を噛んだ。
「ねぇ……ユージ……あの音、もう……」
「ああ。次はデカいのが来る」
セレスが小さく祈るように呟く。
「ここ……崩落の準備が整ってきてます……!」
その時だった。
胸の奥が、熱く脈を打った。
「っ……!」
俺は胸に手を当てる。
オーリアから受け取った竜の炎。
その小さな残光が、心臓の鼓動に合わせて震えている。
リーネが驚いたように目を細める。
「ユージの胸……光ってるにゃ……?」
セレスは真剣に見つめた。
「……炎が共鳴してます。ラグナの霊力と……」
ラグナが、ちらりと俺を振り返る。
「癒やし手……その炎、反応しておるな。
オーリアの火だ……我を導いておるのかもしれん」
(……導く?)
胸の炎が、出口の方向へ僅かに熱を伸ばす。
まるで道を示すように。
次に崩れる場所を避けろと言うみたいに。
(分かった。これは――)
「このまま真っ直ぐだ、ラグナ! 今は……この炎を信じる!」
「心得た!」
ラグナが地を蹴った瞬間――
ドゴォォォォォン!!!!
背後で大規模な崩落が始まった。
「きたああああ!!」
「振り返らないでにゃ!!」
「ユージさん、しっかり掴まってください!!」
迷宮が、ついに本格的に沈み始める。
◇
轟音が、背後から追いかけてきた。
ドゴォォォォォォォンッ!!
通路の奥が、まるで滝のように崩れ落ちる。
粉塵が波になって押し寄せてくる。
「わ、わわわ!? ちょっと! これ洒落にならないよ!!」
ミナが絶叫する。
「ラグナ! 速度上げてにゃ! 飲まれる!!」
リーネも珍しく声が上ずった。
セレスは必死に風よけの結界を張る。
「粉塵……すごいです……結界が押されて……!」
ラグナは地を蹴りつけ、速度を上げた。
紅い翼が石畳に触れそうなほど低く広がる。
「掴まれ!! 振り落とされるぞ!!」
ラグナの声が、炎と風に震えた。
(……この速度でも……足りない!?)
崩落の波が速すぎる。
迷宮そのものが一つの生命みたいに、
後ろから呑み込んでくる――そんな勢いだ。
そして――
前方の天井が、ピシ……ッとひび割れた。
「来る……!」
俺は息を呑んだ。
――次の瞬間。
ガララララァァァァ!!!!!
天井が丸ごと落下してきた。
巨大な岩の塊が、行く手を完全に塞ぐ。
「ラグナ!! 止まっ――」
「止まれぬ!!」
ラグナが吠えた。
紅い瞳は前を向いたまま。
身体の奥から炎が噴き上がる。
「飛ぶぞ――!!」
「えぇええええええ!?!?!?」
ミナの叫びが裏返った。
「この高さでにゃ!? 天井低いんだよ!!?」
「ラ、ラグナさん無茶です!! 上ぶつかりま――」
言い終わる前に。
ラグナの翼が、紅の炎をまとった。
「燃えよ――我が翼!!」
バシュゥゥゥッ!!
炎が翼を包み、形を変える。
それは実体の翼ではなく霊炎の翼――
物質をすり抜け、風よりも軽い。
(くっ……! これ、オーリアの炎の加護……!)
胸の奥で俺の竜炎が脈打つ。
そのリズムがラグナの翼と同期した。
「行くぞッ――!!」
ラグナが跳ね上がる。
低い天井すれすれを、炎の翼を引きずりながら滑空――
石の落石が右にも左にも弾け飛ぶ。
「きゃあああああああッ!!」
「やっぱり無茶じゃない!? 死ぬって!!」
「ラグナさん、速度がっ……!」
俺はラグナの鱗を掴みながら声を張った。
「ラグナ! 天井左側、薄い!! そこ、抜けられる!!」
「導くか……癒やし手!!」
ラグナが俺の示した方向へ翼を傾ける。
紅い竜の身体が、天井の狭間へ滑り込む。
岩が耳元を切り裂き、粉塵が頬を刺す。
「うおおおおおおおッ!!!」
ミナの絶叫が震えた。
リーネが叫ぶ。
「いける! そのまま突っ切ってにゃ!!」
セレスが祈るように目を閉じる。
「ラグナさん……どうか……!」
――そして。
バリィィィィィィン!!!
霊炎の翼が天井を焼き裂き、
巨大な落石をすり抜けて突破した。
光が一瞬差す。
(……あれが……出口の階層へ、続く光!!)
振り返ると、背後は完全に崩れていた。
ひとつでも遅れていたら飲まれていた。
「ふぅ……助かった……?」
ミナが涙目で肩を落とす。
「まだにゃっ!! 音、止まってないにゃ!!」
リーネが叫ぶ。
そう――迷宮の崩壊は、まだ始まったばかり。
ラグナが低く唸った。
「癒やし手……その炎、まだ揺れておるか?」
「……ああ。まだ導いてる」
俺は胸を押さえながら答えた。
(この脈動の先に……外がある)
胸の奥の竜炎が、明確に出口の方角へ熱を伸ばす。
ラグナが大きく翼を広げ、吠えた。
「ならば――まだ飛べる!!」
紅と金の炎をまとい、竜は前へ。
崩れゆく迷宮の中を、光の方へ突き進んだ。
◇
紅い炎の翼が、崩れゆく通路をかき分けていく。
ラグナの咆哮が空気を震わせ、
背後では迷宮が巨大な獣のように沈み続けていた。
「ラグナ! もうすぐ分岐の広間だよ!!」
ミナが前方を指差す。
「でも……音が……前からも聞こえます……!」
セレスが顔をこわばらせた。
「前も崩れてる……かなり速いにゃ……!」
リーネが魔力で通路の気流を読む。
(行き止まりじゃない……けど、時間はない!)
そのときだった。
――ズガァァァァアアン!!
前方の岩が崩れ、白い光が吹き抜けた。
「外だ!」
ミナが叫ぶ。
「出口の階層に続く通気穴が開いたんだよ!!」
俺の胸の炎も、強く脈を打つ。
(……そうだ。あそこだ! 竜炎が外の空気を感じてる!)
ラグナの翼が再び炎をまとう。
――だが。
前方の出口に抜ける最後の天井が、
大きく歪み始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
「あれ……まずいよ!!」
「完全に落ちるにゃ!!」
「急がないと……塞がります……!」
ミナ・リーネ・セレスが同時に叫ぶ。
ラグナは迷わず叫んだ。
「しがみつけ!! ここが勝負所だ!!」
紅い炎が翼を包む。
まるで燃え上がる流星。
俺はラグナの鱗に手をかけた瞬間――
胸の炎が、爆ぜるように脈動した。
(……ああ。もうひと押し、か)
俺はラグナに向かって叫んだ。
「ラグナ! 俺の炎、お前に貸す!!」
「なにっ――!?」
胸に宿る竜の欠片が、
熱の奔流となってラグナの背へ流れ込んだ。
紅と金の霊火が一体化する。
「これが……オーリアの……!」
ラグナの瞳が燃える。
「飛べぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
――竜が吠えた。
炎の翼が爆発的に広がり、
迷宮全体に火風が吹き抜ける。
落下し始めた天井を、紅の軌跡が貫いた。
巨大な瓦礫が左右に弾け、
粉塵が白い稲光のように散る。
眩い光が前方に広がる。
ミナが涙混じりに叫んだ。
「見えたッ!! 空だよ!! 外だよーーっ!!」
「もうすぐにゃ!!」
「このまま抜けてください!!」
ラグナの全身に、紅と金の力が宿る。
「――行くぞ、癒やし手!!」
竜の背が光の裂け目に突っ込み、
暗闇は――一瞬で、空の光に変わった。
〈第37話 続〉
【次回予告】
光に包まれ、外へ出た。
冷たい空気、青い空。
「出られたんだ……!」
だが、崩壊はまだ続いている。
火山が、息をするように崩れていく。
「……まだ飛ぶぞ」
そして、安全な大地へ。
遠くから現れる、仲間たちの影。
──第37話(下)「崩壊と飛翔」
おじさん、生きて空へ帰る。




