第5話 異界整体院、始動!
朝日が、部屋に差し込んできた。
「……んー」
目を開けると、木の梁。見慣れない天井。
けれど、不思議と落ち着く匂いがした。
「……そうだ、ここは――」
異世界グランバルト。
獣人の街、ファングレスト。
昨日、ミナと一緒に掃除したこの家が、今の俺の居場所になった。
「おはよー!」
勢いよくドアが開いて――ミナが飛び込んできた。
そして、そのまま――
「うわっ!」
俺に、抱きついてきた。
「えへへ! おはよ、ユージ!」
ミナの顔が、俺の胸に埋まる。
尻尾が、ぶんぶん揺れている。
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は、慌ててミナを引き剥がそうとする。
その時――
柔らかい感触が、胸に当たった。
「……っ」
ミナは、完全に無自覚だ。
尻尾を振って、嬉しそうに笑っている。
でも――俺は。
(まずい……意識してしまった……)
ミナは、まだ子供だ。
獣人の年齢はよくわからないが――
それでも、俺は42歳のおじさんで。
(いい年して、何考えてるんだ、俺……)
「悠司? 顔、赤いよ?」
ミナが、不思議そうに首を傾げる。
「い、いや……なんでもない」
俺は、視線を逸らした。
「ほら、朝ごはん持ってきたから!」
ミナが、嬉しそうに籠を持ち上げる。
中には――焼きたてのパンと果物とチーズ。
温かい湯気に、胃が鳴った。
「……ありがとう」
「えへへ。マーサ婆ちゃんがね、朝市で分けてくれたんだ!」
ミナは胸を張った。
その尻尾がまた嬉しそうに揺れる。
「そういえば、お前の家は?」
「あたし? んー……今はマーサ婆ちゃんからお部屋借りてるよ」
ミナが少し考えて、笑った。
「狼族の掟でね、一人で暮らすのが大人になるための修行なんだ。だから、しばらくは一人暮らし!」
「へぇ、偉いな」
「まあね! でもさ、最初は寂しくて――マーサ婆ちゃんが身元引き受けてくれたの」
そう言って、肩をすくめた。
「だから今は平気。ほら、元気いっぱいでしょ!」
尻尾がぶん、と音を立てる勢いで振られた。
「……ほんと、元気だな」
「で! 今日から何するか決めた?」
「何って……」
「お店だよ、お店!」
ミナの耳がぴくりと立ち、目が輝く。
「ユージは整体師? なんでしょ? だったらこの家、お店にしようよ!」
「……整体院、か」
部屋を見渡す。
広さも明るさも十分。
ここなら、誰かを癒やせるかもしれない――魂ごと。
「……やってみるか」
「やった!」
ミナが跳ねた。
まるで嬉しそうな子犬みたいだ。
そういうと、犬じゃない、狼、とむくれる。
その様子がまた愛らしい。
「もー、まずはベッドね!」
「市場で探すか。あと看板も」
「それも作ろう!」
尻尾を振りながら走り出すミナに、思わず笑みがこぼれた。
市場は朝から賑やかだった。
木造の家々の間を行き交う人々。
香ばしいパンの匂いと、陽気な声。
狼、猫、熊、狐――さまざまな獣人が店を構えている。
獣度でいうと、ミナのようにほぼ人間に見える人もいれば、直立歩行しているゴリラや熊の人もいる。
「……異世界だな、ほんとに」
「慣れた?」
「まだまだだな」
「ねえねえ、悠司! これ見て!」
ミナが、果物屋の前で尻尾を振っている。
「赤い実、綺麗でしょ!」
「ああ、綺麗だな」
「あっちは! あっちは魚! 大きい!」
ミナが、はしゃぎながら市場を駆け回る。
耳がぴこぴこ動いて、尻尾がぶんぶん揺れる。
その姿が――
(……可愛いな)
思わず、そう思ってしまった。
「悠司、早く早く!」
ミナが、俺の手を引っ張る。
「ああ、わかった」
中古家具店で、頑丈な木製のベッドを見つけた。
手持ちの銅貨でぎりぎり買える値段だ。
「これください」
「毎度!」
熊耳の店主が軽々と運び出す姿を見て、職業筋肉ってやつを実感した。この人は獣度はそんなに高くないな。同じ種族でも色々なんだろうか?
「悠司、これ重いね!」
ミナが、ベッドの端を持ち上げようとする。
「無理すんな、お前は」
「えー、あたしだって力持ちだもん!」
ミナが、ぷうっと頬を膨らませる。
耳が、ぺたんと倒れた。
「……わかった、わかった」
俺は、苦笑いした。
家に戻ると、ミナがもう看板を持ってきた。
もう既に準備つくっておいたそうだ。
ちなみにこれはミナの手作りらしい。
木の板に不器用な文字で――
『異界癒やし処 ユージ堂』
「……ユージ堂?」
「だってユージは、異世界から来たんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「なら、ぴったりじゃん!」
得意げな笑顔。
その耳が、ぴょこぴょこと動く。
「すごいでしょ、この看板!」
「ああ、すごいな」
「えへへ!」
ミナが――ぺろっと、俺の頬を舐めた。
「!?」
俺は、思わず飛びのく。
その瞬間――
バランスを崩したミナが、俺に倒れ込んできた。
「わっ!」
「きゃっ!」
俺の胸に、ミナが――
柔らかい感触。
「……っ」
時が、止まった。
ミナの顔が、すぐ近くにある。
灰色の瞳が、俺を見つめている。
「……ユージ?」
(やばい……近い……)
心臓が、うるさい。
ミナの身体が――少しずつ、成長している。
獣人の年齢はわからないが――
それでも、俺は42歳で。
(いい年して、何考えてるんだ……)
「ご、ごめん!」
ミナが、慌てて飛びのく。
「い、いや……こっちこそ」
二人とも、顔が真っ赤だった。
「あ、あのね!」
ミナが、耳を伏せたまま言う。
「狼族は、好きな人の匂いを確認するの。それで、ぺろってするんだよ」
「そ、そうなのか……」
文化の違い。
これが、異世界。
「悠司、塩味」
「……汗かいてるからな」
ミナが、くすくす笑う。
尻尾が、楽しそうに揺れていた。
「今日から、ここが俺の職場か」
俺は、看板を見上げた。
胸の奥が温かくなった。
失っていた"居場所"の感覚が、少しずつ戻ってくる。
「じゃあ開店!」
ミナがドアを開け放つ。
光が差し込み、木の床が金色に輝いた。
ベッドを整えていると――
「ねえ、悠司」
ミナが、後ろから抱きついてきた。
「うわっ、また!?」
「えへへ、背中、あったかい」
ミナの顔が、俺の背中に押し付けられる。
クンクンと、においを嗅がれている。
「お、おい……」
「んー、安心する匂い」
尻尾が、ゆっくりと揺れている。
「……お兄ちゃんと同じ、いい匂い」
ミナの声が、少し寂しげだった。
「…………」
俺は、何も言わずに――
ミナの頭を、優しく撫でた。
「……っ」
ミナの尻尾が、ぴたりと止まる。
そして――また、ぶんぶん揺れ始めた。
「えへへ」
小さな声で、笑った。
「……客、来るかな」
「来るって! あたしが呼んでくるから!」
ミナは、そう言って――尻尾を振りながら市場へ駆けていった。
まるで"行ってきます!"と言っているように。
俺はベッドを整え、深呼吸する。
新しい生活の始まり。
不安と期待が静かに混ざっていた。
――カランッ。
ドアベルが鳴った。
「え、もう?」
振り返ると、柔らかな灰銀の髪が陽に揺れた。
猫の耳が、ぴくりと動く。
新しい出会いの予感がした。
<第5話 終>
猫族の少女リーネ、来店。
「あの……ここ、マッサージ屋さんですかにゃ?」
甘え上手で、あざとい。
「悠司さん、すごいですにゃ♡」
ミナが――むすっとした。
「……あんた、誰?」
――次回予告
第6話「猫族の少女リーネ」
おじさん、初めての異世界施術でバズる。
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作者が物語を続けていく上でのモチベーションがとてもあがります!




