第35話 死霊竜の咆哮(上)
石座の後ろから続く通路は、狭く、暗かった。
壁には古い傷跡が無数に刻まれている。
爪痕だろうか。それとも、剣の跡か。
俺たちは、ゆっくりと奥へ進んでいた。
ミナが前を警戒し、リーネが周囲を見回している。
セレスは結界を展開しながら、後方を守っている。
ラグナは、俺の隣を小さな姿で歩いていた。
その尻尾が、小刻みに揺れている。
「……ラグナ」
俺は、小さなラグナに声をかけた。
「お前の伴侶のこと、聞かせてくれないか」
ラグナの足が、一瞬止まる。
「……何故、それを聞く」
「お前の伴侶を癒やすなら、知っておきたい」
俺は、真っ直ぐラグナを見た。
「どんな竜だったのか。お前と、どんな日々を過ごしていたのか」
ラグナは、しばらく黙っていた。
通路の奥から、微かに熱い風が吹いてくる。
瘴気の匂いが、かすかに混じっていた。
やがて――
「……我が伴侶の名は、オーリア」
小さく、呟くように言った。
「金の鱗を持つ、美しい竜だった」
通路を歩きながら、ラグナは語り始める。
「我らは、この山で生まれた。同じ巣で、同じ空を見て育った」
「幼い頃から、いつも一緒だった。空を翔け、風を切り、雲を裂いた」
ラグナの声が、わずかに震える。
「オーリアは、我よりも速く飛んだ。笑い声を上げながら、いつも先を行った」
「我は、その背を追いかけた。追いつけなくても、その翼を見ているだけで……幸せだった」
通路の壁に、淡い光が灯る。
それは記憶の残滓なのか、ラグナの想いが形になったものなのか。
紅と金の光が、壁に映り込んでいた。
「成長してからも、我らは離れなかった」
「人間の国が戦争を始めても、我らは関わらなかった」
「ただ、この山で、二頭だけで暮らしていた」
ラグナの尻尾が、小さく揺れる。
「……それが、いつまでも続くと思っていた」
その声が、悲しげに沈む。
「だが……あの日、死霊術士が現れた」
「黒い瘴気を纏った、邪悪な人間だった」
「あやつは、オーリアを狙った。古代竜の魂を使い、禁忌の術を完成させるために」
ラグナの声が、怒りに震える。
「我は戦った。オーリアも戦った」
「だが……術士の放った黒い矢が、オーリアの胸を貫いた」
「オーリアは……我の目の前で、死霊と化した」
通路の空気が、重くなる。
壁に映っていた光が、揺れて消えた。
「我は術士を倒した。だが……オーリアは、元には戻らなかった」
「死霊と化したオーリアは、全てを焼き尽くそうとした」
「我は……選ぶしかなかった」
ラグナが、立ち止まる。
「オーリアを殺すことはできぬ。ならば、封じ続けるしかない」
「数百年……我は、ここでオーリアを封印し続けている」
「いつか、誰かが……オーリアを救ってくれるかもしれない」
「そう信じて……我は、ここに居続けた」
ラグナが、俺を見上げる。
紅い瞳が、揺れている。
「……癒やし手。お前が、本当にオーリアを救えるのか?」
「やってみないと分からない」
俺は、正直に答えた。
「でも、俺はお前を癒やせた。だから、きっとオーリアも癒やせる」
ラグナは、小さく頷いた。
「……頼む」
その声は、震えていた。
「オーリアを……我が伴侶を……頼む」
俺は、ラグナの頭に手を置いた。
「任せろ」
通路の先に、紅い光が見えた。
最深層――オーリアが眠る場所。
俺たちは、再び歩き出した。
◇
――そして俺たちは最深層に到達した。
竜の間が、震えている。
封印の陣が赤黒く光を帯び、空気が焼けるように重くなる。
足元の岩が軋み、熱と冷気が同時に吹き抜けた。
「……嫌な感じ」
ミナが顔をしかめる。
霊火の色が、青から紫に変わっていた。
「これは……瘴気が強すぎますね」
セレスが呟く。
彼女の瞳が琥珀色に光り、震える手を胸の前で組んだ。
「おい、ラグナ」
俺は視線を奥へ向けた。
石座の前で目を閉じていたラグナが、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳に、紅い光が灯る。
「……始まったか」
「何が、だ」
「封印の中心にある“骸”が、動き出した」
ラグナの声は低く、しかし確信に満ちていた。
「我が伴侶の魂……死霊と化して幾百年。それを抑えていた炎が、もうもたぬ」
地面が揺れた。
岩壁の奥、巨大な骨の影が浮かび上がる。
それは――竜の形をしていた。
「……嘘にゃ……こんな……」
リーネが思わずといったふうに口を開く。
「こ、これ全部……竜の……?」
ミナも絶句して、その偉容を見上げていた。
骸骨――巨大な竜の骸骨から、黒い霧が漏れ出した。
その霧が触れた岩が、音もなく崩れ落ちる。
瘴気――生者を拒む死の息吹。
ラグナが一歩前に出た。
「我が伴侶よ……まだ、怒りの中にいるのか」
答えは咆哮だった。
空間が裂けるような音。
風が、霊火をすべて吹き飛ばす。
ミナが悲鳴を上げ、リーネが身体を伏せた。
セレスが結界を展開する。
それでも、瘴気の波が押し寄せる。
「これ……マジでやばいですにゃ!」
「後退しろ!」
俺は叫びながら、三人の前に出た。
霊体視を発動。
死霊竜の中に、赤黒く渦巻く“核”が見えた。
そこが、怒りと苦痛の中心。
「……届くのか、これ」
俺は呟いた。
あまりに遠い。あまりに深い。
ラグナが横に立つ。
「癒やし手。無理をするな。あやつの魂は、もはや“死”そのものだ」
「それでも」
俺は前を見据えた。
「苦しんでるなら、放っておけない」
霊火が再び燃え上がる。
黒と紅が混ざり合い、竜の骸がゆっくりと動いた。
その瞳孔に、深い闇が宿る。
死霊竜が、こちらを見た。
虚なその目にあったのは怒りでも敵意でもなく――哀しみだった。
〈第35話 続〉
【次回予告】
黒い炎が吹き荒れ、三人が吹き飛ばされる。
絶望的な力の差――だが、悠司は諦めない。
「あいつ……泣いてる」
──第35話「死霊竜の咆哮(中)」
おじさん、死霊竜の心に触れる!
◇◇◇
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