第33話 古代の将(上)
俺たちは、ゆるやかに続く下り坂を進んでいた。
ダンジョンの空気が、徐々に変わっていくのがわかる。
暑さではない。
重い。湿った布を肺に押し込まれるような――そんな、圧力。
「……瘴気、濃くなってきたにゃ」
リーネが、低くつぶやいた。
その尻尾が、自然と身体の近くに引き寄せられている。
足元の岩に、不自然な焦げ跡が残っていた。
何かが這いずったような、黒い筋。
焼け焦げた爪痕。複数。
それだけで、この先にただならぬものがいると伝わってきた。
「これが竜の痕跡か……」
「多分、そう。尻尾が逆立つよ!」
ミナが岩の裂け目に鼻を近づける。
「……でも、かなり前にここから動いたみたい」
「更に先か」
俺の背中に、冷たい汗が伝った。
そのとき――
前方の通路から、ぼんやりとした光が浮かび上がった。
三つ。
人の形をした、ぼんやりとした影。
「死霊にゃ……!」
リーネが身構える。
兵士の姿をした死霊が、三体。
ぼろぼろの鎧に、折れた剣。
空洞の目が、こちらをじっと見つめている。
「敵意は……ない?」
ミナが首を傾げる。
「でも、霊体が……乱れてます」
セレスが静かに言う。
「苦しんでいるんだ。まだ、何かに縛られている」
俺は一歩、前に出た。
「ユージ、危ないにゃ!」
「大丈夫。こいつらは、助けを求めてる」
俺は集中し、霊体視を開く。
三体の死霊の霊体が、ぼんやりと浮かび上がった。
黒い霧のようなものが、全身にまとわりついている。
それが、彼らをこの場に縛りつけている。
「……つらかったな」
俺は、呟くと、ミナ達に目配せをする。
「ユージ、あたしたちも手伝うにゃ!」
リーネが魔法で死霊の動きを抑える。
「私も!」
ミナが短剣で、霊体にまとわりつく黒い霧を切り払う。
「霊体の流れを、安定させます」
セレスが剣を構え、死霊の周囲の瘴気を払う。
彼女たちの牽制のおかげで、俺は死霊の一体と一対一で対峙する形になった。
俺は目の前の死霊に、そっと手を伸ばす。
「お前たちを、楽にしてやる」
最初の一体に、掌を当てる。
ビリッ、という感覚。
軽擦法で、霊体の表面を撫でる。
黒い霧が、すこしずつ剥がれていく。
「ああ……」
死霊が、小さく声を上げた。
按圧法で、霊体の核を押す。
揉捏法で、固まった霊体をほぐす。
黒い霧が晴れ、死霊の霊体が淡い光を帯びていく。
「……ありがとう……」
三人の援護を受けながら、俺は一体ずつ、丁寧に施術していく。
次の一体が、消えていく前に、小さく呟いた。
「これで……やっと……眠れる……」
二体の死霊が、光となって消えていった。
――後一体!
最後の一体――それは、女性の兵士だった。
長い髪が、ぼろぼろの兜からこぼれている。
弓を握る手が、小刻みに震えていた。
「……私だけ……生き残ってしまった……」
小さく、か細い声。
何度も、何度も、同じ言葉を繰り返している。
「……私だけ……許されない……」
俺は、そっと近づいた。
「大丈夫。もう、終わったんだ」
女性兵士の霊体を視る。
胸に、深い亀裂。
心兪が、激しく乱れている。
両手の労宮が、冷たく凍りついている。
「……つらかったな」
俺は、そっと手を伸ばした。
「施術、始めるぞ」
俺は、彼女の背中に手を当てた。
ビリッ、という感覚。
心兪――背中の中央、心臓の裏側にあるツボ。
悲しみや後悔が溜まる場所だ。
按圧法。
ゆっくりと、3秒押して、2秒離す。
「あ……ああっ……!」
女性兵士が、びくんと身体を震わせた。
「……これ……何……?」
戸惑うような、でも甘い声。
「心兪だ。ここに溜まってた悲しみを、流してやる」
按圧を続ける。
「んっ……ああっ……!」
彼女の声が、少しずつ大きくなっていく。
「お前は、仲間を守ろうとしたんだろ?」
俺は、静かに問いかけながら、指を動かす。
「……はい……でも……んっ……私だけ……あっ……!」
言葉が、途切れ途切れになる。
「お前のせいじゃない。お前は、精一杯戦った」
按圧を深く、強く。
「はぁっ……ああっ……!」
彼女の霊体が、淡く輝き始める。
心兪の奥に溜まっていた悲しみが、じんわりと溶けていく。
「……気持ち……いい……こんなの……初めて……」
彼女の声が、甘く蕩けていく。
「もっと……もっと……お願い……」
俺は、揉捏法に切り替えた。
円を描くように、背中をほぐしていく。
「ああああっ……! そこ……そこ……っ!」
彼女の身体が、びくびくと震える。
「……楽になるぞ。全部、吐き出していい」
「はぁっ……ああっ……もう……やだ……気持ちよすぎて……っ」
心兪の亀裂が、ゆっくりと閉じていく。
次に、俺は彼女の手を取った。
冷たい。
氷のように冷たい手だった。
労宮――手のひらの中央。
愛情や温もりを伝えるツボ。
俺は、彼女の手を両手で包み込んだ。
軽擦法。
ゆっくりと、手のひらを撫でる。
「んっ……ああっ……!」
女性兵士が、身体を仰け反らせる。
「……温かい……こんな感覚……久しぶり……」
労宮が、すこしずつ温まっていく。
冷たかった手が、柔らかくなっていく。
「お前は、もう十分頑張った」
俺は、静かに言いながら、労宮を押す。
「はぁんっ……!」
彼女の声が、一段と高くなる。
「もう……だめ……っ」
「もう、休んでいいんだ」
按圧を続ける。
「ああっ……ああっ……もう……限界……っ」
労宮が、淡い光を帯びる。
温もりが、彼女の霊体全体に広がっていく。
「いく……いっちゃう……っ!」
彼女の霊体が、ぱあっと光り輝いた。
全身から、淡い光が溢れ出す。
「ああああああっ……!!」
彼女の絶頂の声が、ダンジョンに響いた。
「はぁ……はぁ……」
女性兵士が、荒い息をついている。
その顔は、満足そうで――でも、涙で濡れていた。
「……ありがとう……」
小さく、呟く。
「……こんなに……気持ちよくなったの……初めて……」
霊体なのに、涙が流れる。
それが、光の粒となって、消えていく。
「……私……やっと……楽になれる……」
彼女の霊体が、淡い光に包まれる。
そして――
「……ありがとう……ございました……」
静かに、彼女の霊体が消えていった。
満足そうな笑顔で。
温かい光となって。
俺は、小さく息をついた。
「……良かったな」
死霊は消え去り、後は僅かな光の粒だけが残り、それもやがて消えてゆく。
「……ユージ、今の……」
ミナが、顔を赤くして呟く。
「すごかったにゃ……あんな声、出るんだにゃ……」
リーネが、尻尾をぴんと立てている。
「……やっぱり施術とは、あそこまで気持ちいいものなのですね……」
セレスが、少しだけ頬を染めている。
「お、おい……お前ら……」
俺は、三人の視線が痛い。
「ユージのマッサージ……あたしたちも受けたいにゃ……」
リーネが、じっと俺を見つめる。
「わ、私も……」
ミナが、もじもじしている。
「……私も、お願いしたいです」
セレスが、静かに微笑む。
「お、おい……今はダンジョンの中だぞ……?」
「後でね! 絶対だからね!」
ミナが、人差し指を立てる。
「約束にゃ!」
リーネが、にやりと笑う。
「……楽しみにしています」
セレスが、静かに頷いた。
俺は、小さく息をついた。
(……これ、後で大変なことになるな……)
「でも……お疲れさま、ユージ」
ミナが、俺の肩に手を置く。
「まだまだ先は長いにゃ。でも、ユージなら大丈夫にゃ」
リーネが笑う。
「私たちが、ついています」
セレスが静かに頷いた。
俺は、三人の顔を見て、少しだけ笑った。
「ありがとな。……じゃあ、行こう」
◇
「……あれ、見てください」
セレスが、前方を指差す。
岩壁の奥。
そこだけ空間が広くえぐれていた。
空洞の中心に、霧のようななにかが佇んでいた。
それは次第にひとつの形をなしてゆく。
「……鎧……?」
ミナがつぶやく。
古びた甲冑に身を包んだ、巨躯の骸骨。
両手で大剣を支え、そこに、ただ立っていた。
何百年もそこにいたように、
動かず、朽ち果てず、まるで時を止めたように――
〈第25話 続〉
【次回予告】
古代の甲冑に身を包んだ、巨大な骸骨。
それは、かつてこの地を守った近衛騎士団の将だった。
「誰だ、我が部下に触れたのは」
──第26話「古代の将(中)」
おじさん、将と対峙する!




