第32話 再会と和解
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
ダンジョン内の岩棚に腰を下ろしながら、俺は火に手をかざす。
あれから数時間が経ち、ようやく一息つけた。
マーカスたちの正気を取り戻すのに、思った以上に霊力を使ってしまった。
すぐそばでは、ミナが火加減を見ながらスープを温めていた。
ごく簡単な野営用の調理道具。スパイスの香りがふんわりと広がる。
「やっと落ち着いたな……」
俺がつぶやくと、ミナが軽く笑った。
「ユージががんばったからだよ。今回もほんと、すごかった」
「わたし、あんな風に人を癒やせるなんて……はじめてみました」
セレスも微笑んで言う。
「……ちょっと、張り切りすぎたかもな」
まだ肩に、少し霊力の抜けた感じが残っていた。
でも、心は不思議と軽かった。
向こう側では、リーネがリディアと並んで座って話をしている。
元々仲が良かったそうだし、話が弾んでいるようだった。
マーカスは、少し離れた場所でリースを見ている。
ふたりとも、うつむき加減だが、言葉を交わしていた。
仲間としての時間が、ようやく戻りつつある――そんな空気が、ここにはあった。
「……昔は、こんなふうに焚き火を囲ってたにゃ」
リーネが、ぽつりと口を開いた。
「ダンジョンに潜ったあと、あたしは火の番で……マーカスが調理係だったにゃ」
「うん、覚えてる」
リディアが静かに頷いた。
「火の番なのに、しょっちゅう寝落ちしてて……そのたびに、わたしが起こしてた」
「にゃはは……あったにゃあ、そんなこと」
リーネが、少しだけ笑った。
でも、目元が潤んでいた。
「……リーネ」
語り合っている二人に、マーカスが声を掛ける。
「すまん。俺はずっと間違ってた。あのとき、お前を傷つけて……それでも、何も言わなかったお前に、甘えてたんだ」
「……いいにゃ」
「お前はいつもチームのムードを考えていてくれた。なのに、俺はお前が獣人だってだけで、蔑んで――」
「ううん、マーカス。それをいうならわたしだって。リーネにちゃんと向き合わなかったもの」
マーカスの言葉にリディアが口を添える。
「今、こうやって話せてるだけで、もう、十分にゃ」
沈黙が、焚き火の音に包まれる。
そして――
「ありがとうな、来てくれて」
マーカスが、ぽつりと呟いた。
「いいってことにゃ! だって仲間だったんだし!」
リーネはそう言って軽く笑みを浮かべた。
そこには何のわだかまりもないように、俺には見えたのだった。
焚き火の周りには、あたたかい空気が流れていた。
ほんの少し前まで、剣を振りかざしていた者たちが、今は仲間に戻っている。
癒やしとは、ただ傷を治すだけじゃない。
心に残った、古い痛みを――
言葉にできなかった悔しさや、寂しさを――
そっと、ほどいていくものなんだ。
俺は、湯気の立つスープをひと口飲んで、静かに息をついた。
◇
「それで……どうして、こんな状態になってたの?」
ミナが問いかけると、マーカスが眉をひそめた。
「……ダンジョンに入ってすぐは、何もおかしくなかった」
「いつもの魔物、いつもの罠。慎重に進めば問題ないって、そう思ってた」
「でも……途中から、空気が変わった」
リディアが言葉を継ぐ。
「熱じゃない。瘴気、かな。背中がずっとざわざわしてて……」
彼女の手が、無意識に自分の肩をさする。
記録魔術師とは思えない、ひどく怯えた仕草だった。
「精神が、内側から削られていく感じでした」
セレスが静かに言う。
「魔物や罠というより、空間そのものが悪意を持っている。そんな印象を受けました」
「それって……このダンジョン自体が、死霊を生み出してるってこと?」
俺の問いに、マーカスがうなずいた。
「わからない……ただひとつ言えることは……」
「奥に、何かがいる」
「俺たちは、その気配に触れて、やられたんだと思う」
苦々しい表情を浮かべ、マーカスは話してくれた。
「気配……?」
リーネが身を乗り出す。
「それは、誰か……何か分かるの?」
マーカスは、しばらく黙っていた。
目を伏せ、唇を噛んでいる。
そして――低く呟いた。
「……竜だ」
「形は、もうめちゃくちゃだったけど……あれは、竜だった」
◇
焚き火の光が、ぐらりと揺れた気がした。
竜。
この世界に来てから、まだ一度も見ていない。
けれど、どこかで"存在"だけは感じていた気がする。
「竜って……死霊か?」
ミナが問うと、マーカスは頷いた。
「ああ。けど、ただの死霊じゃない」
「強すぎる。あれは、俺たちじゃ太刀打ちできない」
「でも、霊体を癒やせるなら……」
俺がつぶやくと、マーカスが俺をまっすぐ見た。
「――あんたになら、届くかもしれない」
「こんなにぐちゃぐちゃだった俺を、正気に戻せたんだ。竜にだって……もしかしたら、届くかもしれない」
◇
部屋の外から、かすかに、風の音がした。
ダンジョンの奥――深く深く沈んだ方向から。
そこに、何かがいる。
まだ見えない。けれど、確かに"呼ばれている"。
◇
「ユージ、大丈夫?」
ミナが俺の顔をのぞき込む。
「顔、ちょっと白いよ。無理してない?」
「……まあ、ちょっとな」
素直に認める。
人の霊体を癒やすには、それなりのエネルギーが要る。
ましてや、正気を失った者を何人も、連続で救ったとなれば、消耗も当然だった。
「でも、行くつもりなんでしょ?」
「もちろん」
迷いはない。
奥にいる存在が、死霊であれ、竜であれ――
癒やしが届くなら、俺のやることはひとつだ。
「なら、癒やすしかないにゃ」
リーネが、ずいと近づいてきた。
「ユージ、ちょっと横になるにゃ」
「え?」
「いいから!」
セレスが荷物の中から、薄手の布を取り出した。
旅用の敷物だろうか。さっと広げて、岩場の平らな部分に敷く。
「ユージ様、こちらへどうぞ」
「いや、待て待て……」
「座ってないで、横になって!」
ミナが俺の肩を押す。
「ちょっ……おい……!」
三人に囲まれ、俺は観念して布の上に横になった。
背中に、ごつごつとした岩の感触が伝わってくる。
「お前たち……まさか……」
「そのまさかにゃ」
リーネがにやりと笑った。
「あたしたち、ユージをマッサージするにゃ」
「は?」
「ユージ、いつも私たちを癒やしてくれるから……今度は、私たちの番です」
セレスが静かに微笑む。
「お前たち……マッサージなんてできるのか?」
俺が問うと、ミナが胸を張った。
「いつもユージの施術、見てるからね。見よう見まねでやってみる」
「あたしだって、毎回そばで見てるにゃ。どこを押せばいいか、だいたいわかるにゃ」
リーネが自信満々に言う。
「私も……影武者の訓練で、身体の構造は学びました。お役に立てるかと」
セレスが静かに微笑む。
「いや、でも……素人が適当にやると、逆に疲れるぞ?」
「いいから黙って受けて!」
三人に囲まれ、俺は観念した。
布の上に横たわる俺を、三人が囲む。
――なんだ、この状況。
「お前たち……マッサージなんてできるのか?」
俺が問うと、ミナが胸を張った。
「いつもユージの施術、見てるからね。見よう見まねでやってみる」
「あたしだって、毎回そばで見てるにゃ。どこを押せばいいか、だいたいわかるにゃ」
リーネが自信満々に言う。
「私も……影武者の訓練で、身体の構造は学びました。お役に立てるかと」
セレスが静かに微笑む。
「いや、でも……素人が適当にやると、逆に疲れるぞ?」
「いいから座って!」
三人に囲まれ、俺は観念して座り込んだ。
ミナの手が、肩に置かれた。
ぐっ、と力強く押し込まれる。
「っ……!」
思わず声が出た。
「どう? 痛い?」
「いや……ちょうどいい……」
次にリーネの手が、腕のツボを押す。
細い指なのに、的確にコリを捉えている。
「ここ、凝ってるにゃ?」
「あ……そこ……っ」
セレスの手が、首筋をゆっくりと撫でる。
軽擦法……俺がいつもやってる手技だ。
「ユージ様、お疲れが溜まっていますね」
「あ……ああ……」
三人の手が、同時に俺の身体をほぐしていく。
(……やばい)
気持ちよすぎる。
(こいつら……俺より才能あるんじゃないか……!?)
「はぁっ……」
思わず、変な声が出た。
「ユージ、今、すごい声出したね」
ミナがニヤニヤしている。
「お、おい……やめろ……っ」
「にゃははっ、ユージの反応、可愛いにゃ」
リーネが笑う。
「もう少し、続けますね」
セレスの手が、百会を優しく押す。
「んっ……!」
またしても、変な声が出た。
(おっさんなのに……こんな声出しちゃって……!)
気持ちよさが止まらない。
全身の力が抜けていく。
「……ユージ、すごくリラックスしてる」
「これが……施術される側の感覚か……」
俺は、ぼんやりと呟いた。
「いつも……こんな気持ちよかったのか……」
少し離れた場所で、リディアが呆然としていた。
「……あの、今、ダンジョンの奥に化け物がいるって話してたんですけど」
「……知らん」
マーカスが、無言で目を逸らした。
「なんだこいつら……」
レオが呟く。
「……まあ、癒やし手だし……?」
アリシアが、フォローするように言った。
でも、誰も止めようとはしなかった。
――だって、ダンジョンの中で、こんなに和やかな空気が流れているのは……
悪くない光景だったから。
◇
「よし……だいぶ回復した。ありがとな」
立ち上がりながら、俺は三人に頭を下げた。
「これで、もうひと踏ん張りできる」
「それだけじゃなくにゃ」
リーネが笑う。
「今度は、あたしたちが全力で、ユージを守るにゃ」
セレスが静かに頷く。
「癒やしは、ひとりで担うものではありません。私たちが、あなたの盾になります」
「そのかわり、変な無茶はしないでね?」
ミナが人差し指を立てた。
「マッサージ中に死んだら、許さないから」
俺は、すこしだけ笑った。
「了解。絶対に死なない」
そして――再び、歩き出す。
手のひらには、仲間の温もりが残っていた。
マーカスたちの荷物を一部預かり、最低限の装備を整える。
彼らはまだ霊体の揺らぎが大きく、今のまま奥へ進むのは危険だった。
「俺たちは、ここで待つ」
マーカスが言った。
「でも……戻ってきたら、ちゃんと飯は作ってやる」
「なら、絶対戻ってこないとな」
俺は笑って答えた。
リーネは、少しだけ肩を寄せて、マーカスに小さく手を振る。
「……にゃ」
それだけ言って、彼女はくるりと背を向けた。
でも、その尻尾はぴんと立っていた。
◇
ダンジョンの深部は、ゆるやかに下り坂になっていた。
道幅はやや狭まり、岩の壁にあいた亀裂から、赤黒い霧がじんわりと滲み出している。
まるで、ダンジョン自体が――呼吸しているみたいだった。
「……感じる」
セレスがつぶやく。
「何かが、こちらを“見ている”」
立ち止まったミナが、足元の地面を指差す。
「これ……焼け焦げてる。爪の跡みたい」
「何か、ものすごく大きな……」
「奥に、死霊になった竜がいるのか」
俺の言葉に、全員が顔を上げる。
「きっと、そいつがこの空間の中心だ。瘴気の源であり、死霊たちの“核”みたいな存在だ」
「じゃあ……倒す、の?」
ミナが言う。
「いや。癒やす」
俺は答えた。即答だった。
「竜であっても、死者であっても、癒やしは届く。それが、この“手”の意味だと……もう分かってるから」
◇
先に進む道は、静かだった。
足音だけが、岩肌に淡く響く。
ときおり――
空気の向こうに、低く、重たい“息”の音が聞こえた気がした。
まるで、何かが眠っているような。
その目を開く時。
この山が、本当の姿を現すのかもしれない。
俺たちは進む。
癒やすために。救うために。
そして――
その魂に、手を伸ばすために。
〈第24話 完〉
火山の奥で、待っていたのは――
かつて戦場を駆けた、古代の将軍の霊体。
「我は……まだ、戦っている……」
怒りに染まった魂を、ユージの“手”が癒やす時――
その誇りが、静かに語り始める。
──第25話「古代の将」
おじさん、死者の矜持をほぐす。
◇◇◇
作者からのお願い。
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