第29話 旅立ち
朝の光が、ファングレストの石畳を柔らかく染めていた。
俺はいつものように、『おかえりなさい、癒やし処 ユージ堂』の木製看板を入口に掛ける。
ふと、森の向こうへと目を向けた。
夜空に現れた、あの淡い光。昨夜も――そして今朝も――まだ消えていない。
霊体の波が、ごくかすかにざわめいている。
淡い赤と黒が混ざり合った、不吉な色。
だが、視ようとすると、まるで霧のように逃げていく。
――何かが、あの先で起きている。
霊体を見るという感覚は、最初の頃は自分でも信じられなかった。
光の揺らぎ。色の変化。人の"内側"に触れているような奇妙な感覚。
元の世界では、そんなものが見えるなんて言ったら、即刻カウンセリング行きだったろう。
でも――
ここでは、それが"自然"なんだ。
女神――ルナリアには、感謝しないとな。
今はもう、この手で癒やせることが、俺の生き方になっている。
「おはようございます、ユージさん」
鈴のような声とともに、店の扉が開いた。
冒険者ギルドの受付嬢、カレンさん。いつもの制服に、襟元だけゆるく崩した薄手のスカーフを巻いている。光沢のある栗色の髪が、朝の日差しを受けてさらりと揺れた。
あっちの世界でよく読んでいた異世界転移物には必ずあるギルドなんだけど、やっぱりあるんだな。
リーネが元冒険者っていってたので、何となくは察していたけど。
「今日もお願いできるかしら? 朝からギルドはてんてこ舞いで……背中と肩が完全に終わってるの」
ちなみにカレンさんはこの町には珍しく、人族に見える。でも実際はハーフらしい。何の獣人とのハーフかは教えてくれなかったが。
「かしこまりました。奥へどうぞ」
カレンさんは慣れた様子で施術台にうつ伏せになり、背筋を伸ばす。その脚は、深い色味のホーズで包まれていた。
ホーズとは、脚線に沿って布がぴたりと密着し、足首のあたりで自然に絞られている衣装。現代で言えば、"タイツ"のような印象だ。
――素材こそ違えど、美しさに変わりはないな。
俺は静かに息を整え、集中する。
霊体視を開くと、カレンさんの上半身に灰色がかった光の層が重なっていた。肩から背中にかけて、硬く張り詰めている。緊張と疲労、そして抑圧された感情の痕跡。
まずは触れる。手のひらでそっと、肩を包むように当てた。
――ビリッ。
霊体に触れた瞬間、細い電流のような反応が、掌に走る。彼女の霊体が、こちらの気配に応えた。
「失礼します。少し冷えるかもしれません」
「ん……どうぞ」
軽擦法。掌で撫でるように、肩から背中へと優しく滑らせる。
硬く閉じていた霊体が、すこしずつ柔らかさを取り戻していく。浅くこわばった光の層が、ひと撫でするたびに溶けて、ほのかな白へと変わっていく。
「んっ……ふぅ……」
抑えた吐息が漏れた。
声に色気が滲むのは、恥じらいではなく――ほぐれていく心の奥が、素直に反応している証だった。
「いつも無理されてるんですね」
「ええ……ギルドの窓口って、ただ立ってるだけに見えるけど、気力も気配りも必要なのよ」
言葉の裏に、少しの疲弊と、それでも誇りを持って働いていることが伝わってくる。
俺は手技を切り替えた。
按圧法。背中中央――心兪のツボに、指の腹をじんわりと押し当てる。
三秒押して、二秒休める。その繰り返し。
「……っ」
彼女の肩が、かすかに震えた。
霊体の奥に溜まっていた"気疲れ"のような感情が、じわりと滲み出し、押し流されていく。薄く積もった灰色の淀みが、光とともに和らいでいくのが見えた。
「ユージさんって……ほんと、魔法みたい。治癒の魔法とは違うのよね?」
「魔法じゃないですよ。癒やしの技です」
「ふふ……その言い方、好き」
施術を終えたとき、カレンさんの背中には柔らかな光が溜まり、心地よい余韻だけが残っていた。
「ふぅ……助かったわ。これで午後まで戦える」
施術を終えたカレンさんが身を起こし、制服の襟元を直しながら、軽く肩を回す。その動作に、たしかな手応えを感じた。
「今日も絶好調よ、ユージさん。ほんとに助かる」
「無理しすぎないようにしてくださいね。癒やしは消耗品じゃありませんから」
「ふふ。ギルドの現場にそれが通用すれば、ね」
カレンさんは笑いながら、前髪をかき上げた。その仕草に、さっきまでの疲れの影はもう見えない。
「……そういえば、ユージさん。火山の噂、知ってる?」
「火山……?」
「ファングレストの西にある〈魂喰いの山〉ってダンジョン。あそこが最近、夜になると光ってるのよ。霊火みたいに、ぼんやり」
俺は思わず、視線をさっきの森の彼方へ向けた。
……あの光か。
「ずっと眠ってた、死霊系のモンスターが出るダンジョンだったんだけど、最近急に活性化しちゃったみたいで」
カレンさんは憂鬱そうな表情を浮かべる。
「調査に、グレイフェザーってパーティが入って行ったの。五人編成、全員ヒューマンの中堅チームよ」
「グレイフェザー。格好いい名前ですね」
「――それが、戻ってこないの。予定から遅れて、もう三日になるんだけど、ちょっと心配」
そのとき、背後でカップを落とす音が響いた。
振り返ると、リーネが立ち尽くしていた。
猫の耳が、わずかに伏せられている。
「……グレイフェザー、にゃ……」
低く、呟くような声だった。
その声は、静かで震えていた。
「……知ってるのか」
「昔、リーネが所属してたパーティーですにゃ」
猫の耳がわずかに伏せられる。軽口を言う彼女ではなかった。
言葉の奥に、長い時間しまい込んできた後悔が見えた。
「それは心配ね。ギルドからも追加の調査を出すことになってるの。場合によっては救援に行くことになるかも」
震えているリーネを、気の毒そうに見ながらカレンさんは仕事に戻っていった。
「大丈夫か、リーネ」
「あ、あんまり大丈夫じゃにゃいかもですにゃ……」
ミナとセレスも店の奥から出てきた。心配そうにリーネを見つめいてる。
「リーダーのマーカスさんなら、大丈夫とは思いますけどにゃあ」
震え声で、独り言のようにリーネが話す。
「常に差別されて、居づらくなって……パーティを離れたんだな?」
「……はい、ですにゃ。あたし、逃げたんですにゃ……でも、本当は……」
リーネの言葉が途切れる。
「本当は、追い出されたも同然だったんだろう」
「うん……でも、いい人もいたんですにゃ」
「ほう」
「……リディアちゃん。記録魔術を扱える女の子で、いつも他の仲間の少し後ろにいた子ですにゃ。話すとすごく優しくて……」
「心配なんだな?」
「はいですにゃ……会いに行きたい。困ってるなら助けてあげたい。今度は、逃げないにゃ」
リーネは、決然と顔をあげる。今からで彼らの元に辿り着くという意思がその瞳から見て取れた。
「なら、行こう」
俺は即座に答えた。
躊躇いはなかった。
もし彼らが傷ついていたなら癒やし手が必要だ。
誰かを癒やす。それが、俺のやるべきことだから。
「でもダンジョンだよ? 危険すぎない?」
ミナが横からむくれて呟く。
「……けど、放っておけないよね。あんたが本気だってわかるし」
「私も同行します」
セレスがきっぱりと言った。
「光の件も気になります。霊体があれほど不安定になるのは、よほどのことが……」
「ふたりとも……」
リーネの瞳が揺れたあと、すこしだけ笑った。
「ありがとう、にゃ……」
――数刻後。
慌ただしく調べ物と旅支度を終えた俺たちは、街の外れでゴリラ獣人の警備兵、ガルムさんに見送られていた。
「――気をつけてな。にしても 冒険者でもないのに大丈夫なのか、ウホ」
本当に心配してくれているんだろう、言葉の後に強い息が混じっている。
「ええ、出て来るモンスターについて調べたんですが、あれなら何とかなりそうです」
「無理しないで、無事に帰って来いよ!」
ガルムさんが心配そうに見送る。その視線を後に、俺たちはファングレストを後にした。
振り返ると、ミナとセレスが荷物を背負い、リーネは地図を胸に抱えている。
その向こう――森の果てに、かすかな光が、ゆらめいていた。
霊体の波が、またざわついている。
左手の刻印が、ほのかに熱を持つ。
この選択は間違いではないと、ルナリアが頷いている、そんな気がした。
俺はゆっくりと歩き出す。
きっと、癒やしの手は、今日も誰かを救うために伸ばされるのだから。
〈第21話 完〉
【次回予告】
向かうは、霊火ゆらめく〈魂喰いの山〉。
かつての仲間を救うため、癒やし手たちが踏み入れたのは、死霊が彷徨う森だった。
「……お前も、苦しかったんだな」
初めての“成仏”。
戦うだけではなく、救う――それがこの手の意味だと、ユージは知る。
亡き者の魂に、癒やしは届くのか。
──第22話「死霊の森」
おじさん、霊体マッサージの真髄を知る。
◇◇◇
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