第27話 老婆マーサのアンチエイジング(上)
夕暮れのユージ堂。
最後の客を送り出し、店の中にほっとした空気が満ちていた。
「ふぅ……今日もよく来てくれたね」
俺が背伸びをすると、ミナが尻尾をぱたぱた揺らしながら振り向いた。
「ユージ、拭き掃除は終わった?」
「ああ。そっちはどうだ?」
「こっちももうすぐ終わるよ」
リーネがカウンターの上を磨き上げ、セレスが椅子の位置を揃える。
そんな平和な時間に――
「おーい、ユージ! 開いてんだろうね!」
ガラッと勢いよく扉が開いた。
「わっ」
狐族特有の白い尾を揺らしながら入ってきたのは、この一角の主でもある老婦人――マーサだった。腰は曲がっているが、その声と目の力強さは若者にも負けていない。
「マーサ婆ちゃん!」
ミナがぱっと顔を輝かせる。
「やあ、ミナ。ちゃんと働いてるかい?」
「もちろん! ユージの右腕だからね!」
「左腕はあたしにゃ」
リーネがすかさず割り込む。
「では私は……心臓辺りを目指して精進しますわ」
セレスがさらっと物騒なことを言う。
「怖いこと言わないでくれ」
俺は苦笑しながらも、マーサの様子をそっと観察した。
(歩幅が……少し、狭くなったか)
以前なら、もっと軽快にずかずかと歩いてきたはずだ。
今の足取りは、わずかだが重さが混じっている。
「どうしたんですか、マーサさん。今日は珍しいですね」
「ん? 用事がなきゃ来ちゃいけないのかい」
「いえ、そういう訳では」
「冗談さ。今日は、ちょっと体の具合を見てもらおうと思ってね」
マーサはどっかと椅子に腰を下ろした。
笑顔はいつも通り豪快だが、その尻尾は少しだけ力なく垂れている。
「……やっぱり、どこか悪いんじゃない?」
ミナが眉をひそめる。
「悪いところの一つや二つ、歳を取れば当たり前さね」
マーサはそう言って肩をすくめた。
「でもまあ……
せっかく癒やし手が同じ長屋に住んでるんだ。
たまには、甘えたって罰は当たらないだろ」
「甘えてくれるなら、大歓迎ですよ」
俺は笑って、施術台を指さした。
「よかったら……霊体、診せてもらえますか」
「ふん。あんたの"目"には、最初から誤魔化しは利かなそうだねぇ」
そう言いながらも、マーサは素直に施術台へと腰を移した。
「ミナたちも、見てていいぞ」
「うん!」
「勉強になるにゃ」
「先生の施術は、いつ見ても興味深いですわ」
三人娘が周囲に集まり、マーサを見守る。
「じゃあ、楽にしてください。目を閉じてもらっても構いません」
「はいはい。任せたよ、若いの」
俺は静かに目を閉じ、霊体視の感覚へと意識を沈めた。
――そっと、マーサの肩に手を置く。
ぴり、と指先に温かい反応が走った。
狐族の霊が持つ柔らかな金色の光。その中に、幾重にも重なった年輪のような筋と、ところどころ薄れて揺らぐ影。
(……やっぱり、長い時間を生きてきた霊体だな)
疲労や病ではない。
歳月の積み重ねそのものが、霊体を重くしている。
「どうだい」
マーサが目を閉じたまま尋ねる。
「……ずいぶん、頑張ってきた霊体だと思います」
「そりゃそうさ。若い頃はねえ、薬草背負って山から山へ飛び回ってたんだ。
男どもより速く登って、男どもより重い荷物を担いで、男どもより稼いでやったよ」
自慢げに言う声が、どこか誇らしげだ。
「かっこいい……」
ミナが素直に呟く。
「にゃ、完全に男前にゃ……」
「その気質で、なおかつ家を束ねている……恐るべき方ですわね」
セレスが小声で感想を漏らした。
「実際、嫁に来いって口説いてきた男もいたよ。断ったがね」
「ですよね……」
俺は苦笑しつつ、軽擦法から入ることにした。
「まずは、軽く擦って表層を整えます」
掌で肩から背中へと、静かに撫でるように滑らせていく。
表面のくすみが、ゆっくりと薄くほぐれていくのが分かる。
「……ふむ。こりゃ、不思議なもんだね。
体の上から触られてるのに、奥の方が撫でられてるみたいだ」
「霊体の表面に溜まった細かい澱を、拭っている感じですね」
何度か往復するうちに、金色の光がわずかに澄んできた。
「次は摩法で、深いところを緩めていきます」
俺は肩甲骨の内側、霊筋が固まっている部分へそっと指を沈める。
霊体の芯に、指先からじんわりと熱を流し込むようなイメージで、ゆっくりと撫でる。
「……ふっ……」
マーサの胸が、わずかに上下した。
「痛みますか?」
「いや……これは……懐かしいねぇ……
若い頃、焚き火を囲んで仲間と背中を預け合ってた時の……
あの温かさに、少し似てるよ」
霊筋は固い。しかし、その奥に灯っている火はまだ消えていない。
(本当に……よくここまで、走り続けてきたな)
少しずつ摩法の範囲を広げ、背中全体を丁寧になぞっていく。
固くなっていた筋の表面に柔らかさが戻り、光がじわじわと濃くなる。
「じゃあ、按圧法いきます。
少し強く押しますから、苦しかったら教えてください」
「ふふ。若いのに遠慮されると、かえって腹が立つね。
遠慮なくやっておくれ。まだまだ若い連中の前で弱音は吐けんよ」
「了解です」
その言葉に、長い時間を生きてきた者の誇りが滲んでいた。
〈第37話 続〉
【第37話(下)次回予告】
「昔の仲間……ですか」
「そうさね。
一緒に山を駆けて、戦場を抜けて、酒場で馬鹿笑いして……
気付けば、みんな先に逝っちまった」
老いた霊体に刻まれた、歳月の重み。
背負ってきた時間を、優しくほどいていく。
「あの子が笑える場所を、ずっと作ってやりたかったんだよ」
育ての親の願い。
若返る霊体。
そして――最後の言葉。
――次回
第37話「老婆マーサのアンチエイジング(下)」
おじさん、背負ってきた時間を、軽くする。




