第26話 セレスの不安(上)
朝の光が、ユージ堂を照らしていた。
開店前の静かな時間。
「今日は買い出しに行くよ!」
ミナが元気よく言った。
「食材も足りないし、リーネの好きな魚も買わないとにゃ」
「うん! それとミナの肉もですにゃ!」
「あたし肉ばっかり食べてないから!」
二人がわいわい言い合っている。
セレスが静かに微笑んだ。
「私も……ご一緒してもよろしいですか?」
「もちろん!」
「一緒に行くにゃ!」
俺は頷いた。
「じゃあ、三人で頼むな。俺は店番してる」
「はーい!」
◇
三人が市場へ向かう。
朝の市場は賑やかで、活気に満ちていた。
「わあ、今日は魚が新鮮にゃ!」
「ミナ、こっちの肉も美味しそうだよ!」
ミナとリーネが楽しそうに駆けていく。
セレスはその後ろを、優雅に歩いていた。
金色の髪が朝日に輝き、上品な佇まい。
「まあ、お嬢さん、綺麗だねえ」
果物屋のおばさんが声をかけた。
「あ……ありがとうございます」
セレスが丁寧にお辞儀をする。
その仕草は完璧で、貴族の教育が滲んでいた。
でも――
値段を聞かれると、わずかに戸惑う。
「この林檎、三つでいくらですか?」
「ええと……その……」
ミナがすかさずフォローした。
「銅貨五枚だよ、セレス」
「あ、はい……銅貨五枚で……」
リーネが小声で呟いた。
「にゃあ……セレス、お金の感覚がないにゃ……」
「しょうがないよ。貴族の人だったんだから」
セレスが小さく俯いた。
「……ごめんなさい。迷惑をおかけして……」
「迷惑じゃないよ! これから覚えればいいんだから!」
ミナが笑顔で言う。
セレスも、ほっとしたように微笑んだ。
その笑顔は――
わずかに、輪郭が揺れた。
リーネが首を傾げる。
「にゃ……? なんか……セレス、今日ちょっと違う……?」
「え? そんなことは……」
セレスが慌てて顔を背ける。
ミナは気づかず、次の店へ駆けていった。
◇
野菜売り場で、ミナとリーネが小競り合いを始めた。
「この人参、あたしが先に見つけたんだから!」
「でも手に取ったのはリーネが先にゃ!」
「そんなの関係ないよ!」
「関係あるにゃ!」
二人がむきになって張り合う。
周囲の視線が集まり始めた。
セレスが静かに歩み寄る。
穏やかな笑顔で――
「お二人とも」
「な、なに?」
「にゃ……?」
セレスが優しく、でもはっきりと言った。
「……その場で張り合うのは、ユージさんに迷惑だと思いますが?」
「「ッ!?」」
ミナとリーネが固まった。
セレスは微笑んだまま続ける。
「帰ってから『あの二人が喧嘩ばかりで困った』とユージさんが溜息をつかれたら……お二人、どう思われますか?」
「う……」
「それは……嫌にゃ……」
「ですよね? では、仲良くしましょう」
セレスがにっこりと笑う。
ミナとリーネは、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「……ごめん」
「……ごめんにゃ」
二人が人参を半分ずつ持つ。
リーネが小声で呟いた。
「……腹黒いにゃ……」
「にゃ、にゃんだと……(狼なのに)」
ミナも小声で返す。
セレスは何も聞こえないふりをして、微笑んでいた。
◇
買い物を終え、帰り道。
三人が並んで歩いている。
ミナが楽しそうに言った。
「今日は楽しかったね!」
「にゃあ、また三人で来たいにゃ!」
セレスも微笑む。
「ええ……楽しかったです」
でも――
その笑顔が、ふと曇った。
セレスが立ち止まる。
「……私」
「ん?」
「どうしたの、セレス?」
セレスが小さく俯いた。
「……私、皆さんと一緒にいてもいいのでしょうか」
「え?」
「にゃ……?」
ミナとリーネが驚いた顔で見つめる。
セレスは言葉を続けた。
「与えられた役割のない人生を……どう生きればいいのか……
私には……まだ分からないんです」
その声が震えている。
「影武者として生きてきた私が……
ただのセレスとして生きることが……
本当に許されるのか……」
ミナが駆け寄った。
「いいに決まってるよ! 仲間だよ!」
「そうにゃ! セレスがいないと寂しいにゃ!」
リーネも頷く。
セレスは、二人を見つめた。
「……ありがとうございます」
でも――
「ですが……そのお言葉に甘えてよいのか……
私はまだ……怖いのです」
風が吹いた。
セレスの金髪が、ゆっくりと揺れる。
その髪が――
わずかに、銀色に見えた。
◇
ユージ堂に三人が戻ってきた。
「おかえり。買い物、どうだった?」
「楽しかったよ!」
「いっぱい買ってきたにゃ!」
ミナとリーネが荷物を置く。
セレスも静かに荷物を下ろした。
「ただいま戻りました、ユージさん」
俺は、ふとセレスの顔を見た。
(……ん?)
何か……違和感がある。
俺は診気を集中させた。
霊体視――
セレスの霊体が、視えた。
白金の光。
美しい霊体。
でも――
その輪郭に、わずかな「二重の像」が重なっていた。
(これは……)
俺は静かに言った。
「セレス」
「はい?」
「……お前、今、自分の姿じゃないだろ」
「!?」
セレスの瞳が、大きく見開かれた。
ミナとリーネも驚いて振り向く。
「え!?」
「どういうことにゃ!?」
セレスは、ハッと息をのんだ。
そして――
ゆっくりと、変身を解いた。
わずかに顔の輪郭が変わる。
髪の色が、ほんの少し濃くなった。
「……ごめんなさい」
セレスが俯く。
「気づいたら……つい……
昔の癖で……誰かの姿を借りて……」
ミナが息をのむ。
「セレス……無意識に変身してたの……?」
「にゃあ……それって……」
セレスが小さく頷いた。
「不安だったんです。
自分のままで、この場所にいていいのか……
それが……怖くて……」
その声が震えている。
「だから……つい……
誰かの姿を借りて……自分を隠してしまって……」
俺は、セレスの肩に手を置いた。
「セレス」
「……はい」
「施術をしよう」
「え……?」
セレスが顔を上げる。
「でも……私などより……他に優先すべき方が……」
「セレスを後回しにする理由はない」
俺ははっきりと言った。
「お前は、今、ここにいる。
それだけで十分だ」
セレスの瞳が、潤んだ。
「……ユージさん……」
〈第36話 続〉
「シェイプシフターは……霊体への接触を強く感じるんです……」
セレスの霊体に隠された、黒い鎖の痕。
長い従属生活が刻んだ、心の拘束。
「自由が……怖かったのです……
自分のままで生きることも……」
優しい手が、鎖をほどいていく。
額の金色の紋章が、ふわりと光る。
「お前は、お前のままでいい」
――次回
第36話「セレスの不安(下)」
おじさんと本当の自分を、取り戻す夜。




