第3話 獣人の少女
光に包まれる中、ルナリアの声だけが――残っていた。
(あなたは……あちらの世界で、必要とされている)
(でも――きっと、あなたはそこで……)
(せめてものお詫びに、最低限の知識と言葉は――)
声が、遠ざかる。
光が、薄れていく。
そして――
ザワザワ……
風の音が、聞こえた。
鳥のさえずり。
木々の揺れる音。
「……ん……」
目を開けると――
青い空が、広がっていた。
「……ここ、どこだ?」
ここは異世界グランバニア。
脳裏に最初から知っていたかのように呼び名が浮かぶ。
これは、きっとルナリアからの贈り物だ!
身体を起こす。
周りは、森だった。
見たこともない、巨大な木々。
地面には、柔らかい苔が敷き詰められている。
空気が、澄んでいる。
「……まさか」
立ち上がって、辺りを見渡す。
遠くに、山の稜線が見える。
でも、その形は――日本の山じゃない。ヨーロッパ辺りの写真でみるような形だ。
「異世界……ってやつか」
声に出してみると、妙に現実味を帯びた。
自分の手を見つめる。
すると――
光の層が、はっきりと視えた。
いや、視えるだけじゃない――ほのかに、光っている。
「……霊体視が、強くなってる」
手のひらを握ったり開いたりする。
光の層が、自分の動きに合わせて揺れる。
まるで、この世界では――
霊体が、より鮮明に存在しているかのように。
「……そうか」
ルナリアが言っていた。
"あちらの世界で、必要とされている"
もしかして――
この世界では、俺の力が――
本当に、役に立つのかもしれない。
俺は、森を歩き始めた。
木漏れ日が、地面に影を落としている。
鳥のさえずり。
風が運ぶ、草の匂い。
空気の湿度。
肌に触れる風の温度。
足元の土の感触。
全部――本物だ。
「……夢じゃ、ないんだな」
「……たすけ……て……」
微かな声が、聞こえた。
「!?」
耳を澄ます。
遠くから――苦しげな、うめき声。
「誰か……いるのか?」
俺は、声のする方へ――駆け出した。
木々を抜けると――
倒れている少女が、いた。
「おい! 大丈夫か!?」
駆け寄る。
少女は、地面に横たわっていた。
狼のような、灰色の耳。
同じ色の、ふさふさした尻尾。
髪は灰銀色で、顔立ちは——まだ幼さが残っている。
十代後半、くらいだろうか。
「……う……」
少女が、苦しそうに顔を歪めている。
俺は、少女の身体を確認した。
外傷は――ない。
血も出ていない。
でも――
「……これ」
霊体を視ると――濁っていた。
光の層が、まるで泥水のように――淀んでいる。
いや、それだけじゃない。
その中心に、炎のような何かが渦巻いている。
「これは……何かが暴走してるのか?」
彼女の中に秘められた魔力が暴走している。
そのことが説明されるでもなくわかる。
少女の霊体が、自身の魔力で焼けている。
内側から――自分自身を、傷つけているのだ。
「くそ……何とかしないと……!」
手を、少女の背中に当てた。
その瞬間――
バチンッ
少女の目が、開いた。
「……っ!」
少女は反射的に、俺の手を払いのけた。
「触るな……!」
「待って、動いちゃダメだ!」
「人間なんかに……触られるか……!」
少女が、後ずさる。
だが――
「あぐっ……!」
身体が痙攣し、再び倒れ込んだ。
「おい!」
「触る……な……! あたしは……大丈夫……だから……」
「大丈夫なわけないだろ! 霊体が焼けてるんだぞ!」
「霊体……? 何言って……」
少女の言葉が、途切れる。
表情が、苦痛に歪む。
「熱い……やだ……!」
少女が、自分の胸を掴む。
「助けて……誰か……!」
その声に、俺は――迷いを捨てた。
「……信じろ」
少女の肩に、手を置く。
「俺を、信じろ。大丈夫だから」
「やだ……触らないで……!」
「動くな! 余計に悪化する!」
俺は、少女の霊体に――意識を向けた。
ビリッ
前にも感じたあの感覚。
でも、今度は――もっと、強く。
少女の霊体が、反応する。
渦巻く炎が——俺の手に、吸い寄せられるように。
「……っ」
熱い。
まるで、直接——火を掴んでいるような。
でも――
「我慢……しろ……俺……」
歯を食いしばって、施術を続ける。
炎を、優しく――包み込むように。
少しずつ――
炎が、静まっていく。
「あ……はぁん!」
吐息と共に少女の表情が、和らいでいく。
「これ……何ぃ……?」
「霊体マッサージ、ってとこかな」
俺は、微笑んだ。
「もう少しで楽になるから、力を抜いて」
少女は、戸惑った様子で――
でも、少しずつ――力を抜いていった。
俺は、ゆっくりと手を動かす。
背中、肩、首筋――
「あ……ああん、これっ!」
霊体の流れに沿って、炎を――鎮めていく。
すると――
「きゃん! は、あぁん!」
少女の妙に艶っぽい声と共に光が、溢れ始めた。
柔らかい、温かい光。
少女の霊体が――本来の輝きを取り戻していく。
「……気持ち、いい……よぉ」
少女が、小さく呟いた。身体は気持ちよさに耐えかねるようにビクビクと震えている。
「よかった」
俺は、安堵のため息をついた。
「もう大丈夫だ」
どれくらい時間が経っただろう。
少女の霊体から、濁りが――完全に消えた。
「……楽に、なった」
少女が、ゆっくりと起き上がる。
「ありがと……」
その声は、震えていた。
「どういたしまして」
俺は、立ち上がった。
「無理しないでね」
「……あんた」
少女が、俺を見上げる。
「何者?」
「桐谷悠司。ただの整体師だよ」
「せいたいし……?」
「ああ。まあ、身体と魂を癒す仕事、かな」
「魂を癒す……!」
少女の目が、輝いた。
「もしかして……あんた、魂渡りなの?」
「魂渡り?」
「伝説の……魂を癒す力を持つ人のこと」
少女が、俺をじっと見つめる。
「昔、世界を救ったって言われてる……」
「いや、俺はただの——」
「すごい……本物の魂渡りだ……」
「……あたし、ミナ。獣人族」
「ミナちゃん、か。よろしく」
「ちゃん付けすんな!」
ミナが、顔を赤くした。
耳が、ピクリと動く。
「……でも、ありがと」
そう言って――顔を背けた。
遠くから、鐘の音が聞こえた。
「……村の、鐘だ」
ミナが、空を見上げる。
「あんた、どこ行くの?」
「どこって……まあ、特に決めてないけど」
「……あたしの村に、来る?」
ミナが、俺を見つめた。
「案内してくれるのか?」
「別に……礼じゃないけど」
ミナは、ぷいっと顔を背けた。
「ただ、村にも……身体も魂も疲れた奴、いっぱいいるから」
「……そうか」
俺は、微笑んだ。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
「……勝手にしろ」
ミナは、歩き出した。
突き放したような口調だったが、尻尾は上機嫌に、ゆらゆらと揺れている。
俺は、その後ろ姿を見つめて――
ふと、思った。
この世界では――
俺の力が、本当に――役に立つのかもしれない。
――この出会いが、異世界での"整体人生"の始まりだった。
<第3話 終>
【次回予告】
獣人の少女・ミナに導かれ、辿り着いたのは獣人族の街・ファングレスト。
「人間なんて、街に入れないわよ!」
異種族の冷たい視線。
それでも――居場所を見つけたい。




