第23話 掟の影、導き手カレン
朝のユージ堂は、いつもよりゆっくりと温かい空気に包まれていた。
昨日、涙を流したとは思えないほど、ミナは明るく動いている。
「先生、おはよ」
「おう、おはよう」
「今日も頑張るよ。うん」
尻尾をぶんっと振って笑うけれど、
その根元にはまだかすかな震えが残っていた。
リーネとセレスがちらりと見交わす。
「昨日のミナ、すっごく心軽そうだったにゃ」
「はい。表情がとても柔らかくて安心しましたわ」
そんな穏やかな空気の中。
コン コン
扉が静かに叩かれた。
「失礼する。ミナはいるか」
低く落ち着いた声。
入ってきたのは、銀灰色の耳を持つ狼獣人の女性。
しなやかな四肢、背中には冒険者の証。
眼差しは鋭く、風のように冷静な雰囲気。
ミナはその姿を見た瞬間――
「……カレン……さん……」
ぴたりと固まった。
耳がぺたんと伏せられ、尻尾がきゅっと縮む。
手に持っていた布巾が、ぽとりと床に落ちた。
「久しいな。掟以来だな、ミナ」
セレスが小さくささやく。
「ミナさん……あんなに固まって……」
「ガチの相手にゃ。昔の関係だにゃ」
ミナの緊張は容易に想像できた。
「どうして……ここに……」
「お前の"独り立ち"の確認だよ。
ひとりで生きる力を得られなかったなら――
その時は里へ戻して連れ帰る」
その言葉は、刃のように鋭かった。
「……っ」
ミナの喉が詰まり、肩が震える。
「カレンさん」
俺は一歩前に出た。
「ミナはここで立派にやってる。
俺や仲間にとって、もう欠かせない存在だ」
ミナがびっくりしたように俺を見た。
その目は、助けを求めるように揺れていた。
カレンは俺を吟味するように見つめる。
カレンは俺を吟味するように見つめる。
「風聞では聞いていたよ。
"獣人に居場所を作る人間がいる"と。
しかし……見るのと聞くのでは違う」
俺はカレンの霊体を見て、気づいた。
肩と背に、深い霊的な疲労が溜まっている。
「カレンさん、よかったら施術させてもらえないか?
霊体がかなり疲れてる」
カレンは一瞬驚いた表情を見せ、すぐに表情を引き締めた。
「……不要だ。
導き手は弱音を吐かぬ。
これくらいの疲労、問題ない」
きっぱりと断られた。
その時、ミナが一歩前に出た。
「カレンさん……
ユージの施術、すごく……すごくいいんだよ。
私も……昨日、癒やしてもらって……」
ミナの声は震えていたが、真っ直ぐだった。
「カレンさんは、いつも私たちを導いてくれた。
今度は……カレンさんが癒やされる番だよ」
カレンの目が、わずかに揺れた。
「……ミナ……」
しばらく沈黙が続き、
カレンは小さく息をついた。
「……ミナがそこまで言うなら。
少しだけ、頼もうか」
俺は優しく告げた。
「それじゃ、横になって。霊体が疲労を伝えているよ」
カレンが一瞬だけ驚いた表情を見せる。
「……見抜かれたか。ならば、頼もう」
施術台に横たわり、俺は集中して手をかざす。
霊体視が発動し、霊体がふわりと浮かび上がる。
深い蒼色の狼。
肩と背の付け根に、古い傷のような黒いひびが走っていた。
「かなり無茶してきたね」
「ああ。導き手とは、弱音を吐けぬものだからな」
俺は摩法でそっと肩へ触れる。
――ビリッ
強烈な霊反応。
カレンの体がびくんと跳ねる。
「っ……!? な、何だ……この……感覚……」
リーネがこそっと耳打ちする。
「カレンさん、結構反応良いにゃ……」
「リーネさん、静かにですわ」
俺は気にせず、摩法で肩の霊体を優しく撫でる。
するとカレンの呼吸が乱れ始めた。
「は……ぁ……っ……そんな繊細な……手つきとは……
こんなに……優しく触れられたのは……初めてだ……」
按圧法で肩の芯へ指を沈める。
三秒押し、二秒離す。その繰り返し。
「ぅっ……く……そこは……昔……
仲間を庇って傷を負ったところだ……」
カレンの声が震え、わずかに甘い吐息が漏れる。
「ん……っ、あ……そこ……押されると……
身体の奥まで……響く……」
ミナは息を呑んで見ていた。
(カレンさんが……あんなに……声を出すなんて……)
揉捏法でゆっくりとひびを崩していく。
円を描くように、優しく、深く。
「あ……ぁっ……だ、だめ……そんな……解されると……
力が……抜けて……っ」
カレンの銀灰色の耳が真っ赤に染まり、
尻尾がぴくぴくと震えている。
「んっ……はぁ……っ……
こんなに……気持ちいいなんて……
霊体を触られるって……こんなにも……」
目尻が潤み、普段の冷静さは完全に消えていた。
「もう……限界……っ、身体が……溶ける……っ」
光が霊体を包み、古傷のひびが完全に消える。
施術が終わり、カレンはゆっくり起き上がった。
頬は桃色に染まり、息は荒い。
「……見事だ。
この集中、ただ者ではないな」
カレンは恥ずかしそうに視線を逸らす。
「あんな……声を出してしまうとは……
私としたことが……」
リーネがにやにや笑う。
「カレンさん、すっごく可愛かったにゃ〜」
「り、リーネ……!」
俺は微笑み、ミナをちらりと見る。
「こうやって施術に集中できるのも……
ミナたちが店を支えてくれているからだ。
ミナは俺にとって、ここにとって……
必要欠くべからざる存在だよ」
「……っ」
ミナの狼耳がぶわっと赤くなり、目が潤む。
カレンは静かにその様子を見つめた。
「ミナ。
"独り立ち"とはな。
ひとりで生きることではない。
己で選んだ道を、生き抜く力のことだ」
ミナの胸が大きく震えた。
「お前は……自分の足でここを選んだ。
誰かに必要とされ、誰かを支えている。
これは……立派な独り立ちだ」
「……カレンさん……」
「帰還命令は取り下げる。
ここが、お前の場所でいい」
ミナの涙が頬を伝う。
「……うん……
ここが……私の居場所だよ……
先生も……リーネも……セレスも……
みんながいる……ここが……」
カレンはそっとミナの頭を撫でた。
「よくやったな」
そして俺の方を向く。
「ユージ殿。ミナを頼む」
「もちろん。ミナはここにいていい。
誰にも連れていかせないよ」
ミナの顔が真っ赤に燃え上がる。
「も、もう……聞こえてるよ……!」
リーネ
「かわいいにゃ」
セレス
「本当に……素敵な方ですわ」
「やめてよぉ!」
笑いが店に溢れ、
カレンは満足げに頷いて立ち上がった。
「また来るよ。今度は任務ではなく、友としてな」
「うん、絶対だよ……!」
扉が閉まり、静かな余韻だけが残った。
ミナが窓辺で夕日を見ている。
少し前までの不安げな表情は消え、
穏やかな笑顔が浮かんでいた。
(ミナには……この場所が必要で
きっと俺にも……ミナが必要なんだ)
そんな思いが胸に満ちる夕暮れだった。
〈第33話 完〉
【次回予告】
「にゃあ〜……疲れたにゃ……」
いつも明るいリーネの、隠された過去。
元冒険者として生きた日々の傷が、霊体に刻まれていた。
「あたし……ほんとは……」
笑顔の裏に秘められた、深い寂しさ。
悠司は、猫娘の本当の想いに触れる。
――次回
第34話「リーネの本音」
おじさん、猫娘の涙を受け止める。




