第22話 ミナの心に残った影
朝の光がユージ堂に差し込む。
台所では三人娘が朝食の準備をしていた。
「セレス、その火、弱めたほうがいいにゃ~」
「え、あ……こ、こうでしょうか?」
「にゃるほど! それなら焦げないにゃ!」
リーネとセレスが楽しそうにやりとりしているその一方で、
ミナは窓の外をじっと見つめていた。
「ミナ、どうした?」
「……ううん。何でもないよ」
声はいつもの明るさのままなのに、
ふっと風が通り抜けるような寂しさが混じっていた。
昼過ぎ、扉がこんこんと叩かれた。
「ミナ、顔見に来たぞ?」
「マーサ婆ちゃん!」
ミナが飛びつき、マーサは優しく抱きとめた。
「ふふっ……随分と甘えるねぇ」
俺とマーサは席につき、自然と昔話になっていく。
「だって、しばらく街から離れてたし!」
「ま、そういうことにしておこうかね」
マーサはゆっくり目を細めた。
「そういえば、マーサさんとミナは長いんですよね?」
俺が問いかけると、マーサさんはゆっくりと口を開く。
「……この子はね、狼族の掟で行くあてもないのに、街に降りてきて……
怖くて震えて、心を閉ざしたんだよ」
「そ、そんなことなかったと思うけど!!」
ミナが強がっている時の姿、そのままが浮かぶ。
「わたしが手を差し出したときなんぞ、凄い目で噛みつかれた」
「ば、ばあちゃん! 噛んでないってば!!」
ミナが顔を真っ赤にして叫ぶ。
台所からセレスとリーネがくすっと笑う気配がした。
「まぁ、実際は手を払われただけなんだけどね?」
「もう……!」
マーサは続ける。
「この子は最初、誰にも触られるのが怖がっててねぇ。
けど……わたしの家で、薬草の仕分けを手伝ううちに、
ほんの少しずつ、心を開いていったのさ」
薬草の匂いを覚えるのが早かったこと、
お使いに行くときは耳がぴんと立っていたこと、
夜中にこっそり泣いていたこと。
「……けれどね。
心の疲れが溜まって……魔力が乱れる日があった」
マーサさんの声が静かに落ちる。
「狼族は心と魔力が繋がっとる。
不安が続けば、身体が急に倒れてしまう」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
(あの日……森で倒れていたミナ……)
「そしてある朝、
迷惑かけてばっかりだからと家を抜け出してね……
森で倒れてたのを、あんたが助けてくれたって訳だ」
マーサは深く息をついた。
「……あの時のミナは、本当に限界だったみたいだったからね。
あんたと出会ってくれて良かったよ」
しみじみとマーサさんに言われたミナは、小さくなって赤くなっていた。
恥ずかしかったみたいだな。
そんなミナを見て二人はクスクスと笑っている。
平和で何よりだよ。
――夕方。
マーサを見送ったあと、店番をしていたミナがぽつりと呟く。
「……聞いたよね。ばあちゃんから」
「ああ」
「私ね……
掟だからって無理に出てきて……
怖くて、寂しくて……
ばあちゃんに甘えるのも怖くて……」
ミナは俯いたまま続ける。
「でも……ばあちゃんも、先生も、リーネも、セレスも……
私の居場所をくれたんだよ」
その声は震えていた。
「ミナ。施術させてくれないか?」
「え……?」
「霊体、少し揺らいでる。昔を思い出したからかな」
ミナはしばらく黙っていたが、
ぎゅっと拳を握ってうなずいた。
施術台にぴたりと横たわると、俺は集中し、霊体に手をかざす。
霊体視が発動し、淡く輝く銀色の狼が浮かびあがった。
――そして、胸の奥に黒い影のような塊が見えた。
「……これが、孤独の痕だ」
「……まだ残ってたんだね」
俺は摩法で影の縁を撫でるようにほぐす。
ビリッと強い反応が指先に走った。
「ぁっ……せ、先生……っ……そこ……」
「痛むか?」
「ち、違う……胸が……熱くなる……」
按圧法で胸中央を押す。
三秒押して、二秒離す。
「んっ……あ……だ、だめ……っ、その押し方……ずるい……っ」
ミナは布をぎゅっと掴み、
狼耳が恥ずかしそうに伏せられる。
尻尾がぱたぱたと揺れて、感情を隠せていない。
揉捏法で影を崩すようにゆっくり円を描く。
「ひゃ……っ、そこ……弱いの……先生の手……あったかい……」
目尻が潤み、涙が一筋こぼれた。
「……私……ほんとはずっと怖かった……
またひとりになるんじゃないかって……
先生が……どこか行っちゃうんじゃないかって……」
黒い影が、彼女の涙と共にほどけていく。
俺はミナの小さな手を包み込んだ。
「俺はどこにも行かないよ。
お前がそばにいる限り、俺はここにいる」
「……ほんと……?」
「ああ。約束だ」
霊体に光が満ち、暗い影は完全に消えた。
施術が終わり、ミナはゆっくり体を起こす。
「……ありがとう、先生。
私、もう大丈夫」
ちょうどその時、リーネとセレスが施術室にやってきた。
「ミナ、泣いてたにゃ?」
「目が赤いですけど……」
「な、泣いてないよっ!!」
三人の笑い声が店に広がり――
(この笑顔を、守りたい)
俺は強く思うのだった。
翌朝。
ユージ堂の外に、ひとりの狼族の女性が立っていた。
鋭い目つき、傷だらけの腕――冒険者の匂いがする。
「……ミナって子は……ここにいるか?」
その声には、わずかな迷いと、強い決意が滲んでいた。
静かに、物語が動き出す。
〈第32話 完〉
【次回予告】
「失礼する。ミナはいるか」
街に現れた狼族の女性冒険者、カレン。
彼女は、ミナの"独り立ち"を確認しに来た導き手だった。
「ひとりで生きる力を得られなかったなら――
その時は里へ戻して連れ帰る」
刃のような言葉に、ミナは固まる。
悠司は、カレンの霊体に刻まれた深い疲労を視る。
――次回
第33話「掟の影、導き手カレン」
おじさん、ツンツン銀狼を癒やす。




