第2話 女神様ご来店
光が、収まった。
いや――収まったというより、変質した。
施術を終えたはずの部屋が――星空に包まれている。
天井も、壁も見えない。
まるで、宇宙の中に浮かんでいるような――
「……何が、起きてるんだ?」
俺は、目の前の女性を見つめた。
彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
そして――静かに、口を開いた。
「ごめんなさい。あんまり気持ちよくて……力が、少し溢れてしまったみたい」
「力……?」
「私は、ルナリア」
彼女は、微笑んだ。
「人々が、女神と呼ぶ者です」
女神。
その言葉が、妙にしっくりきた。
この圧倒的な存在感。
この、人間離れした美しさ。
そして――この、深く傷ついていた光が、今は――輝いている。
「女神様が……どうして、こんな場所に?」
「魂が、痛んだから」
ルナリアは、自分の胸に手を当てた。
「長い時を生きてきました。多くの願いを受け、多くの祈りに応えてきました」
「……」
「人々は、私に祈る。願う。縋る」
ルナリアの声が、少し震えている。
「でも――私自身の魂は、誰も癒やしてくれなかった」
その声には、深い孤独が滲んでいた。
「何千年も……ずっと、独りで」
「……千年も」
俺は、息を呑んだ。
千年。
その長い時間を、独りで――
「神は、孤独なのです」
ルナリアが、微笑んだ。
でも、その笑顔は――あまりにも、寂しげだった。
「人々は、私を崇める。でも、私に――寄り添ってくれる者は、いない」
「……」
「だから――あなたの手が、こんなに温かくて……驚いたの」
ルナリアが、俺の手を見つめる。
「何千年も生きて……初めて、こんなに――温かいと感じた」
その言葉を聞いた瞬間――
俺の胸に、何かが込み上げてきた。
千年の孤独。
誰にも癒やされなかった痛み。
それを、この人は――ずっと、抱えてきたのか。
「……俺、なんかが役に立ちますか?」
「ええ」
「この力、意味があったんですね」
「ええ」
ルナリアが、優しく頷く。
「ありがとう」
そう言って――微笑んだ。
星空が、ゆっくりと薄れていく。
部屋の天井が、壁が――戻ってくる。
現実の感覚が、戻ってくる。
「……戻った」
「ええ。少し、力を制御できました」
ルナリアが、ベッドに座り直す。
「でも――まだ、痛みが残っているの」
「痛み……?」
「何千年も、誰にも癒やされなかった傷は――深いのです」
ルナリアは、自分の胸を押さえた。
その表情が――あまりにも、切なくて。
「もう一度……お願いできますか?」
「……わかりました」
俺は、深呼吸した。
千年も、独りで。
誰にも、癒やされずに。
それなら――
「今度は、もっと丁寧に――全部、癒やしてあげます」
「……っ」
ルナリアの目が、大きく見開かれる。
「ありがとう……ございます」
その声は、震えていた。
「失礼します」
手を、ルナリアの背中に――いや、霊体の中心に当てた。
ビリッ
さっきの感覚。
だが――今度は、もっと深く。
ルナリアの霊体が、視える。
さっきよりも――鮮明に。
「……これは」
傷が、まだ残っている。
さっきは表面だけを癒やした。
でも、その奥に――もっと深い、古い傷がある。
千年分の――孤独が、層になって積み重なっている。
「……全部、取ってあげますから」
俺は、意識を集中させた。
千年の孤独を――一つずつ、癒やしていく。
手を、ゆっくりと動かす。
霊体の深い傷に、意識を向ける。
優しく、撫でるように――丁寧に、解きほぐしていく。
「………んっ」
ルナリアの口から、小さな声が漏れた。
頬が、ほんのり赤く染まる。
「あ……ああ……」
霊体が、輝き始めた。
傷が、少しずつ――深い部分から、修復されていく。
「これ……は……っ」
ルナリアの瞳が、大粒の涙を流している。
「初めて……です。こんなに……魂の奥まで、温かくなるなんて……」
俺は無言で、施術を続ける。
もっと深く。
もっと丁寧に。
この人の千年を――全部、癒やしてあげたい。
背中、肩、首筋――霊体の流れに沿って、指を動かす。
千年分の孤独を――一つずつ、一つずつ。
「ああっ……!」
ルナリアの身体が、ビクンと跳ねた。
「す、すみません……! でも、止めないで……ください……っ」
その声は、懇願するように甘かった。
「大丈夫です。最後まで――やりますから」
俺は、さらに力を込める。
もっと――もっと深く。
どれくらい時間が経っただろう。
ルナリアの霊体から、眩い光が溢れ出した。
「あ……ああああっあん!」
ルナリアは両手でベッドの縁を掴み、ビクビクと身体を震わせた。その頬は赤く染まり、全身が汗でしっとりと濡れている。
そう、まるで、魂そのものが歓喜しているかのように――
彼女の身体が輝き、光が、部屋中を満たしてゆく。
効いてる! きっとこれでもっと癒やされてくれる!
俺はさらに手技を加える。
力はいらない。正しい位置を圧してやれば、身体は応えてくれる!
「はぁんっ!」
彼女の反応が正解を教えてくれる。
観葉植物の影が、ゆらゆらと揺れる。
時計の秒針が、いつもより遅く感じる。
「あ……ああ……はぁんっ……もう……だめ……っ」
ルナリアの声が、切なげに響き、部屋の中を満たしてゆく。
「くっ! 気持ちよすぎて……力が……制御……できない……っ」
「え……?」
その瞬間――
光が、爆発的に膨れ上がった。
「ちょっ、待って――!」
「あ、あんっ! ごめん……なさい……っ! あなたが……優しすぎて……っ!」
ルナリアが、涙を流しながら叫ぶ。
「止められ……ない……っ! あっ、ああっ! ああああ――」
光が、部屋中を飲み込む。
壁が――消える。
床が――消える。
重力が――消える。
「うわっ……!」
身体が浮く。
いや、違う――引っ張られている。
どこか、遠くへ――
「待って……! ルナリア様……!?」
手を伸ばす。
だが、彼女の姿は――光の中に、霞んでいく。
「あなたは……あちらの世界で、必要とされている」
ルナリアの声が、遠くから響く。
「ごめんなさい……あなたが優しすぎて……私の力が、あなたを私の世界に引き寄せてしまった」
「待って……!」
「でも――きっと、あなたはそこで……幸せになれる」
声が、遠ざかる。
光が、薄れていく。
「そこには――あなたの優しさを、必要としている人たちがいる」
「ルナリア様……!」
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
その声は――泣いているようだった。
「うわああああっ!」
意識が――途切れた。
<第2話 終>
【次回予告】
目覚めた場所は——見知らぬ、森の中。
「……異世界、か」
森で倒れていたのは——獣の耳を持つ、少女。
「触るな……! 人間なんかに……!」
魂が、悲鳴を上げている。
「信じろ。俺を、信じろ」
異世界での、最初の施術が――始まる。




